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【エッセイ】スマホ嫌いになっても、この世界に感謝したかった。

こんにちは。長尾早苗です。

2週間ほど在宅仕事が忙しいのが続き、本当に近しい家族としか話せないお盆でした。我が家はみな在宅仕事がメインのため、わたしはいつもはコワーキングスペースに通っているけれど、なんだか心に余裕が持てなくて……コワーキングスペースに行くバスにも乗れず、コワーキングスペース以外ではほぼスマホは見ずに音楽を聴くだけの自分時間にひたる、ということもできませんでした。苦しかったです……
先日から、リハビリのようにしてコワーキングスペースにバスなしで向かい、思いっきり汗をかいて自律神経を整え、コワーキングスペースの知人やスタッフさんとたくさん話をして笑い合いました。金曜・土曜・日曜とこれから11月まで人の前に立ったり、人の前に作品を見せる仕事が増えそうなので、「仕事の基本」について考えてみました。

SNSが色々変わってしまって、今まで使っていたサービスが次々有料になって、わたしとしてはとても困りました。
業務としてSNSは使っていたし、そこから人が離れてしまうとパソコンで一括管理ができなくなってしまうのも、とても心苦しいことだったのです。
スマホは楽しいけれど、24時間一緒だと疲れてしまったり、忙しかったりするとぺしゃんこになるほど自分がつぶれてしまうことがあります。
頭の中が飽和状態になって、友人にメッセージは送りまくるわ、心が揺らいで涙は出るわ、で本当に大変でした。
無理をすると本当に体が簡単に壊れてしまったり、つぶれてしまったり。それでも無理しなくちゃいけないぎりぎりのラインがあって、わたしは家にいるとその「ギリギリ」を見いだせずにいました。

そんな時にいつも思うのが、宮沢賢治を大好きな父の教えでした。

父から受け継いだもの

以前、派遣社員・委託社員として職場で働いていた時期がありました。わたしは闘病と、資格を取るためにとても忙しくしていたのでほぼアルバイトなど社会経験が0だったので、通勤路が途中まで同じだった父に、通勤途中に教えてもらったことがいまだに忘れられません。

仕事はリズム

父は公務員として20代から色々な役職についていました。わたしたち兄妹3人が生まれて、父も父なりに仕事が忙しくなったし、当時の憧れのマイホームも買ったばかりだったので、今思えば父や母の今の登山や旅行三昧は、わたしたち3人が独立するまでの30年の我慢だったんだなと思います。
父は職場や作業場所についたら、まずはお手洗いに行くことを勧めてくれました。まずはみだしなみのチェック。襟が曲がっていないか、みだしなみはきちんとしているか。それから、今日の仕事のタスクを紙やメモに書き出していくことが重要と言っていました。
タスク管理も仕事のうちなのだから、絶対に家でやるなという教えです。
今ではそれは守れていないことも多いけど、今思い返してみれば大切な教えでした。
仕事はリズム。まずは元気な挨拶をして、午前中は「仕事の波をつかめ」。午後は「仕事の波に乗れ」。
どのくらいのピークで一人作業を終わらせるのか、何曜日に何を片付けるのか。
今はそのタスク管理をわたしはNotionというアプリでしています。
フリーランス向けやクリエイター向けのタスク管理・仕事管理アプリはたくさんあるものの、本当に便利とおすすめされて使ってみました。
今では急に来た仕事にも対応できるよう、タスク管理はスマホの中のNotionに入れて、スケジュール帳やリーディングリストとしても使っています。
今度、コワーキングスペースのイベントでもNotionの勉強会があります!楽しみ。

仕事のABCを守れ

父は人事の仕事をしていたり、今の役職に就く前は管理職としても働くことが多かったそうです。
そんな時に新入社員に向けてよく言っていることをわたしにも教えてくれました。
仕事は「A当たり前のことを」「Bバカになって」「Cちゃんとやる」。
父らしいけれど、今わたしが仕事の基本を忘れそうになった時、よく身にしみて思い出します。
今のわたしも汗まみれだけど、その教えを教えてくれた父も汗まみれでした。夏は二人で駅の近くのコンビニに早朝行ってコーヒーを買って、涼んで色々なことを話しました。

