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ヤング アダルト ニューヨーク

ノア バームバック監督映画、3本目としてヤング アダルト ニューヨークを鑑賞。
原題はWhile we’re young。
毎度のことながら、邦題が決定するまでの会議を覗いてみたい気持ちになる…。

この作品もまた、見ていて苦い思いをするような作品だった。
ベン スティラー演じる主人公の心情がとても理解できるのが辛い。
不器用で生真面目な人間は器用で狡猾な人間に簡単に利用される。周りからすると利用されたなんてことは大したことないことなのだ。辛いけれどそれが現実。
皆、自分なりの理念を持って生きている。どれだけ自分の理念に沿って真面目に努力したかなど周りには関係ない。方向性は違えど相手も相手なりの理念に沿って努力した結果が結果となって現れたのだ。

主人公寄りな考え方の私は、アダム ドライバー演じるジェイミーを見習った方が良さそうだ。
自分が使える最大限の可能性を利用する。
理想の結果に自分を導くように周りを利用する。
かなりの策略家でないと毎日息が持たなそうだ。
ただ、自分の理論に固執しすぎず、柔軟に理論を変えていく点は少しずつでも取り入れられそうだ。

映画では若いアダム ドライバーが狡猾な人間の役だが、若いから柔軟で狡猾だとか、若くないから頑固で生真面目だとか、年代による区別は出来ないと思う。
映画を観終わる頃には、歳を理由にしてしまっている主人公のそういうところがダメなんだよな、という考え方に自分自身が変わっていて驚いた。
色々と考えさせてくれるテーマを与えてくれる映画は素敵だ。

最後に、何故舞台がニューヨークなのかという点について。
ニューヨークには沢山のチャンスが転がっているからなのだろうか。
著名人行きつけの喫茶店に出向き、お目当ての著名人に会えればコネクションを作れるかも知れない。
ニューヨーカーはニューヨークに住んでいるということを最大限に利用することで成功に一歩近づくのだろうか。
周りの人間は想像以上に色々と策を考えて生きているという現実にもまた苦い思いをさせられる。

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