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父との約束

私の父は故人だ。
私が10歳を過ぎた頃から、私の一番の理解者だった。人生の前半、子供から大人に成長する過程で、最も影響を受けた人物でもあった。私が20代前半の頃に病死したため、あと数年経てば、父が消えた世界を生きた年月の方が長くなっていく。父との死別から10年以上経って、ようやく、ありし日に交わした言葉達を、悲しまずに思い出せるようになってきた。

これは、私が10代後半の頃の出来事だ。
父は自分の死後について、私にある言葉を託していた。

魔物の習性

父は、私の母方の祖父と曽祖母の死後に、魔物(親族)が吠えるのを散々見てきていた。
曽祖母は、自分の死後のあれこれを入念に準備していたため、生前の希望が叶えられた。しかし、どれだけ計画が決まっていても、魔物は吠えることをやめられない。これは、私も間近で見聞きしていた。思い出しても悍ましい。

父は、私が生まれる前、祖父が亡くなった時の話をしてくれた。魔物達は生前の祖父の意向を無視して、好き勝手に暴れたらしい。
祖父は常々「墓には入りたくない。遺骨は散骨か自宅保管をしてくれ。仏教徒じゃないのだから、寺の人間を呼ぶ葬儀はするな。戒名なんかもつけるなよ!」と親族一同に常々言っており、皆、その時は同意していたという。
しかし、祖父の死後、誰かの縁故の寺からお坊さんが呼ばれ、盛大に葬式をし、祖父は墓に入り、自宅には立派な仏壇と位牌が鎮座したという。戒名もバッチリついていた。
魔物一同は悲しみの中にいながらも、一般的な慣習をやり切った、という充足感を語っていたそうだ。その後も三十三回忌まで、お寺さんを呼び法要も完了させている。

父との会話

当初、父なりに周囲の説得も試みたが、その声は彼らの耳には届かなかったらしい。

🐅「義理の息子じゃ強くは言えないし、故人の配偶者が決めたなら口出しも憚られるよね。他の人達も、失った悲しみが宗教で救われるとか、拠り所がほしいって思ったかもしれないし。」
🐈‍⬛「うーん?? ばあちゃん、信心深いっけ?」
🐅「その様子はないね。大叔母さん夫婦だけは、お遍路さんもしてたし、熱心かもね。」
🐈‍⬛「死人に口無し?」
🐅「そうなってしまったね。故人の意向に添えず残念だったよ。散骨も家族葬も一般的でない時代だったのもあるかもね。」
🐈‍⬛「でもさ、本人から聞いた時に「いいよ」って言ったなら、それを覆すのは裏切りじゃない?」
🐅「皆、何も考えていないから、そうなったことにも気がついてないと思うよ?」
🐈‍⬛「皆、すっごい長生きしそうだね…」

彼の死生観

こんな話をしていたら、父の宗教観や死生観についても話してくれた。
神は信じていない。いるならば、世界はとっくに救済されているけれど、そうは思えない。偶像崇拝は、人間の文化・芸術・歴史としての側面が興味深い。心のよりどころがあると信じただけで、安心したと錯覚できたり、歪曲して責任転嫁もできてしまう。揺り籠から墓場まで、関連行事が幾度もあり、経済効果もバッチリだ。よって、宗教は人間が存在する限り、廃れないと考えている。

自分は、故人を想う時、宗教や特別な道具や儀式は必要ないと思っている。誰かが思い出したら、その時、そこが故人の居場所になる。その人を知る人達もいなくなる頃には、世界は大きく変化している。そうやって、古いものは人知れず歴史の一部になっていく。けれど、故人やその周囲の人間が、宗教によって救われると感じたいなら、信じるものの邪魔をしようとも思わない。だから、日本でメジャーな葬儀や法要に参加する時のマナー位は覚えている。
自分に限って言えば、こんな考え方だし、墓守だとか、法要だとかに、残った人の時間もお金も割いてほしくない。一度作った墓や儀式は、壊すことが難しくなったり、壊した人が非難される。故人は意思を持ってそこにはいないのだから、無理矢理場所や機会を作らなくていい。生きている人間が最優先だ。生きて残った人達に、資源は使われるべきだ。自分の死後、これが完遂される目処が立っていたら、思い残すことはないよ。