アナログ気質 ないなら作る

父は祖父を早いうちになくしていました。
だからこそ、父は父なりに「どんな家庭を作りたいか」という理想像があったように思うし、今わたしが思い出せば、父は父親になりたくて、育児も仕事も両家の両親にも、家族サービスもすごくがんばっていたように思います。当時父は祖母一人に育てられていたため、よく本を読み、スポーツをすることで自分を磨き上げていった人でもありました。その時に父に大きな影響を与えたと言っていたのが「宮沢賢治の銀河鉄道の夜」で、その後父は高校時代、影絵の映像作品で「銀河鉄道の夜」の監督をすることになります。
その頃から「晴耕雨読」は身についていたそうで、「まずはイメージを紙に書き出すことから。ないものは作れ」というポリシーでした。
だから今も、家庭菜園での父の作業は続いています。
わたしの本棚も、父のDIYのたまものでした。

ペシャンコに押しつぶされそうなとき

わたしの仕事には定時がありません。
その代わり、土日祝の方が仕事が忙しかったり、体調と裁量で仕事の分量やスピードを決めることができます。
そういう時は父の仕事の基本を守りつつ、わたしの先生たちがどう働いているのかを見ていたことが今のわたしにつながりました。
メールをどんなに忙しくてもチェックしたり、スマホや電話とうまくつきあっていったり。
そういう詩人の先生たちがたくさんいる大学に行けたのは、とてもラッキーなことだったように思います。
今はわたしはコワーキングスペースでだいたい一日の仕事が終わるまでいて、家族との仕事の〆切やお互いの忙しさを見ながら、どのくらいなら自分が押しつぶされないかなどを考えるようになりました。

書くことを生きることにしていること

なかなか「書くことを生きることにすること」は難しいのですが、コツコツと地道な積み重ねと、ご縁や運だったりします。
わたしにはいわゆる「職場での仕事」が向いていなかった。
でも、フリーランサーとして事務仕事や執筆・編集・校正・画像処理・経理などの仕事を全部一人でやっていかなくちゃいけないのを知ると、おのずと自分がどの仕事ができてどの仕事ができないというのがわかってきます。
書くことだけが仕事ではないけれど、こうやって一日仕事を始める前のアウトプットとして、生きることと働くことと暮らすことが同居しているのはとてもいいことなのかもしれません。アヴァンギャルドな生き方なのかもしれませんが、わたしにはこれしかなかったんです。
そして、これから先また変わっていくかもしれません。

避難場所・逃避場所のありがたさ

わたしの家族は実家以外はみな、家で働いています。
テレワーク・在宅ワーク・ノマドワーカーということばが一般化したのはここ最近ですが、わたしにとってはコワーキングスペースで知人と仕事をする「場所」が必要だと気がついたのは一年以上前でした。
小さな子からおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなが勉強していたり本を読んだり仕事をしていたり、雑談している場所。
大きく言ってしまえば公民館のような場所が、わたしには必要でした。
また、ここ何年かでなくしてしまった「通勤」というものや、「作業場所でのオフラインで話せる人」が必要でした。
自分が一人の作家として、それ以前に人として、ご近所の人たちと雑談したり仕事ができたり、イベントがあったりする場所。
そういうものと「家」をきちんと分けていたかったんです。
そういう場所で年末年始以外働けたり、仕事やイベントが発生していくのはわたしにとってとても楽しいことでもありました。
家族とは仕事のポリシーも休憩時間のとり方も違うけれど、それでもみんなを守るためにも、わたしは家事を分担して働くこの生き方が好きです。
そしてそのことを受け容れてくれる家族も、ランチを別々にとっていても、決して崩れない関係性があることがわたしにとっては救いでした。

今までとは少しずつ変わっていく世の中だけど、オフラインの世界の中ではけして変わらないものがある。
それの波に乗りつつ、今日も仕事を夕方までがんばっていこうと思います。

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