見出し画像

【12/25】母親とビデオ通話した話

前記事からのつづき。https://note.com/nekohawai/n/n2907c1ed81cb

12/25 00:32 10:30
おしっこが出ない。腎臓 肩にも転移。
痛みで死にそう。ジャンキーみたいになっちゃった。モルヒネくちから。
方が痛くてうごかせない
はじめは脱臼かと思った。痛みを放射線治療でとる。
嫌だ。食べられなくなるし喋れなくもなるし。国際免許をとってきたほうがいい。
げんきになってからいおうとおもってた。
この半年間、ずっといたかった。
免疫療法はどうかと勧められた
運命
いたくないようにだけして、ってかんじ

(上の文章は僕が12/25 0時頃に母とビデオ通話をした時に書いた殴り書きだ。現地時間が大体10:30。忘れないようにしたくて書こうと思ったんだけど、途中泣いてしまってそれどころではなかったのでひどく短い。)

 昨日の夜、僕はKさん(母の旦那さん)から診断書が送られてくるのを待っていた。
 正直なところ、母の病状が重たいということを聞いてもどこか現実味がなかった。慌ててもどうにもならないから最善を尽くそうとか、とりあえずできることのタスクを可視化するとか、そういった状態で、どこかぼんやりとしていた(目を背けていたのかもしれない)

 12/24 23:48
 LINEに母からメッセージが届いていた。
「話せるかな、字が書きにくいから」
 すぐにビデオ通話を開始したがでない。LINEはいつもこうだ。googleでHangoutsのビデオ通話をした。少しのコール音のあとすぐに出てくれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 画面をみて「母は長くない」と、そう思った。明らかにしんどそうだけど笑おうとしてて、僕も笑った。
 いろいろと話した。久しぶりに顔が見れたとか母の姉の話とか(僕たちはブラックジョークが結構好き)。
 僕は母に何か欲しいものは無いかと聞いた。しまったと思った。なんだかすごく嫌な予感というか直感的に、やってしまったと思った。母は少し考えた後、難しそうに言った。

「いっぱいあるはずなんだけど…何が欲しいのかわかんない…」

 そこからはもう駄目だった。息がうまくできなくて涙が出てきた。母が何か言っていたが覚えていない。
 これは僕たちだけにわかる空気のようなものなんだけど、とりあえず母は好奇心が旺盛で、自由な人だった。クロームブックの存在を教えてくれたのも母だし、新しいタブレットを買っては使いにくいと愚痴をこぼしたり、部屋の装飾も僕からすればすごく凝っていて、絵とか花とか、きれいなものが好きな人だった。何もほしくないなんてことがすでにあり得ないのだ。
 僕はメモをとった。母が話す一語一句書こうと思ったのだけどうまくいかない。僕にだけわかれば良いと思ったが、息苦しさはどんどんと増した。書いていたその時もだし、今も断続的に続いている。
 通話の最後に愛してると伝えた。手でハートマークを作ってTiktokのようなジェスチャーで。

 通話を終えてしばらくしてから僕は寝て、
荷造りをして、
Kさんからの診断書を従妹に送り、
母とビデオ通話したり国際免許を申請したり、航空チケットを取得したりした。
12月30日。僕たちは飛行機に乗り母のいる土地へ向かう。


励みになります。ありがとうございます。 サポートして頂いたお金は紛争孤児支援団体への寄付や、書籍やインディーゲームを買ったりするなど、個人的な使途に利用します。