見出し画像

演奏者が音符を音にするまえにやっていること~ボロディン弦楽四重奏曲第2番(Borodin String Quartet Nr.2 D-Dur)について考えてみる


演奏には楽譜が必要。でも音にするには個性も必要。

 演奏は楽譜と楽器と演奏するメンバーが揃えば形にはできます。この時点ですでにお客様に聴いてもらい、例えばそれがベートーヴェンの曲だとして、誰が聴いてもそれを「あぁ、ベートーヴェンだ」と判ってもらえるような形にすることは可能です。出汁がきいていなくても蕎麦は蕎麦だ!という様にです。ところが、それだけでは演奏したことにはならないのです。クラシック音楽は、「なんだ、毎回同じ楽譜を使って、同じ弾き方で、だれが弾いても大体同じじゃないか」と評されても、実際にそれが間違いでも、演奏者は誰もそれを心の中では否定していないし、否定出来ないと思います。だれもそれを証明できないからです。
 クラシック音楽の最大の特徴は再現性のある音楽という点だと思います。だれが弾いてもベートーヴェンならベートーヴェンでなければならない一方で、譜面をどう解釈しどう弾くか?の部分は奏者にゆだねられることとなり、これが演奏の個性を生みます。これは必然的な個性です。しかし解釈と演奏がリンクしている必要があるので、作曲した本人の意思、その背景、何を思ったのか?何を見たのか?またそれはどのような?…等々を奏者ひとりひとりが嚙砕く作業が必要と理解しています。 
 クラシック音楽はそのほとんどが著作権や所有権利の切れたとても古い作品を対象としているため、つねに大きな問題が演奏者に立ちはだかるのです。正しさの追求は大切なものの、過度な追求は自分の演奏でなければならない必然性が薄れるということになり得ます。
 表現におけるArtとは何なのか?という問いかけがあります。よく、演奏者の使命とは作曲家の意図を正しく伝えるものだと表現されますが、その要綱だけをとれば、あらゆる指示記号や音符は楽譜に記載されているので精度の問題はあれ機械やロボットで代替可能でしょう。そうでない為の不可欠な要素として、こうした音楽としての正しさの一方で、どうしても個性や演奏者によって出されるオリジナリティは必要になってきます。

模倣か?Artか?


 クラシック音楽のように作品の表現においてその組み立てを再現させるプロセスやそのアウトプット、つまり音楽は模倣か?Artか?は考え方次第とは思います。個人的には、我々ひとりひとりの人間が絶対的な個であるので、その行為は少なくともすべてがオリジナルと一応は考えてよいのでは?と思います。そうでないと、そもそもヒトのあらゆる行為が他人同士で差異のない模倣やコピーでしか無くなります。実際にはたとえば手順書や要領書で決まった作業でも一人ひとり違った仕事のアウトプットがあるように、表現が同じでも人が違えばそれは個性を持つことになります。"仕事はArt"という言い方もありますが、その原点はつまり我々一人一人が絶対的な個、つまりオリジナルであることから来ており、その思考、熟慮、研究などの深い洞察がそれをArtたらしめるということかと思います。

Artになるためには技術と想像が必要

 最終形がArtになるプロセスには、楽器の演奏技術の鍛錬研鑽といった要素が先ず不可欠です。一方で、曲想分析的アプローチも不可欠です。作曲家の生まれ、生きていた地域、文化、言語、景色…etc、これらを想像するのです。優れた演奏家の演奏は、こうしたものを音の背景に感じることができます。それは難しい技巧を要する部分でなくとも、造作なく単純でシンプルな箇所にこそ宿ることも多いです。たとえばベートーヴェンのスプリングソナタという曲があります。とある音楽評論家がオーギュスタン•デュメイというヴァイオリニストの演奏を聴いて、その出だしのシンプルな部分にまさにヨーロッパの春の風を感じたと評した事があります。作品の背景の深い洞察が、技術の上に大切ということかと思います。
 しかしいち奏者として実際にそれをしようと試みると困ったことに作曲家の頭の中は覗けないし、ましてや本人になれるわけでも、実際に訪ね質問することもできません。なにせクラシック音楽の作曲家は殆どがだいぶ昔にすでに亡くなっています。従って、クラシック音楽家には、その曲の背景をあらゆるメディアや資料を可能な限り採取して想像し自分のものにする作業が求められます。これをしないと、楽譜を平たくただ読んだだけの演奏になってしまう、と、まあそんなところでしょうか。

