わたしの大好きなおじさんたち
スピッツファンクラブイベント“GO!GO!スカンジナビア vol.8”横浜公演に行ってきました。
横浜ってことで横浜サンセット(2013)のボーダーライブTシャツ(当日は売り切れだったから復刻版)着ていきました。
お互いあのころの若さはなくなって水の色も風のにおいも本当に変わってしまったけど、もう戻ってこないかもしれないオールスタンディングをおもいだしながらあのときに負けないくらい跳ねてきました。
こんなご時世だけど今年も生で演奏を聴けて、まだまだ縁が続いていくんだなってありがたい気持ちでいっぱいになりました。
リクエストした曲も演奏されて嬉しかったです。
マサムネさんは初め高音張るのしんどっぽかったけど、どんどん笑顔でてきて調子よくなってきて、やっぱりマサムネさんにとって一番輝ける場所はライブなんだなっておもったら胸が熱くなりました。
前日の地震を心配して北関東から来た人を聞いてくれたのはかなり嬉しかった…。
北関東住みでよかった…震源地からは離れてるのですが。
震源地に近かった県の方、大丈夫だったでしょうか?
そして、やっぱりマサムネさんは叔父さんに似てるなあとおもいました。
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ライブの前日は母の弟である叔父の火葬がありました。
自宅で亡くなったあと警察の調査と検死が入ったらしく、先月末には亡くなっていたようです。
優しくて朗らかで穏やかで大好きな叔父。
初め母の口から聞いたときは冗談かなにかだとおもいました。
母が一粒の涙もこぼしていなかったからです。
なにより亡くなった年齢が親族の誰よりも若く、特に入院してるだとか亡くなる要因もないので信じることができませんでした。
母は「自分の親の死で慣れたから」とは言っていましたが、あまりにも突然のことで感情が追いつかなかったのかもしれません。
わたしは、高速道路の運転に慣れてきたからいつか叔父さん家へ遊びに行ってももう会えないことを感じて、母の分まで泣きました。
このときの涙は、もっとはやく会いに行けばよかった後悔の涙でした。
おしゃべりでおもしろくて能天気にも見えた叔父。
両親からは弱気な性格に見えていたようです。
安定した仕事に就いて親も安心させられていたけど、職場では当時ニュースにもなったほどのリストラといじめがあり、その流れで辞めてしまっていました。
その後は特に再就職もせず、生活保護を受けながら家族で暮らしていました。
つつましく好きなことをして過ごしていたようで、ゲームで遊んだり自作PCを作るなどデジタル機器には詳しくて、若いころにはわたしたちにパソコンを教えてくれたりしました。
パソコンを使う業務にならいくらでも就けたとおもうのですが、心の問題なのか、まだ転職が当たり前の時代でもなかったからか難しかったようです。
のちほどの話だと、ベランダから落ちたようでした。
誤ってなのか自ら…なのかはわからないままです。
火葬日の朝には、叔父さん家らしき団地の入り口で警察数人が立ち入りできないようにしている夢を叔父さんになって見ました。
いつも穏やかに笑ってる印象の叔父が、実はいろいろとためこんでいたんだろうかとか、時代に対して生まれるのが早すぎたのかとか、わたしたちになにかできることはなかったのだろうかと考えをめぐらせました。
父は何度も「悔しい」と口にしていました。
火葬場には、叔父さんに“会いにいく”心持ちで向かいました。
叔父さんが亡くなった実感が持てなかったからです。
でもやはり叔父さんの姿はどこにもなく、棺を目にしてやっと初めて実感がわきはじめました。
けれど最後の姿も知らないまま焼かれ骨になっても、終始まるで夢を見てるようでした。
脳裏では、まだ白髪も混じってないような一番元気だったころの叔父さんがずっと笑顔でいたからです。
泣きながら『解放されてよかったね』とねぎらう気持ちになっていました。
夜には前日に皆既月食だったまんまるい月が煌々と輝いて、こちらをまっすぐ照らしているようでした。
戒名にはわたしの好きな“月”の字を入れられました。
わたしのツインレイの名前とも少し関係があります。
そういえばその彼とも穏やかな雰囲気が似ています。
会わせてあげたかったな。
きっと仲良くなれたよ。
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スピッツのライブ前日には「もうひとりのおじさんに会ってくる」と母に伝えて当日会場へ向かいました。
一緒に観ていたらいいなとおもいながら。
マサムネさんの髪型やもみあげで叔父さんをおもいだしました。
アンケートで選ばれた楽曲でたまたまだとおもいますが、歌詞の中に「夢でも会いたい」とか「生きる」とか「やってみようかな」とか、「月」が入っていたりまるで叔父さんからの言葉におもえ涙があふれました。
『悲しくても振り向かないで前に進んでね』と言われたようでした。
マサムネさんは大好きな音楽でこんなにも輝けるし、そのために周りの人も動いてくれる。
叔父さんの幸せはどんなものだったかわからないけど、大好きなことで叔父さんも大きく輝けたんじゃないかとおもったりしました。
それはわたしたちも。
叔父さんが亡くなったあたりから、仕事ややりたいことにかんして動きがでてきていました。
いろいろ持て余しつつこのまま続けるか迷っている職場が休業することになって、別で仕事を探したら一度あきらめた仕事とわずかながら縁がつながりました。
また、新たにやりたいことがみえてきました。
叔父さんの早すぎる死を受けて、今しかできない自分にしかできない優先順位があることに気づきました。
叔父さんはそれを教えるために若くして旅立ったのかとおもったりもしました。
後悔しないように。
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ちなみにライブの翌日は父の誕生日でした。
父がスピッツを聴いてたからスピッツを好きになり、マサムネさんを知りました。
そういえば初恋相手はマサムネさんと似ていました。
いまとなれば本当の初恋相手は叔父さんだったんじゃないかとおもったりします。
叔父さんを好きだったから初恋相手を好きになり、マサムネさんも好きになったのか、将来好きになる予定だったから先に出逢っていたのかわかりませんが。
叔父さんの戒名と同じく名前が“月”と関係するわたしのツインレイも、いままで似てないとおもってたけど叔父さんと似ていて叔父さんはマサムネさんと似ていて、なんというかみんなつながってたんだなっておもいます。
スピッツの楽曲がわたしの脳に染みついているように、叔父さんの好きなことはわたしたちに受け継がれています。
叔父さんがパソコンやゲームを好きだからパソコンやゲームを好きになって、妹たちも好きになって、そのおかげか一番叔父さんとかかわる時間のなかったはずの末妹はプログラマーになりました。
末妹は小学校低学年ですでにその会社の絵を描いていたので、叔父さんの代わりにプログラマーになるために生まれたのかななんて最近はおもっています。
叔父さんは、肉体は失くなってしまったけど、本当の意味ではずっといるんだなっておもったら、悲しみがすっと軽くなりました。
あちらではより穏やかにのびのびすごしてほしいな。
おつかれさま、ありがとう叔父さん。
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※昨年の11月に書いてたものです。
スキャナの調子悪くてイラストの下書き取り込めないでいたら投稿するののびのびになってしまいました。
でもまあ投稿できてよかったです。
叔父さん読んでますか?
ほどなくして叔父さんみたいにお喋りな人と出会ったよ。
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