極東から極西に行くことにした
転職を真剣に考え始めたのが去年の秋。
冬に上司に相談して人がいないと断られ、人員が増えたタイミングで春にまた突撃し、いよいよ退職出来るのが8月末に決定した。退職したら、次の職に就く前に色々やりたい事があった。
目の前に置いた紙に、やりたい事を書いていく。時間には限りがあるのだから、有効に使い切りたい。
その1、1週間くらいキャンプしたい。
どこか景色の良いところを、愛車のボンネビルT100に荷物積んで巡りたい。ザックにハンモック入れて徒歩でも良い。
その2、溺れるくらい沢山本を読みたい。
短編長編読めてない本がわんさかある。ここ15年くらい纏まった時間や余裕なんて無かったから思い切り夜更かしして活字の海にダイブしたい。なんならキャンプ中に読むのもあり。
その3、ピアノの練習をしたい。
高校生の時から大好きな、アルベニスというスペインの作曲家の「イベリア」。難しすぎて暫く片想いだったけれど、なんとか「セビリアの聖体祭」という曲を弾けるようになった。もう一曲是非挑戦したい。
アルベニスはフランスで客死したという、ロマン派から印象派にかけての時代の作曲家。晩年に書き上げたイベリアは、〝4集からなる12の新しい印象〟というサブタイトルがついている。時に民謡を、時にフラメンコの特徴を取り入れた、土臭くも印象派らしいキラキラとした曲集だ。
ドビュッシーが手元に置き、ラベルがオケ版を作ろうと交渉したその譜は、手の交差が頻繁に起きるためとても読みにくい。でも弾ければカラッと明るく情熱的。またしん、と静かで宗教的な、なんとも魅力的な、聴けば聴くほどスペインという場所を知りたくなる麻薬のような一冊なのだ。
高校生の時に衝撃を受けた私は、スペインのお祭りや世界遺産をめちゃくちゃ調べては憧れた。パンプローナの牛追いや、セマナ・サンタ。花に満ちたコルドバの街並みやバルセロナの未だ建設中の大聖堂。
そして、世界遺産の〝道〟。
巡礼者が、星の野原、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう巡礼路。映像や写真を見てはドキドキしたっけ。ピレネーを越えて、日本にはあまりない石の建物の街を通って、地平線が見えそうな畑の中をどこまでも歩く。ああ、行ってみたいな。
曲の練習をしながらあれこれ想像するのだけでも楽しい。だから時間があるうちにもう1曲。マスターするのはとても難しいけれど挑戦してみたい。
その4、海外旅行。
フランス、イタリア、それともイギリス?
待てよ。スペインに行くのはどうだろう。アルベニスが描いたアンダルシア地方が良いかな。それなら本持って一週間くらいどこかの街に滞在するとか。や、でも色んな場所を見たい気もする。
スペイン?
リストアップしていた手が止まった。今までアメリカ大陸やヨーロッパに行けるほどの休みは取れたことがないし、次の仕事に就いても同じだろう。だからこれはまたとない機会。
再就職まで1、2週間のブランクを考えていたけれど、もう少し、1、2ヶ月勇気を出して休んでしまえばいい。耳元で何かが囁いた。
〝道〟行けるんじゃない?
リストアップするのを完全に止めて、何故行きたいのかを綴ってみる。貯金はある。2ヶ月休んだところで困窮する事はない。問題は同居の家族に言うタイミングだけれど、きちんと準備すれば大丈夫だろう。
普段から登山やキャンプをする為、新しくギアを最初から買い揃える必要はなさそうだし……。
うん、良し。行けそう。
曲を弾いて夢を見るのは止めた。
大人の見る夢は叶える為のものだ。
2023年4月27日。
斯くして私は極東のここ日本から、極西のスペインへと巡礼の旅に出ることに決めたのだった。
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