ここでは「当時こうだったんじゃないかな?」を自分なりに答えを出すことのアプローチについて語りたい

 偉そうに!と自分でも反省しなければ、と思いつつ、今回は音符を音にするまでにすべきことのなかで、この「想像する作業」について考えていこうとおもいます。じつは、音楽技法や理論理屈的アプローチの本や学問体系は学校や書籍や研究機関などでかなり確立します。一方で「想像する作業」については、なかなか先生にも教えてもらえないし、実際その世界に赴いてみたりして個人的に得る以外の方法が今のことろ無く、それを考えてみてあえてnoteに文字起こしすることは意味のあることなのではないか?と思ったので、戯言にしばらくお付き合いいただければ幸いです。

ボロディンの弦楽四重奏曲第2番はどういう内容なのか?!

1859年、作曲家ボロディンはロシア名門医科大学の公費で、ドイツのハイデルベルグ(ロマンチック街道が有名)の大学へ留学していました。化学の道を進んでいます。そこで後に結婚するエカテリーナ(写真参考)と出会うこととなり、この曲はそれからちょうど結婚20周年のために妻へ献呈された曲です。

【1楽章】

 冒頭からボロディン(チェロ:男性を表すとされることもある楽器、パート。略号はVc)が歌い、エカテリーナ(ヴァイオリン:女性的と表現されることが多い楽器。略号はVn)がそれに呼応するかのようなテーマ。アマチュアのチェロ弾き(セロ弾き、チェリスト)だった彼はチェロの役割を自分に重ねているようです。ちなみにエカテリーナはピアニストだったようです。

 さて、この楽章は途中からFis-Mollに変化し、ヴァイオリンでは鳴りにくい調となり、ややこもった調子となります。Fis-mollは「大いに憂愁のこもったものであるが、悩ましげで恋に夢中になっているような感じを表す。さらに、孤独な厭世的なものを有している」とバロック時代に語られています。まさに2人の出会いの初期の不安定で希望と失望が混ざったような、そんな心情を表しているようです。

 ところで冒頭からこの音楽の顔ともいうべきメインとなるテーマの奏法について。譜例1を切り取ってみました。これは、図の下に示すように繋がったスラーで演奏されることが多いようです。けれども私は、(恐縮ですが)このスラーはオリジナルどおりに厳密に弾いた方がよいと考えています。

譜例1

 なぜなら、これはロシア語の発声の特徴を示しているからと思うのです。本曲のテーマは「愛」であることは確かですが、たとえば愛の言葉などの例ではロシア語でЯ тебя люблю(YA/tebya/lyublyu) といい、3つに分離した独特なアクセントとなります。嬉しい(Я счастлив)などでもそうですが、譜例の部分はきわめてロシア語的な発音です。オリジナル通り分けて弾くことにより、弓の返しの都合上とても唐突なアクセントが付いてしまうデメリットがありますが、スラーでも弾き分けることは可能です。オリジナルに従うことでより人が語るように自然になる、と思うのです。
 ここで誤解のないよう書きますと、こうした事には正解はなく、また主張が正とするものでもありません。実際に本家ボロディン四重奏団では歴代、オリジナル通りではなくこの「今日多く演奏されるスラー」のほうで演奏されていますので、ロシア人がそう弾くくらいなのでこれは単なる考えすぎかもしれませんね。一方で日本の弦楽四重奏団の多くはオリジナルで弾いていますので、譜面への忠実さや態度が表れている、とも言えそうです。
 この考えのヒントとして見つけた記事ですが、アメリカの音楽評論家Elizabeth Dalton氏の文献のabstractには、この曲は「....that is identifiably Rusian, with its long melodic lines and richness of colours and rythms..」とあります。やはりロシア語的な響きはあると私は思いますので、私は必ずオリジナルで演奏します。

