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Captain Marvel に感じた多様性の未来

Marvel Cinematic Universe

私は2019年3月から、MCUにハマった。

それまで、鉄仮面ロボだとか、雷様、蜘蛛男のアメコミヒーローは、わざわざ時間を割く対象ではなかった。どうせ、ヒーロー役は男性達で、女性達は彼らの恋人役か救助対象の役で、ついでに途中の見せ場かその前に殺されるのが物語のお約束だろうとしか思っていなかった。

2000年代初期、Christopher Nolanの『The Dark Knight Trilogy』には惹き込まれ、特に、『The Dark Knight(2008)』が好きだった。Sir Michael Caineのアルフレッド、Heath Ledgerのジョーカーを何度も見たくなる。だから、アメコミ映画が嫌いという訳でもない。ただ、MCUと出会うきっかけがなかった。
ちなみに、私は気に入った映画・音楽・本は、セリフを暗記するまで見る癖がある。なぜか落ち着くのだ…。今はサブスクの恩恵でいつでも見放題だ。この癖は人に見せたことはないのだが、娘も全く一緒で、彼女はPeppa Pigをエンドレスリピートして暗唱している。

劇場予告編を見て

それが『Captain Marvel』は見てみたくなった。
Samuel L. Jacksonが若返っている!?
1995年の『Die Hard: With a Vengeance』みたいだ。彼の登場シーンも好きだが、ガロン容器に水を入れるシーンも一緒になぞなぞを解いて楽しんだ。あの頃の彼のリズミカルな雰囲気を、大人になった今、もう一度見られるのなら、映画館に行く価値がありそうだ。今ノッているMCUが、女性ヒーロー初主演作として、力を入れている。これで脚本も演出も残念だったら、まぁ、まだ時代はその程度だと思えばいい。そんなきっかけで、夫を誘ってIMAX3Dの劇場に足を運んだ。びっくりするほど上から目線での映画チョイスだが、既に世の中の物語の多くに期待を裏切られ続けていたのだからしょうがない…

物語に引き込まれて…

結果、私は映画の様々なシーンで涙ぐんでいた。
女性のみならず、マイノリティに散々ぶつけられてきたであろうセリフの数々。それらを跳ね返していく描写、女性同士の絆、娘が母に期待する関係性、紛争と難民の物語…。自身の力との向き合い方、枷に押さえつけられていた力と解放した後の力の使い方。
時代に沿った、優等生的なストーリーラインかもしれないが、これは子供も見ていい娯楽映画だ。こんな映画もあっていいじゃないか。もちろん、Samuel L. Jacksonは最高だ。最後は、皿洗いをしながら歌まで披露してくれた。
挑戦、闘い、世界との向き合い方、自分との向き合い方、楽しみ、悲しみ…。これらは、マジョリティや男性だけの物語ではないはずなのに、今までは彼らだけのもののようなメッセージしか存在を許されなかった。それらが、今回は、一人の女性を軸に展開されていった。
嘘をつかれ、真実を知った時に、彼女は真っ当な怒りを表し、全てを終わらせるために猛進していった。女性のエモーショナルな側面は、意地悪な描き方をされがちだが、この映画はそういった偏見を感じずに時間が経過して行った。
そして、私はこの映画で様々なメッセージを発信すべく仕事をした人々に共感し、感謝し、励まされた。

映画館の帰り道、レンタルビデオ店でMCUの作品達を借りて帰った。その後もサブスクや劇場等で、徐々に作品を見続けた。全ての作品が大好きな訳ではないが、脚本や配役にも時代の流れを感じることができ、面白かった。
世界を少しでもよくしようと、あがく姿、丁寧に描写される物語、クスッと笑えるジョークの数々は、“ただのヒーローもの”として括るには勿体無いと感じた。もちろん不発だと思った作品もあったが、良作や心に残るシーンにもたくさん出会えている。食わず嫌いをせずによかった。

変化の過渡期?

