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〔ショートストーリー〕名前を呼んで

「未智、誕生日おめでとう」
彼は真っ赤な薔薇の花束を渡してくれた。包装もお洒落だから、きっと有名な花屋で買ってくれたのだろう。
「わあ、きれい!ありがとう!」
私は派手に喜んで見せる。こうすると、彼はとても嬉しそうな顔をするから。高級ホテルでルームサービスのディナーと薔薇の花束。実際、こういうベタなサプライズは大好きだし、自分がヒロインになったようで悪い気はしない。

子どもの頃からずっと、私はヒロインでいたかった。なのに、私の両親は仕事や子育てよりもギャンブルが好きで、私は無視されたり邪魔者扱いされてばかり。洋服は小さくなりすぎて着られなくなるまで着ていたし、少し破れても言い訳程度に繕ったものを着せられた。名前を呼ばれるよりも、「ちょっと!」とか「オイ!」とか言われるのが当たり前。それが普通ではないと気が付くまでは、どこの家でもそうだと思っていたくらいだ。

家では何も期待できなかった分、外では少しでもチヤホヤされたかった。何でも信じるお人好しも、事なかれ主義の日和見も、利用できる相手は大人も子どもも利用して、私はカースト上位に君臨することに成功。それなりに楽しい学生生活だった。どうしても目障りな、彼女の存在を除けば。

彼女は子どもの頃から、妙な存在感があった。大声で騒ぐこともないし、目立とうとする訳でも無いのに、いつの間にか注目を集めてしまう。私が煽ってもムキにならず、少しだけ悲しい顔をしてやり過ごすのも面白くなかった。とにかく、彼女の全てが嫌いだった。だからいろいろと嫌がらせもしてみたけれど、大したダメージは見られず、私のフラストレーションはどんどん溜まっていった。
だが、その彼女とは、高校から全く違う道に進むことになった。それはそうだろう、私は学年でも中の下クラスだったが、勉強しか取り柄のない彼女はトップクラスだったから。その後、彼女が有名大学に進学したと噂で聞いたのは、私が高卒で働き始めてからだった。きっとこのまま会うこともないだろうと思い、歯ぎしりするような想いを封じ込めていたのに。

「なあ、未智。聞いてもいいか?」
不意に、ワイングラスを片手に彼が言う。彼がこうして私の名前を呼ぶたびに、喜びが胸に広がる。
「ん?何?」
甘い声で応えると、彼は続けた。
「未智と道子って、仲が良かったのか?」
一瞬、顔が強張った。彼の口から、一番聞きたくない名前が出てくるなんて。ちゃんと彼女から奪って、私だけのものになったはずなのに。それでも平静を装い応える。
「ううん、特に良くも悪くも無かったけど。どうして?」
「いや、俺のせいで二人の友情を壊してしまったのかなって…」
私は敢えて少しだけ淋しそうな微笑みを見せ、優しく言った。
「そんなことない。彼女には悪かったと思ってるけど…もう、そんなこと気にしないで」
そして二度とその名前を口にしないで。そう心の中で続けていた。圭一は黙って頷いた。


考えてみると、最初に彼女を目障りだと思ったのは、幼稚園の時だったのかも知れない。数人で遊んでいるとき、誰かが彼女に聞いたのだ。
「ねえ、みちこちゃんって、おうちの人は何て呼んでたっけ」
「お父さんもお母さんも、『みっちゃん』って呼ぶよ」
「あ、そうだったね!じゃあ、あたしたちも『みっちゃん』って呼んでもいい?」
「うん、いいよ」
「ねえ、待って!」
私は慌てた。
「わたしもミチだから、みっちゃんて呼んでほしいよ」
思わず口を挟んだが、何人かがアッサリ言った。
「でも、ミチちゃんがそう呼ばれてるの、聞いたことないよ」
「お父さんやお母さん、呼んでないよね」
咄嗟に反論できないでいると、
「じゃあ、みっちゃんが二人だとややこしいから、ミチちゃんはチーちゃんにしようよ」
「そうだね!うん、そうしよう!」
何人もがそう言うから、もうそれ以上、私は口を挟めなかった。
彼女がそう主張したわけではない。なのに他の子たちが、勝手に彼女を優先したのだ。それ以来、『チーちゃん』と呼ばれるたび、私はどうしようもなく惨めな気持ちになってきた。「お前は2番目だ」と、突きつけられている気がして。


そして、数年ぶりに再会したあのカフェで、また彼女は呼んだ。安物の服を着て、あくせく働く私を見て『チーちゃん』と。高そうな服をサラッと着こなし、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、嫌みったらしくハイスペな彼の自慢をしながら。
封じ込めていた悔しさが、私の中で爆発した。絶対に許せないと思った。
すぐに私は彼、圭一と、偶然の出会いを何度も仕組んだ。彼が私を運命の相手だと思うように。そして圭一が道子と上手く行っていないと知って、一気に仕掛け、勝ち取ったのだ。上手く行きすぎて拍子抜けするぐらいだったが、圭一に似合うのは私だ。断じて道子なんかじゃない。


圭一が気を取り直したように言う。
「未智、もう1つプレゼントがあるんだ。近いうちに南の島でも旅行に行かないか?やっかまれると面倒だから、誰にも言わないでさ。ほんとの二人っきりを味わいたいんだ」
彼に名前を呼ばれると、それだけで幸せになる。みっちゃんでもチーちゃんでもなく、『未智』と呼んでくれる圭一が好きだ。
「うん、行きたい!楽しみだなあ」
可愛く両手を叩いてみせると、彼から貰った腕時計がキラッと光る。道子が何か月も貰えなかった物を、私はほんの1か月で貰えた。それだけ圭一は私に溺れている。今度こそ、私は道子に勝ったのだ。

両親とは絶縁状態だし、仕事ももう辞めた。欲しい物は何でも圭一が買ってくれるのに、カフェで働く必要なんてない。社会との繋がり?そんな物は必要ない。これからはお伽話のヒロインのように、圭一と二人、ただ幸せになるだけ。
ふと浮かぶのは、圭一が別れを告げたときの青ざめた道子の顔!思い出す度に、どうしようも無く笑いがこみ上げてしまう。彼女の不幸は、私を輝かせるために必要なのだ。

私は今、心の底から満たされている。

(完)


このお話の、サイドストーリーを書いてみました。

いろいろと悩みながら、書いてしまいました。しつこいな、私。
読んでくださった方、有難うございました。

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