父との約束

父の考えに、本質的に理解・共感してくれる人間は少ないだろうことは、すぐにわかった。母方の親族は、まず無理だ。魔物に言葉は通じない。父もそれを十分理解している。

🐈‍⬛「じゃあ、お父さんの番が来た時には、誰かが揺るぎなく主張し続けなきゃいけないよね?」
🐅「そうだ。君の母さんでは無理だろう。彼女の親族連中が集団で何か言い出した時に、突破して説き伏せるだけの言葉や頑固さを持っていないからね。同じ理由で、君の妹も厳しいだろう。しかも、親族達にとって、彼女の優しさは弱点として、攻撃され続けるだろうから。」
🐈‍⬛「私に頑固さ爆発しろと?」
🐅「いや。しろとは言わないよ。ここまで話してあったら、大丈夫だろうから。」
🐈‍⬛「じゃあいいよ。その望み覚えておくよ。」
🐅「うん。頼もしい限りだよ。これで安泰だ。」
🐈‍⬛「父母がどっちも亡くなった後は、私と妹で散骨かダイヤモンドでも作っていい?」
🐅「うん。2人の希望と負担の少ない方法で最後の片付けをお願いしたいな。」

こんな会話があって、まさか数年後に、父の望みを叶える日がやってくるとは思っていなかった。
まずは私が大学を卒業する姿を見てもらって、次に望み通りの就職をした結果を父にだけは自慢して、稼いだお金で小さい頃にできなかった家族旅行のやり直しをして、最後に老いた父にもう一度死生観の再確認をして、それから、もっと先に出会う出来事だと思っていた。

完遂

その年一番の寒さを記録した、雪の降る冬の夜、父は循環器系の病気で倒れ、急死してしまった。
私は学生で、妹は成人すらしていない。母は動揺のあまりフリーズしていた。悲しまずにはいられないが、やるべき事も押し寄せている。
母から知らせを受けた、母方の親族達が病院に集まってきた。父の兄姉は、遠方にいることと、あまりにもショックが大きすぎて、すぐに動くことができないでいたらしい。

集まってきた親族は、これからの葬儀や墓やらの話を一斉に始めた。この団結力と行動力はありがたいが、まずは、父の希望を説明せねばならない。
母に、私がこの場を取り仕切って良いか確認すると、無言で頷いてくれた。さっそく、ガヤガヤし続ける魔物達を、一箇所にまとめて座らせ、父が望んだ内容を説明し、私はそれを遂行したいと申し出た。

