死花-第3話-⑤

「ただ今戻りました。」

京都のビジネス街の一等地に事務所を構える、丸橋法律事務所。

規模は小さいが、民事も刑事も取り扱うこの弁護士事務所に入所して半年と少し。

様々な依頼人の人生に寄り添うような、きめ細かい仕事ぶりが評価され、真嗣はそれなりに多忙な日々を送っていた。

「区の無料相談会終わりました。収穫はありませんが…」

あははと苦笑いしながら、所長の丸橋弁護士の元に行くと、ふくよかな初老の男性は、ニコリと笑う。

「谷原先生、最近働き過ぎでしたから、少しお休みしても良いんですよ?」

「いや、雑用とか…刑事弁護以外なら、なんでも回してください。僕、今忙殺されたくて…」

その言葉に、丸橋は困ったように眉を下げる。

「休むのも仕事の内ですよ?谷原先生。それとも、何か悩みでもあるんですか?」

「あ、いやその…」

言えない…

男性相手の恋愛に失恋して傷心だから、吹っ切るために忙殺されたいなんて…

どうしたものかと苦笑いを浮かべていると、事務所の扉が開き、高梨が現れる。

「あ!高梨先生、おかえりなさい。」

渡に船とばかりに、真嗣は高梨の元に歩み寄る。

「どう?執行猶予取れそう?」

「再犯だからな。難しいところかな?ま。やるだけやるさ。それより、棗検事に会ったよ。君の言う通り、優秀な男だったよ。」

その言葉に、真嗣は複雑そうに笑う。

「そうでしょ?自慢の親友なんだ。」

「親友…ね。」

真嗣の表情から何かを察したのか、意味ありげにそう呟くと、高梨は丸橋の元へと向かう。

その背中を見つめながら、真嗣は小さく呟く。

「藤次…元気そうで、良かった。」

脳裏に浮かぶ、あの夜のキスの光景。

じわりと、涙が押し寄せて来る。

感情的になるなと頬を叩いてデスクに戻ると、スマホが小さく鳴動する。

「…楢山君?僕にメールだなんて…なんだろ?」

メール画面に映し出された同期の友人の名前に疑問を持ちながらも開封すると、短い文章が表れる。

『今週木曜日。19時。KICHIRI 河原町集合。飲むぞ。いつもの3人で。』

…いつもの3人。

藤次も来るのか…

どう返信しようか迷い、手が動かない。

脳裏に、初めて藤次と出会った時にかけられた言葉が過ぎる。

「(なんや自分。気張り過ぎやでー?もうちょい気い抜いて行きやー)」

藤次にとっては、何気ない一言だったかもしれない。

でも、自分にとっては、生きづらかった学生時代に差し伸べられた、一縷の光…

その頃からずっと思い続けてきた、大切な人…

そして…

「楢山君…こんなメールくれるなんて、相変わらず、気にかけてくれてるんだな。」

口数は少ないが、いつも自分の味方をしてくれた、頼れる友人。

藤次と何か揉めた時も、いつも自分を庇って弁護してくれた彼ならと、密かに藤次への想いを打ち明けた、唯一の相手。

「(別にいいんじゃないか?アイツなら、きっと真剣に、応えてくれるさ。)」

「楢山君は、なんでもお見通しだもんね…」

いつもそうだった。

賢太郎は、常に自分達の一歩二歩を先に行っている。

その姿には、藤次と違った頼もしさがあり、憧れがあった。

藤次も、どうゆう訳か賢太郎には明け透けに自分を曝け出しており、有名な親を持つ子供同士、気が合うのかなと、いつも2人のやりとりを微笑ましく見ていた修習生時代の記憶が蘇る。

できることなら、また…あの頃に戻りたい。

藤次の隣で、笑っていたい。

そう思う真嗣の手が、自然と動く。

『OK。楽しく飲もう。』

「逃げるのはもう、飽きたしね…」

送信済みの画面を一瞥して呟き、真嗣はスマホをポケットにしまい、デスクに向かった。

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