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【ネガティブな感情の効用】


〜悲しみの感情は、よく切れるナイフ〜


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こんにちは。


『なぜ猫』と申します。


2019年1月から、「にほんブログ村」で、


『なぜ猫年はないのか問題』という、


ブログを書いています。


それまでは、ブログどころか、


スマホも持っていないし、


SNSは、『(S)睡眠中の(N)寝言は(S)そっとしといて。』


の、略だと思っていました・・・(嘘です)


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SNSという、未知の媒体が怖かった・・・。


私がイメージしていたSNSは・・・


『時空(とき)は、西暦20XX・・


液晶画面の向こう側は、無限に広がるカオス宇宙。


「虚と実」が、


マウントを取り合い、


「キラキラ」と「ドロドロ」が、


ミキサーにかけられ、


スパイと哲学者が、水掛け論してて、


地球は平面で、4頭の象の背中に支えられていて、


その像達は、


さらに巨大な1匹の亀の背中に乗っている。


歌舞いた若者達が、


狂ったように「インスタ蠅」を、追いかけ、


「火事だ火事だ〜。火事と喧嘩は江戸の花よ〜!」と、


走る「火消し」の前に、


トランスジェンダーが、抗議の行進をしている。


上を見上げると、


トムクルーズが、ロープに吊るされて「大の字」なっとる。



それが、ザ 、SNSワールド。


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触らぬ神に祟りなし。


触らぬコロナに、感染なし。


とまぁ、とにかく私は、


「超」がつくほどの「SNS」音痴です。


それでも、どうしてもブログが、書きたくなった・・・


きっかけは、


母の『認知症』発症でした。


ちょうど、子供達も少し大変な時期でしたので、


親の介護と、子供の反抗期(少し違うけど)が、


いっぺんに来た私は、


丘に上がった魚みたいに、酸欠状態・・・。


ブログに苦しい気持ちを書く事で、


自分がいる状況を、


客観的に捉え直す事を繰り返すうちに、


気持ちも落ち着いてきました。


今まで、能天気に生きてきて、


これからも、


ずっとずっと人生が平穏に過ぎていくと、


思っていたけれど、


気づけば、


いつの間にか、


私の周りは、草木が鬱蒼と茂った奥に、


猛獣が潜むジャングルになっていた!


「なんで?


さっきまで、ソファーに寝っ転がってポテチ食べてたのに!」


足元には、毒蛇が絡みつき、


目の前には、


お腹を空かせたライオンが、


今にも、飛びかかってきそう。


oh!絶体絶命  ((((;゚Д゚)))))))


『なぜ猫』ピーンチ!


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猛獣へと、狙いを定めた槍(槍、持ってましたけど、なにか?)


を、ペンに持ち替えて、


ブログを「おりゃ〜」と、書き続けました。


正確には、指で画面を突きまくった。


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母の事、母を介護している父の事、


家族の事、ペットの事・・・


一年で、1000記事ほどになりました。


父には、


毎日『なぜ猫年はないのか問題』のページを開いて、


「ブログ村」での私のランキングの順位を上げるべく、


『バナー』という物を押すように


頼んでいました。


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ブログに、両親の事を綴った日は、


父から、泣きながら電話がかかってきて、


「あんだのブドグをよんだらなみだばででずぃだぁ。」


と、言語になっていない感想を述られました。


基本的にブログは、本当の事を書いてはいるのですが、


「読者」(いるのか?)ウケを狙って、


苦しい事は、より苦しく、


面白い事は、より面白く、


美しい事は、より美しく書きます。


「盛る」ってやつですね。


するとまた、


父から泣きながら電話がかかってきて、


「ブドグよんだげどだいじうぶ〜?」と、


言語になっていない心配をされます。


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母の認知症が進行して、


仕方なく、私達は母を施設に預けました。


父は、


母を最後まで家で介護したいと、


決心していたけど、


老老介護の現実は、思った以上に過酷でした。


50年、喧嘩一つせずに連れ添った妻を、


失い、父は抜け殻のようになっていました。


母が施設に入ってからは、


すぐに「ネガティブ」な事を言うようになった父。


自分に、楽しむ事を禁じていて、


周りから、「奥さんの事は、可哀想だけど、


自分の人生も、少しは楽しんだら?」と、


アドバイスされても、


ストライキしている「カタツムリ」のように、


家に閉じこもり、


外出と言えば、


母のお見舞いと買い物にしかいかない日々。



父の魂は、彼の体を抜け出して、


認知症で苦しむ母の魂に、


寄り添っているように見えました。


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愛する人を、失うという体験は、


いつか、必ずみんなが体験する事です。


人は100%の確率で死にますから・・・。


母は、亡くなってはいないけど、


認知症の症状に、とても苦しめられた末に、


入院しました。


辛い経験は、


生活の全てに、「悲しみ」という影を落とします。


朝食のお皿の中に、


明るい日の光の中に、


ペットの無垢な目の中に、


子供の笑い声の中に、


綺麗な花の中に。



どんな感情も、


頭の中に、


自然と湧き上がるものなので、


排除することはできないし、


そうする意味もないですね。



ネガティブな感情は、


人を、


より、慎重に行動させるし、


労りの気持ちを抱かせるし、


慈愛の光に気づかせるし、


強く平和を希求させる・・・、


そういうメリットが、あると信じています。



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細胞の中の「ミトコンドリア」が、


元々は、


別の生き物であったのに、


なんらかの原因で、


人の体の細胞の中で、共生するようになったように、


愛する人を失った時、


悲しみは、


人間の人生と、共存共生を、


始めます。


「悲しみ」と言う感情は、


よく切れるナイフのように、


心を、傷つけるけれど、


血が流れ、


乾いた後には、


新しい皮膚が、


より強くなって再生する様に、


心も、より強くなると思います。


流した涙に温められて、


父は、悲しみから立ち直りつつあります。


ポジティブな言葉が、少しずつ出てきました。


施設に入っている母も、


今は、症状が落ち着き、


前よりも、表情が穏やかになりました。


2人の事を、


これからもブログに綴っていけたらいいなと、


思っています。


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