 さて、楽章の最終部に参りましょう。譜例2を切り取ります。p→ppへの進行はどこか遠くに消えてゆく様子、そしてVn & Vaがだんだんとdim.し消えてゆき、Vcが下から何かを思い出すように浮上してきます。サンクトペテルブルクよりバルト海のはるか向こう、初々しかった当時2人が出会ったドイツを遠く眺め、蒸気船(当時主流は外輪船)が水平線の夕日の向こうへ汽笛とともに徐々に消えてゆく様子の向こうに当時を回想しているようにさえ感じられます。その向こうに当時2人が出会いまた滞在したドイツのほうを眺めながら、一方で彼がいま最愛の妻とそこにいる時空への長い回想が、最後の全音符で括られるのです。ボロディンは温厚でロマンチストだったといわれていますが、そんな彼の一面が垣間見えるような素敵な締めくくりではありませんか。このシンプルで情報量の少ない全音符ばかりの部分ですが、ここには楽曲の背景を知るためのまさにいろいろな手がかりや情報が詰まっているのです。

譜例2

ボロディンは当時どのようにサンクトペテルブルクからドイツへ向かったのか?

 ところで、先ほど"船"と書きましたが補足が必要です。結論から、私はボロディンが留学した時、陸路ではなくバルト海をドイツへ向かったと推測しています。そこで、当時の交通手段について少し考えました。

 ①当時大陸横断鉄道は建設の途上もしくは機関車の黎明期にありました。ボロディンがハイデルベルクで研究に没頭していたころ、まだドイツで大規模な鉄道網の構想が提案されたばかり(1830年代から当時の政府が本腰を入れる)ですので、ロシアからドイツまで行ける大陸横断鉄道は未施工。主流はまだ馬車か船の時代でした。シュトラウスの『薔薇の騎士』公演のためにヨーロッパ各地から特別長距離汽車が組まれたりするのは半世紀以上も後になります。

②ヨーロッパの世界情勢を考えて、ドイツ帝国の発生と、イタリアの現代の姿への統合が進む世の中。クリミア戦争直後でとくに不安定なトルコ北方を通行し、何日もかかる馬車で陸路を行くのはなかなかリスキーです。混沌とした世界の影に盗賊や"おいはぎ"などが跋扈していたことでしょう。ボロディン自身が貴族の血筋だったことも考えれば、やはり陸路を進んだとは思えません。不可能ではないでしょうが、かなりの長旅です。

③論文「18世紀初頭ロシアにおける近代化政策と教育」佐々木弘明によれば、ロシア帝国時代はピョートルI世から、優秀な学生を他国へ派遣し国の文化の発展に寄与させるという動きが始まっています。今のエストニアのタリン(当時レヴェリ:Ревель)から船で学生を派遣したそうです。そのならわしは暫く続くことになり、ボロディンも最優秀な医学生であったので、かれもこれを利用したと考えるのが自然だと思われます。

④論文「サンクト=ペテルブルクとロシア系ユダヤ商人」塩谷昌史によれば、18~19Cにかけてサンクト=ペテルブルクでは経済活動が急激に活発になり、ヨーロッパ各地と通商のうえで玄関口だったと記録されています。

以上より、ボロディンはドイツへバルト海を船で向かったのではないか?と勝手に結論します。

 またその船についても興味深い発見です。1楽章最後の長い3つの音に着目します。今日でも船舶の法令では「航海用具の基準の定める告示」に、汽笛の規定については出航時に3回鳴らすというのが載っています。譜例2の最後の部分では、全パート最後のスェルマータの前に同じ音を3回繰り返しますが、船が出航するサンクトペテルブルクの港にて、ボロディンが聴いた音あるいは旅の始まりとしての動機の音かなのかもしれません…

