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美術展雑談『あやしい絵展』

邪推でしょうか、思い過ごしでしょうか。東京展では展示されていた甲斐庄楠音さんの『畜生塚』が、なぜか大阪展にはありません。いえ、もちろん貸し出し期間の関係などのいわゆる大人の事情があってのことだとは思いますが、しかし作品のモチーフとなった秀吉公の命による京都三条河原の虐殺を思えば、大阪城公園に隣接する大阪歴史博物館での展示を控えるべきとの判断に到ったのではないかと想像してしまいます。
犠牲になった秀次公やその一族の鎮魂を願うなら、主催者がその絵を太閤のお膝元に運び入れることをためらうのも当然です。また、いまさら一連の暴挙を告発するようなつもりなどもないでしょう。

あれこれと作品の本質とは関係ないことを考えながら会場につくと、私の敬愛する淀殿(のパネル)が出迎えてくださいました。北野恒富さんの傑作です。すごい圧です。どう頑張っても私ごときでは太刀打ちできません。恒富さんが「悪魔派」と呼ばれるのも納得です。いや、その称号は最大の賛辞でしょう。
まるで淀殿に「ほんまにいらんこと考えすぎやで、あんた」とたしなめられているようで、なんだかわかりませんが、淀殿、ごめんなさい、とペコペコしてしまいました。

『あやしい絵展』の中でも、あやしさでずば抜けていたのはやはり楠音さんの『横櫛』です。まさにあやしさに満ちています。
脱力した佇まいや微笑みには生気を感じません。それでいて妙に生々しい。色使いも補色関係にある取り合わせのようですが、私には調和から離れた目眩く狂気の配色に思えます。これはもう、肖像というより深淵の沼の景色です。
モデルになっているのは楠音さんのお兄さんの、亡くなった奥さんなのだそうです。もしかしたら心のどこかで死を意識して描かれたのかも知れません。観念めいた言い方をすれば、生と死を同時に描いているということでしょうか。穏やかであるはずの笑みの陰に不穏なものを感じ、目が離せなくなります。それは恐怖ではありません。むしろ快感に近いのです。それこそが、あやしさの醍醐味とも思えました。

さてここまで楠音さんのことを語っておいてなんなのですが、実は本展で一番楽しみにしていたのは、島成園先生の『無題』です。
大阪が誇る巨匠の異色作です。顔に痣のある女性は、成園先生自身であるといわれています。実際には成園先生に痣はありません。しかし成園先生には自分の顔に拭い落とせない痣が見えたのでしょう。それは苦悩の象徴でしょうか。傷心の暗示でしょうか。あるいは怨念の権化として、自らの意思で魂から滲み出してみせたのかも知れません。なんにせよ単なる幻視として片付けることのできない、迫力を感じます。

定番のポストカードを購入しました。島成園先生の『無題』は、本当に美しいです。
いや、淀殿も美しいですよ! なんだかわかりませんが、淀殿、ごめんなさい。ペコペコ。

焦点の定かでない両目に半開きの口。まさに『無題』という題名のとおり、無言で私を突き放します。殴られるより恐ろしい。そして冷たく伝わります。おまえにはわかるまい。そうです、私にはわかりません。ただその深い悲しみと怒りに気圧されながら、この人の美しさに私は見入るばかりでした。美しさとはこういうものかと感じ入りました。
描かれたのは大正7年です。現在以上に女性が虐げられた時代でしょう。ましてや才能のある女性なら、敵は多かったに違いありません。男性からはもちろん、同性からの無理解に傷つけられることもあったかも知れません。女であること。志を持つこと。それは成園先生にとっては生まれたときからかけられた、逃れられない呪いだったのでしょうか。

『無題』は旧態依然とした画壇に一石を投じる意欲作とされる一方で、主流派からはけしからん作品との批判もあったようです。「題名が『無題』とは卑怯」との批評もあったということですが、いみじくもそういった批判があればあるほど、この絵は孤高の輝きを放ちます。成園先生、やっぱり大好きです。

『あやしい絵展』のおかげで、あやしさというものは人間の魅力のひとつであると再確認できました。
『畜生塚』の件はかえすがえすも残念ではありますが、いつか近いうちにリベンジ鑑賞できるでしょう。いや、してみせますとも。
そんなことを考えながらエスカレーターを下りると踊り場から大阪城が見えたので、やっぱりなんだかわかりませんが、淀殿、ごめんなさい、とペコペコしてしまいました。
そんな私は、けっしてあやしいものではありません。

ことに妖艶さとは程遠い庶民風情でございます。

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