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”好き”を語るのが怖い。
人の目を正面から見れずにすぐにそらしてしまう。
自分の好きなことすら上手く人に話せない。
好きなことこそどう伝えていいかわからない。
これらのことは、周りの顔色を伺って生きてきてしまった代償なんだろうなと思っている。
「将来の夢はアイドルになること!」
「好きな食べ物はいちごとハンバーグとお寿司!」
当たり前に放ってきた自らの意志をどこに置き忘れてきたのだろうか。
いつからかどんな問いかけにも正解を見いだすようになっていた。
おかげさまで”自分の意志”として出てくる言葉は、誰かの”期待”であることが多くなった。
そして将来の夢を語らなくなった。世間体が良いものであればそれでよかった。
食べ物の好き嫌いもなくなった。多少の良し悪しはあるが、基本何でも食べられるが故に「好きな食べ物は?」にこう答えれば間違いないという仮の答えを置くようになった。
自分の好きなことも人に話さなくなってきた。自分が好きだと思っていることは自分がわかっていればいいなんてかっこいい言い訳で囲んでいる中には、自分の”好き”が否定されるのが怖いという核があるように思う。
ただ最近、自分の好きを受け止めてくれる人がいることに気づいた。
好きなことを伝えるのが下手なくせに、一人になりきれない私はたまに勢いで好きなものや良かったことを語ってしまうことがある。
話し終えた後は好きなものを伝えられて嬉しいくせに、話しすぎてしまったと後悔して、「ごめん、まとまりない話しで」ってヘラヘラしてしまう。そんな自分も嫌なのだけど、その人は「ねこまめちゃんが考えてること聞けて俺はすごく嬉しいよ」と言ってくれた。
その言葉にどれだけ救われたことか。
ちゃんと言葉を受け止めてもらうってこんなに嬉しかったんだと久しぶりに大号泣してしまった。
一通り泣いて振り返ってみると、自分に厳しすぎるのかもしれないなと思った。ちゃんと話さなきゃとか、相手を楽しませなきゃとか考えるうちに話始めの言葉も出てこなくなって、相手つまらなさそうだなとか早めに話終わらせなきゃとか考えてしまうから余計に言葉がわからなくなって、結局自分が何を言いたかったかわからないし、相手もつまらなさそうに見えて自分の話に自信を無くしている。
全部自分の思い込みでしかないのにね。
それでも余計なことばっかり考えて、怖くなってる。
”好き”に優劣はないし、上手に伝える義務もないんだから、もっと気軽に”好き”を語っていいはずだよね。
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