【2~3楽章】

 おそらく中間の2つの楽章は2人の仲むつまじい様子そのままだと思いますが、印象的なのは3楽章のノクターンのテーマのあとに挿入される、特徴的な駆け上がる音形。ロシアの湖の水鳥を連想させます。湖面を高速で足で蹴って跳ね滑走し、羽ばたかせてフワッと浮き上がる様子です。水しぶきで歪んでいた湖面が鳥が飛び立つことによって鏡のように滑らかになり、しだいに空と鳥を、そして自分たち(ボロディン達)が映って…と、そんな景色を2人で眺めているのでしょう。

 じつはボロディンはこの楽章については、ペテルブルク郊外の安心する感じを表現する試みである、などとコメントを残しています。同世代のプーシキンの『オネーギン』のような、細やかな情景描写がうかがえる美しい楽章といえるのではないでしょうか。

【4楽章】

 「為らざるべきか?」と始まる独特な響きが強い印象を与えます。最初は食わず嫌いでしたが、この楽章はとっても意味のあるもので、全体でも重要な役割を担っているように思います。これは二人の仲に黒雲が立ち込める、嫌な予感そのもの。エカテリーナの肺結核に対する絶望と容体の心配ではないでしょうか。またこの冒頭は、一般的にベートーヴェンの四重奏曲第16番の最終章冒頭の引用といわれています。ベートーヴェンへの畏敬の念とともに、当時不治の結核病への恐怖、即ち最終章=最期の予感であり、そうしたものの暗喩のようでもあります。

 しかし2人は、そのような難を乗り越えてゆくのでした。次第に早まるテンポはまさにお互いの鼓動の高鳴りのよう。たびたび陰を落とす妻の結核に悩まされてもなお続く2人の生活は、彼の大学の教え子や音楽家(通称、ロシアの強い五人組)など、たくさんの人に囲まれ多忙な日々だったといわれています。これは音楽では長調とも短調ともつかない様な不安定さと、どことなく愉快な様子、そしてあとに続く速いパッセージでもって華やかで目まぐるしく忙しい毎日を表現されているかのようです。

 そしてフィナーレではとってもとっても高いDの音を1stヴァイオリンが、そしてドラマチックな和音が下に続きます。即ちこれは、高く、高潔に、わたしたちよ永遠に!と言っているのです。そして、色々あるけれど、こうして今ここにいるよと、バルト海の向こうの昔の自分たちを、沈んでゆく夕日の向こうに見ているようなフィナーレ…。

 1stの8ポジションの指示("...(8)..."の記載のあるところ)は自筆譜にもそのように書いてあったかはわかりませんが、指示のはじめから最後まで数えては20小節続きます。この曲が結婚20周年のために書かれたことに関係あるのかもしれません。

ーーーーーーーーーー

さて、中々長大になってしまいましたが、そろそろ自分が我に帰らないといけません。実際は写実的な描写ではなく、内なる高揚のような概念的な動機を込めている、ということも大いにあり得ますので、断定は禁物です。

演奏を何度も重ねてもよく分からない曲は多く、その場合は「そうではないか?」の結論のために、なんら関係ない事まで調べ寄り道しなければならず、またトントン拍子と思えばちゃぶ台返しに遭い全て覆されてしまい、そして発散して訳が分からなくなります。それでもある種の確信?を得るわけですが、結局最後は個人的想像の域を出ず、それを文なり音なり具体的にすることが果たして正しいアプローチなのか見当もつきません。確かなことは、作曲家の言いたいことはそんな事よりもはるかに多く、それを追うことは果てしなく、また深いという事なのでしょう。ただ、よい作品は誰かと共有したい衝動に駆られます。(曲目紹介にはとてもおさまらず、せっかくなのでここで投稿しておきます)

少し前になりますが、NHK交響楽団によるアブラハムセン作曲のホルン協奏曲の日本初演にて、およそそういう表現にまつわる諸問題について、とても考えさせられました。これは音楽の喜びというか、もはや"創作"に対する尊敬と畏怖といった感情でした…。


出典:Ivan Konstantinovich Aivazovsky(~1990)
出典:Ivan Konstantinovich Aivazovsky(~1990)
出典:Ivan Konstantinovich Aivazovsky(~1990)
外輪船
Ekaterina Protopopova


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?