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ランドセルと魔物 祖母の呪い

今の時代は、子供達のランドセルがカラフルになった。
ランドセルを使わない選択肢も当たり前に存在する。
持ち物や身につける物の選択肢が増えて、周囲にも受け入れてもらえることは素敵なことだと思う。更に製造と消費によって成立つ社会の中で、持続可能な選択肢を増やしていく試みも、大人の責任のひとつとしてみなされるようになってきた。
昭和生まれの私にとって、大人達が用意したランドセルの選択肢は、女の子は赤、男の子は黒、お金持ちはたまに茶色、しかなかった。

耐えられない…

私もランドセルを買ってもらったが、2ヶ月と少ししか使っていない。自分で選ばせてもらえなかったからだ。

なんて我儘なんだ!幼稚すぎる!
買ってもらえるだけありがたいと思え!
もったいない!というお叱りを今も受けるだろう。
実際に受けてきた。それでも耐えられなかった。

約束と違う

「そろそろランドセルを用意するから一緒に選ぼう」という話を父母から聞いた時に、私は憧れのカバンについて力説した。古いヨーロッパの学校が描かれた映画で見た、茶色で横型で手持ちと背負いができる鞄だ。ランドセルというものは知っていたが、これを自分が背負うイメージは全くない。両親からも、ランドセルでなくても学習用鞄ならなんでも良いと言われていた。理想の鞄と同じものがなくても、似た色やデザインを探させてほしい。この話を夢いっぱいに語っていたら、数日後に母方の祖母から真っ赤なランドセルが届いた。父母も驚いていた。
祖母は、赤色が私の嫌いな色であることも知っている。けれど、女の子のランドセルは赤色一択だと信じているのだ。
使う人間の希望は聞かれなかったが、与えられたことへの感謝は求められた。
私は困惑した。順番が違う。まず聞いてくれ。
ただ、年上の人間への礼儀として、電話で一言お礼を言った。挨拶と一緒だ。
使うかどうかは、私の問題だ。

学校に通い始め、親に強制されて、渋々ランドセルを背負っていたが、毎日、このカバンをやめたい話を繰り返した。慣れない学校生活に加えて、目の上のたんこぶを増やさないでほしかった。
一方で妹は、このランドセルをとても気に入ったようで、ものすごく褒めてくる。それにも不快な気持ちになる。

何がそんなに嫌だったのか

まずは、勝手な態度だ。買ってあげた優越感を醸し出してくる。いい事をしたと勘違いしないでほしい。頼むから、悩みを増やさないでくれ。
次に色だ。テカテカ、ツヤツヤの真っ赤なランドセルは、目がチカチカする。見ていたくないほどに。この頃すでに、視覚過敏は全開だ。
そして致命的なことに、機能にも問題があった。
空でも重い。A4クリアファイルが入らない。給食用のエプロンや必要な教材も入らない。教科書とノートと筆箱を入れると、隙間ができて、歩くたびにガタガタうるさい。それなのに入りきらない荷物もあって、手が塞がる。雨で傘をさす日は本当に面倒くさい!

折れない

私は生まれつきの頑固者だ。ここには“超“がつく。
自分に関することは、自分で決めて納得して進みたい。
衝突は辞さない。解決策も模索するし交渉もする。自分を曲げないから、ウザがられる。それはとっくに承知している。
このときも2ヶ月、一貫してこだわり続けるため、母が参って、私と父との交渉の場が開かれた。

私は父に対して、①父母と一緒に選びに行こうと言われたのに祖母が勝手に決めて買った事は約束を違えている、②鞄の機能に問題がある、③私が貯めていたお小遣いで新しい鞄を買うつもりである、④私と違い妹がこのランドセルを気に入っているので、綺麗なうちに保管して妹に使ってもらいたい、⑤これ以上ランドセルを背負えというなら学校にいかずに家で勉強するつもりである、ことを説明した。どうせ、授業時間は暇なのだし、騒音にも悩んでいる。苦痛を抱えて受けなくても、教科書があればそれでよい。

その後、父は私の頑なさと一定の筋が通っている事実を認めて、私は新しいカバンを手に入れることができた。自分で選んだ紺色のナイロンの鞄だ。
ただ、このカバンを使うようになっても、若干のノイズはあった。
毎週のように意味もなく訪ねてくる祖母は、目ざとく私のカバンを見つけて、「せっかく買ってあげたのに」、「意地悪だ」などと小言を連発していた。父との話合いの経過を伝えても感情論しか返って来ず、私は祖母と必要最低限しか話さないようになった。
当時から、今も、我儘でどうしようもないこだわりだったと認識はしている。
それでも、外から何を思われようと、私の心の安定にとっての死活問題だったのだ。

周囲の事情

私の住む地域では、低学年でも数ヶ月しかランドセルを使わない生徒もチラホラいた。
その頃のランドセルに教材が入りきらないことも理由のひとつのようだし、誰が何を持っていてもとやかく言わなくてもいいだろう、という風土があった。
一方で、母方の親族は全く違う。魔物のオークなのだ。自分が受け入れられない価値観は全拒否される。考える、というステップは抜きだ。行動あるのみ、慣習ルーティンが拠り所、という人達で、私は常にかき回されていると感じていた。
父は彼らとは違って、一度立ち止まって考える、情報を仕入れる、また考える、意見交換する、そして結論を出す、という一連の工程をごく自然に行い、楽しむことも多かった。
母方の親族は父のことを一目置いてくれていたが、父は彼らに会うとどっと疲れるようで、基本会いたがらないし、会うと寝込んでいた。
今、当時の父と同じくらいの年齢になった私は、あの時の父と同じように彼らに会うと寝込んでしまう。

理不尽は避けて…

今、オーク達との接触は、最小限からゼロに切り替えて、自分達を守ることに注力している。
もしも、娘が彼らの輪の中に放り込まれたら、フリーズして再起動して、またフリーズして、壊れてしまうかもしれない。または、たくましく生き延びる方法を探して、這い上がってくるかもしれない。

不平等、不条理、多様性の損なわれた状態は、社会の多くの場面で出会ってしまうし、避けられない。この世界で育ち、生き、可能なら何かが誰かが少し良くなるように行動していくしかない。理不尽な魔物達との闘いだ。

私の目下の課題は、娘にいつから魔物と対峙させるかだ。
今、私たち夫婦は、強力かつ広範囲なシールドを張り巡らせて「まだ早い」と感じる要因は撃ち落とし、娘に近づけさせないでいる。それでも、保育園に通う娘は、相当数の不条理や理不尽に出会っているはずだ。
おそらく娘は、今は難しくとも、時がくればオークを仲間だとは認識せず、説き伏せるか、闘うようになるだろう。彼女の言動から、そんな可能性を感じずにいられない。
この先も娘の成長を見守り、信じつつ、その時を見定めていきたい。

再来…

私にとって、ランドセルは事件だった。
けれども、母にとっては違ったようだ。
母の決定的な暴走についても、書き留めていきたい。

続く…

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