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〔ショートストーリー〕赤い傘

赤い傘はあたしに似合わないと、中学校からの帰り道、チーちゃんは意地悪く言った。
「あんたみたいに色も黒くてガリガリで地味な子、そんなの似合うわけ無いじゃない」
笑いながらあたしから新しい傘を取り上げると、これは自分のものだと宣言して持ち去った。代わりに、チーちゃんの色褪せたブルーの傘を残して。

チーちゃんは、ずっとそうだった。幼稚園でもあたしが遊んでいるおもちゃを欲しがって、無理矢理取り上げる。取り返そうとすると、
「せんせー!私のおもちゃ、みっちゃんが取ったー!」
と泣き叫び、結局叱られるのはあたし。上手に先生の目を盗んでは、そうやって思い通りにしてきた。そのことを知りつつチーちゃんと仲良くする取り巻きもいたけど、あたしをかばってくれる子たちもいたから、先生より友だちの方が大事だった。大人なんて、子どもは分かり易くて単純だと思ってるけど、大人の方がよっぽど分かり易い。あの先生たち、チーちゃんの嘘をいつも信じるなんて、あたしたちのことなんて見てなかったんだろう。


結局、あたしの赤い傘は返ってこなかった。お店で見つけてどうしても欲しくなって、一生懸命お小遣いを貯めて買ったのに。次の日には、あたしの名前を書いてあった所を乱暴に削って、自分の名前を彫り込んでいた。下手くそな字、下手くそな彫り方で。あんな風に汚されてしまった傘、もうあたしの傘じゃない。あたしは意地になって、ずっと古い傘を使い続けて卒業した。

高校、大学はチーちゃんとは別だったので、とても穏やかで充実した生活を送れた。久々に再会したのは大学卒業後、あたしが圭一と訪れたカフェ。研究職に就いたあたしは、アプリで圭一と知り合い、数か月前から付き合い始めていた。そしてここ1か月で、お互いの家を行ったり来たりするように。
「ご注文はお決まりです…か…」
そこでオーダーを取りに来たチーちゃんは、あたしたちを見て一瞬固まった。そりゃそうだろう、彼女はお世辞にも、裕福そうにも幸せそうにも見えない。カフェでも楽しそうに働いている人たちは多いのに、彼女だけは不平不満を体中に溜め込んでいるような顔で、他の店員と目も合わそうとしていなかった。相変わらず、身の丈に合わない上昇志向や自信、プライドを、ただ持て余しているようだ。
「あら、チーちゃん!久し振りだね!」
あたしは満面の笑みで言うと、軽く圭一を紹介する。ここから近いタワマンに住んでいること、投資家として成功していること、近いうちに二人で海外旅行にでも行こうと話していること。彼は何度か細い綺麗な指を振って謙遜し、その度に華奢な腕時計がキラッと光る。チーちゃんは強張った顔で、
「それは良かったわね。で、ご注文は」
と何とか言葉を振り絞ると、そそくさと立ち去った。


あれから半年。あたしは圭一と別れ、同僚の史也と付き合い始めた。史也は真面目で穏やかな研究員で、不器用だけど優しく、何よりも嘘や秘密がない。 気の早い話かも知れないが、このまま進めば、いずれ結婚するような気がしている。派手な結婚式や新婚旅行は二人とも望んでいないので、慎ましく済ませられたらいいな…と話し合っているところだ。

圭一は、私と別れる前からチーちゃんと付き合い始め、サラッと乗り換えた。チーちゃんのような女が彼の好みだと、その時には私も分かっていたから、綺麗に終われて本当に良かった。

あのカフェに行く前日。何故か女物の腕時計ばかりを付けている彼に、あたしから男物をプレゼントしようと、ちょっといい腕時計を買って隠し持っていた。彼がいつものジョギングに出かけた隙に、クローゼットの奥に手を突っ込んで隠し場所を探していた時、見つけてしまったのだ。あのスクラップブックを。
そこには、何人もの女性が行方不明になったという記事や、そのうちの何人かは遺体で発見されたという記事が貼り付けられていた。それらの記事では詳しいことが分からなかったので、震える手でネットで検索してみた。面白おかしく書かれている記事ではなく、出来るだけ淡々と書かれている記事を選び、情報をつなぎ合わせ共通点を探す。
彼女たちは、どちらかというと派手で華やかなことが好きだったらしい。まあ、多くの女性はそうだから、特に珍しいことでもないが。また、居なくなった場所は国内、国外とバラバラだが、発見された遺体からはみな、いつも付けていたはずの腕時計だけが見付からなかったという。その腕時計は誰かからプレゼントされたらしいが、家族も、友人たちも、詳しくは知らないとのことだった。

あたしはヘナヘナと座り込むと、これまでのことを思い返した。付き合って3か月もすると、圭一があたしに失望しているように見え始めた。あたしは派手なことは好きじゃないし、華やかなことはどちらかと言えば苦手だ。圭一のキラキラした誘いを断る度に、あたしたちの距離は遠くなった。そんなことはプロフにもちゃんと書いてあったのに、彼は「でも女の人って、本当はこういうの好きでしょ?」と思い込んでいたようだ。
それでも表面的には優しかったから、別れる決心がつかないままでいた。あたしも少しは彼の好みに合わせるべきなんじゃないかとか、いろいろと悩んだ末のサプライズプレゼントだったのに。目の前が真っ暗になりそうだったが、まだ半信半疑で問い詰めることは出来なかった。だって…自分でプレゼントした腕時計を、また剥ぎ取って戦利品にし、その上それを普段から身に付けるなんて、私が見てきた彼からは想像も出来なかったから。


でも、チーちゃんと再会して1か月後、彼らから別れを告げられ確信した。
「ゴメンねぇ、みっちゃん。こんなことになってしまって」
圭一に腕を絡め、口先だけで詫びる彼女の手首には、真新しい華奢な腕時計。数ヶ月経ってもあたしには贈ってくれなかったのだから、よほど彼女がお気に召したのだろう。あたしは、「傷付き、それでも別れを受け入れる優しい女」の振りをした。内心では、あまりにもお似合いな二人に、安堵のため息をつきながら。

あの二人は近々、どこか南の島に旅行に行くと噂で聞いた。無事に彼らが旅立ったら、警察に匿名の電話をしよう。圭一と、これまでの被害者の繋がりを、しっかり調べてくれと。これ以上、何の罪も無い被害者が増えてはいけないし、これまでの犠牲者のためにも野放しには出来ない。日本の空港に帰った時、果たして彼らが二人一緒なのか、それとも圭一だけなのか。それはどちらでも良いが、どちらにしてもあの二人はお終いだ。

史也との約束のために家を出ると、静かな雨が降っていた。あたしは真新しい緋色の傘を広げる。圭一と別れてすぐ、彼のために用意していた腕時計を売った。そして、自分へのお祝いに買ったのがこの傘だ。中学の時に買ったものより深い赤で、細部まで洗練されていて美しい。傘の外を滑る、雨の雫の赤い影を見ながら、あたしは思わず微笑む。大丈夫、もうこの傘を奪われることはない。
緋色の語源は「思ひの色」だと言う。罪の色だと言う人もいる。どちらであっても、どんな思いであっても、今のあたしならきっと似合うはずだ。
(完)


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