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蝉の幼虫にまつわるトラウマ
踏み潰された蝉の幼虫の光景が頭から離れない。
確か10歳ぐらいの頃だ。夕方、地元の公園で夏祭りをやっていた。そこで友人と遊んだり出店で買った焼き鳥を頬張っていた。
休憩しようと人の少ないブランコに腰をかけていた。ふと足元に目をやると蝉の幼虫が羽化をする場所を探すためにのそのそと歩いていた。生きている蝉の幼虫を見るのは初めてだったためその様子を食い入るように見ていた。
その時、鬼ごっこをしていた子供が蝉の上を駆け抜けていった。私は咄嗟の出来事にあっという声しか出なかった。あの時の蝉が踏み潰される光景は今になっても鮮明に覚えている。ぐしゃっという音とキシっという音が混ざったような不快な音だった。
子供が駆け抜けたあとには幼虫の茶色と羽化を待っていた成虫の青白さが広がっていた。その光景は数年の歳月を待ち、ようやく外に出てきた時の積み重ね。積み重ねた物が一瞬にして無に帰す無常さをまざまざと映していた。
それ以来、蝉の幼虫が苦手になってしまった。触れたら壊れてしまいそうな、そんなところが苦手になってしまった。
話は変わるが、私は妊婦と乳児が昔から苦手である。何故苦手なのか振り返ってみるとこの蝉の幼虫にまつわるエピソードが引っかかっているようだ。妊婦が蝉の幼虫、乳児が羽化を待つ蝉に見えているのかもしれない。
尾道を旅行する中で幼虫を見つけ、ふとそんな昔のことを思い出した。
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