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[勉強]壺を買った話[人生で一番いらないもの]

ご挨拶

こんばんは。ホローです。アメリカからお送りしています。もう少しで帰ります^^

この度、母が息を引き取りまして【悲しみに暮れている一人の男スタイル】で日々を過ごしていたわけですが、とはいえ現実的に何もしないというわけにもいかないので葬儀屋に行ってきたわけです。ネガティブな記事ではありません。

で、遺体の処理の方法や、最後の衣装、その他諸々の事柄を決めてきたわけなのですが、そこで壺を買いました。165ドルの壷です。
今回は何で買ったかとか、自分なりに頭に浮かんだこととか、そういうことを書きます。

そもそも壺って何

ぼくにはよくわかりません。ただの入れ物ですよね。しかも重くて大きいし、使用感としてはあまり優れているものとは思えません。
もはや「幸せを呼ぶ壺」みたいなイメージがあって、胡散臭いものとして定着しています。お金持ちが持ってるイメージ。
芸術品だったりとか、資産的価値が無さそうなら個人的に買うことは無さそうです。生活を彩るとか、気持ちとか、物質的なところ以外に意味がありそうです。ぼくはいらないけど。

アメリカでの一般的な死生観とぼくの思想

アメリカではクリスチャンが多く、彼らは一般的には土葬にするようです。(遺体を粗末に扱ってはならないという決まりがあります。最後の審判の際、)
キリスト教は世界で一番布教されている宗教と行っても差し支えないです。

しかしながら私達は基本的なキリスト教の教えは知っていますが、かといって敬虔な信徒というわけでもなく、古代神道に近い考えを持っています。(ちなみに神道は宗教では無く、本来概念や哲学的なものです。)
八百万の神がいるというか、海とか深い緑の山とか、力を感じます。
偶像崇拝はしていません。
思考や存在といった魂めいたものは、なんとなく感じていますが、遺体は抜け殻です。見ていると悲しくもなります。喜ばしいことではない。

なので特に決まった考えは持たずに、火葬で遺体を焼却し、灰にします。
エアーズロックから灰をばら撒くようなことはしませんが、行為自体に抵抗はないです。人によっては嫌悪を感じるかもしれませんね。

話が脱線しました。壺の話です。

火葬して灰になった骨は入れ物に収める必要があります。
神棚のように祀るか、自然に返すために庭に巻くかなどはさておき、まさかスーパー袋に入れて持って帰るわけにもいきませんから、少しくらいは普通の入れ物が必要なわけです。

葬儀屋に壺を勧められた時、ぼくたちは冷静でしたが、思考は宙に浮かんでいました。
壺自体、今すぐに必要なわけではないです。さらにいえばディスカウントストアで25ドルほどの壺、もしくはそれに準ずるような箱を買ってきても良いわけです。
今は家の居間にいますので(高度な押韻にお気づきになられたでしょうか)より冷静に考えることが出来ます。
そのうえで思いますが、正直に言うと後悔しています。

高いでしょ

165ドルですよ。約18000円の壺です。ぼくの個人的な感覚としてはかなり高価です。
本来こんなものを買うような人間ではありません。なのに買ってしまった。何故か。
「免許更新の際に、免許入れを買う」とか、「車のオイル交換に行ったときにブレーキシューとワイパーのゴムも変える」とか、そういったものと似てる気がします。隙を突かれた感覚。
商売上手だなと感じました。サービスを提供している場合、ニーズのある商品の販売はやはり鉄板です。
身内の死というイベント時に、ショールーミングは出来ませんでした。

まとめ

・葬儀屋から壺を18000円ほどで買った。
・神道は宗教ではない。
・サービス業は商品も一緒に売れ。

以上です。お読みいただきありがとうございました。

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