♯10 福祉キャリアと私
なにがいいかはわからないが、楽しいと思える職種を探していた
松本福士は、いろいろな巡りあわせなせる業なのか、私の意思と、それ以外の関係も含めて、3年に前後で異動を繰り返しています。
自らの転職も3回ありました。
介護の専門学校を卒業して、最初に就職したのは、老健の介護職でした。
①老健デイケアの介護職員 約半年で入所(お泊り)に移動
②老健入所 Aフロアー 約1年
③老健入所 認知棟(徘徊棟)約2年
④老健入所 Bフロアー 約1年半 (リーダー)
⑤同法人 訪問介護サ責(サービス担当責任者)約1年 退職
⑥新規立ち上げ ユニット型特養(特別養護老人ホーム)
Dフロアーリーダー 約1年
⑦同施設 施設ケアマネ(専任)約1年 退職
⑧従来型特養 Aフロアー 約1年 介護職員
⑨従来型特養 Bフロアー 約3年 リーダー
⑩従来型特養 Aフロアー 約2年 リーダー
⑪従来型特養 Cフロアー 約2年 リーダー
⑫同施設 デイサービス 約3年(相談員)
⑬同施設 ショートステイ現3年目(相談員)
毎日が学園祭!
②~④老健入所の介護職の時は、今思えば、とてもハードワークでした。
22歳~25歳あたりの体力が有り余るぐらいの時で、2労働夜勤(16時~9時)を月に5回~7回こなし、夜勤明けで、欠勤者がいる時は、上司に言われて、午前中お風呂介助をして、昼食を職場の同僚と食べて、家に帰る。
身体が丈夫だったのが幸いで、こんな仕事の仕方でも問題なく、こなせていた。仕事終わりで、先輩に連れられて、飲みに行き、朝まで飲んで、出勤。毎日が学園祭のノリで、わちゃわちゃしながら、明るいノリで、楽しい毎日だったように記憶している。ただハードワークだったので、入れ替わりも激しかった。
病院バブル
今から20年数年前は病院の羽振りが良かった時代。病院系列の老健だった事と、へんぴな山の中の立地条件だった為、お給料がよかった。
基本給は低かったが、各種手当が多く、手取りで、自分の年齢よりも高い給料だった。今よりもだいぶと引かれる税金も少ないように思う。
暗黒時代
⑤~⑦ は仕事がしんどい時期だった。
⑤では急にデスクワーク中心で、人の調整、管理、etc.
慣れないというよりは、一番苦手分野。毎日右往左往。
1年は歯を食いしばってやっていたが、無理だった。
⑥⑦ は新しい気持ちで、新しい物事に取り組みたいと思った。
見る目がなかった。初めての施設運営陣。我の強い上司陣。
利用者そっちのけで、責任のなすりつけ合い。つぶし合い。
つぶされる前にと早めに見切りをつけた。
現在に至る。
自分のキャラを振り返ると、昔からどこででもやっていけそう。人当たりいいし、すぐに馴染んでいるもんねとよく言われる。
私の特徴。そこの色に染まりやすい。いろいろな職場を見て、体験して、肌感覚的に、職場の雰囲気に合わせる技術は獲得しているように思う。
私自身は、得意分野をもって、特化型になりたいと思っているが、空いた穴を埋めて、バランスをとる役目が多い。
働きだした頃から、中堅頃になるまでは、先輩について行けたら、それでよかった。
今はその先輩になっている。自分がロールモデルになる番が来ている。
仕事人生の後半戦に差し掛かり、今までの仕事の振り返りをしつつ、後半戦のキャリアについて考えていきたい。
介護保険が始まる前年度から福祉の仕事を始めて、同じように年を重ねてきた。目の前の利用者さんの笑顔が見られるだけで、疲れが、ふっとんだ最初のころから、気持ちは今でも原動力になっている。年と共に出来ることも増えているけど、責任も増えている。
仕事にワクワクを忘れていないか?
初心忘れべからず。そして乗り越えていく。自分に再度問いたい。
仕事楽しんでいますか?
チャレンジしていますか?
子供に早く大人になりたい。
そう言ってもらえる、カッコいい大人になれるように日々精進してまいります。
一日1感謝 ありがとうございました。
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