現代日本の映画やTVの世界では、『Captain Marvel』のような物語をつくることができないだろう。世界では、国際女性デー(International Women's Day)に合わせて公開されたが、日本はこの日程に合わせることなく約1週遅れで公開された。
このズレも、滑っている感じも、現代日本を忠実に表しているとも思った。
けれど、世界は僅かでも変わりつつある。#MeToo運動もそうだし、アナとエルサの真実の愛の解釈も、私が子供の頃だったら、存在を認めてもらえないばかりか、口にした人間も庇おうとした仲間も瞬殺されていたはずだ。
現に、幼児時代、白雪姫の王子の言動も、人魚姫の受けた仕打ちも、容認できないと訴えたことで、せっかくの童話に水を差す子供として疎まれていた。ようやく、違和感なくフィットする物語に出会える時代が来た。

私の迷い

ちょうどこの頃、私は、私達夫婦は、子供のいる人生を選ぶか、大人2人で過ごす人生を選ぶか、真剣に考えているところだった。
日本社会で、女性として生きていくことは、本当にしんどい。何かしても、しなくても、どちらもだ。特に、目的や主体性を持っていたり、自分の意見を述べたり、そういったことをしたい/できる人は、攻撃対象となる。
これらを望まれるのは学生までで、広く社会に出て生活しようとすると、余計だと思われる部分は一気に刈り取られたり、杭を打ちつけられたりする。そんな社会に、子供を放り込みたくないことが、私が子供を持つことに躊躇する最大の原因だった。

未来を信じて

過大解釈と言われても仕方ないが、『Captain Marvel』が存在できる時代が来たなら、私の子供が大人になる20〜30年後、もっと多様性が尊重される世界が近づいているかもしれないと勇気をもらった。
そして、私も、その世界を作るピースの一つでありたいと願うようになった。約30年生きてきて、折返し地点を迎えた私に、新たな目標ができた。

子供のお世話は、平たく言えば誰でもできる。けれど、母や父の役目は、それら以上に、考えや生き様を見せることだと思っている。私は、学生〜社会人〜結婚と通過する間に、社会が規定する性別の枠組みに縛られ、削られ続けてきたが、私自身も目指すものや姿を見失っていたようにも思う。私の学業や仕事環境では、偏屈で頑固者な女は、十分マイノリティだったし、過去も闘い続けてきていた。今まで何もしなかった訳ではないが、目標を持てば、更に遠くへもっと速く、漕ぎ出さずにはいられなくなる。

この時は、自分が娘をもつ母親になることは知らなかったが、性別や属性にこだわらず、多様な価値観の実現に寄与することは、自分にとって非常に価値のある目標に思えた。壮大な目標に聞こえるが、私がまずやるべきことは、自分の見える範囲、手の届く場所から、助け合いや軌道修正の繰り返しを諦めないことだ。

MCUに子供の未来を見出すなんて、馬鹿げているかもしれない。けれど、私にとっては何であれ、よいきっかけをもらったと思う。
娘と一緒の生活を始めてからは、私達は娘のいない人生は考えられなくなった。体を壊したり、働けなくなったり、困難な時期も訪れたし、またやってくるだろう。
それでも、彼女のいる人生には喜びと希望がある。知らない世界を知ることもできる。

MCUの世界も年数を経て巨大化し、映画やドラマが毎月のように、次々と打ち上がっている。私は嬉しい限りだが、時間を割けないと、古株がついていくのも、ご新規さんが入ってくることも、ハードルが高くなっている気がして悩ましくもある。
先のことはわからないが、これからも世の中の動きを感じ取りながら楽しめる娯楽のひとつとして、長く付き合っていければいいなと感じている。

私の野望の一つは、成長した娘と一緒に映画を見て「『Captain Marvel』のメッセージなんて当たり前すぎる!あえて言う必要もないじゃない?ママはこんなのに感動したの!?」と彼女に言われることだ。
私はそんな世界を歓迎したい。

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