🧟‍♂️「墓がないと困らないか?」
🐈‍⬛「何に困るの?父も私も困らない。」
🧟「何にっていうか…みんなつくるものだろう?」
🐈‍⬛「父の望みは、墓に入らないことなの。祖父の話も聞いたよ。祖父もいらないって言ってたけど、入れたんでしょ?」
🧟‍♂️「そりゃぁ、墓はないとまずいだろう。」
🐈‍⬛「何が不味いか言ってみて?父の望みを聞いていたのに、それをしないってことは、父を裏切ることだよ?裏切りたい?私は絶対に裏切らないよ。」
🧟‍♂️「………。仏壇もないと、法事もできないし、戒名がないと成仏できないぞ。」
🧟「例え娘でも、1人の意見で突き進む方が、どうかしてるぞ!」
🐕「娘の話していることは、彼の考えよ。私も聞いていたけれど、今はショックすぎて、みんなに上手く伝えられそうにないの。この場は娘にお願いするわ…」
🐈‍⬛「父はこの状況も予測してた。だから、私は託された話をしているの。父は神を信じていないと明言していたの。信じている人にとって、その宗教は救いになるけど、彼にとっては救いにならないの。彼の子供の私にとってもね。例え話だけど、キリスト教徒に、仏壇と戒名を強制しないでしょ?神を信じていない人は、信じていない人のままでいさせてあげて。」
🧟‍♀️「墓や仏壇の前で手を合わせたいと思った人は、どうすればいいの?」
🐈‍⬛「好きな場所で、好きな時間に思い出してあげて?父はそうして欲しいと言っていたの。きっと喜ぶからしてあげて。どうしてもモノが必要なら、写真を渡してもいい?」
🧟‍♀️「わかったわ。写真を飾らせてほしい…」
🧟「葬式はどこでやる?」
🐈‍⬛「葬式はしたくないんだけど、いつまでも病院にいられないから、明日火葬場にいくまでに、父と今ここにいる家族と親族がいていいスペースが欲しい。宗教的な要素はなしで、どこか場所はある?お金はないから、なるべく安いところで。」
🧟「任せろ。知り合いに頼むから、電話してくる。」
🐈‍⬛「ありがとう。金銭的な話は母も挟んでね。」
🧟‍♀️「好きな花はあった?飾ってあげてもいい?」
🐈‍⬛「あったよ。詳しく教えるから、少し調達して飾ってもらってもいい?」
🧟‍♀️🧟‍♂️「お花は私達に任せて。」
🐈‍⬛「ありがとう」

こうして、魔物を集めて、まとめて説き伏せた。
私だって悲しい。ぐちゃぐちゃに泣きたい。けれど立ち止まったら、立ち上がれない直観があった。

火葬場

父の死んだ翌日は、前日の寒さも雪雲も消えて、明るい晴れた空と太陽に照らされて輝く雪が眩しかった。
親族と私達は、小さな家族葬の部屋を借りることができ、午前中のうちに火葬場に向かう。ワゴンタイプの地味な霊柩車を借りてもらい、棺と一緒に最後のドライブをした。
この時、窓から輝いて見えた、雪や冬の川の様子を私は一生忘れないと思う。美しいと同時に、何事もなく登った太陽が世界が恨めしかった。

変化

火葬場では叔母に、帰宅後は母に、父の気持ちを尊重する行動を起こしたことに、お礼を言われた。彼女らに感謝されたいわけではなかったが、父のほか彼女達にとってもよい結果を出せたのなら、よかったと思う。
3倍以上も歳の離れた魔物達に、1人で立ち向かい譲らなかった私の中に、彼女達は父の存在を感じたと言う。そういえば、面と向かって、魔物に立ちはだかり、意見を譲らなかったのは初めてだったかもしれない。
私にとって、父の死後の願いを叶えることは、彼との最後の約束を守ることだ。約束は絶対だ。これを聞き、理解していて、裏切る選択肢は持ち合わせていない。

その後、父を亡くしたと同時に、私は自分の中の一部も完全に失った事に気がついた。無邪気に未来を待ち構える心は消え失せた。
この出来事と、無事に決まった就職とその先の激務によって、鬱病の再発を何度か経験し、その度に価値観の更新を繰り返した。失った感情の空間を埋めるように、危機管理と回避の能力が高まっていった。

私の細胞と思考は、父がいなければ今の形につくられていなかっただろう。当時の唯一の理解者でもあった。最期に、身近な人間の死が周囲に及ぼす影響を、真に理解させてくれた存在にもなった。
再発のたびに、私の内側から湧き出る希死念慮を、現実のものとしないように、生々しい死というものを学ばせてもらったとも思う。

今、父が親になった年齢に近づき、私も娘を持つ親となった。娘の気質や成長、この数十年で変わりつつある世界とその先の未来について、父と語り合いたい考えが積み上がっていく。
私と娘は、夫と3人で、父は見られなかったけれど、きっと望むであろう世界の未来を見ていきたい。そして、その未来を出来る限り、最適化していきたい。

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