育児は1人でできない。

この言葉だけだと誤解を招きそうな発言ですが、この言葉にはちゃんと意味があります。



人それぞれ環境や状況によって1人で育児してる人もいるかと思います。



まー大変。( ;∀;)



うちは家庭の事情により里帰りをせず床上げ2週間で通常運転でした。

やはり産後1ヶ月大事にするのにはきちんと理由があって、身体はすぐ元通りにはなりません。誰かが大丈夫だったから自分も大丈夫と思わず、1ヶ月は必ず休みましょう。


その頃の私の生活と言ったら、

3時間おきの授乳、抱っこじゃないと寝ない、朝は洗濯機3回戦当たり前に布団干してコロコロかけて掃除機に拭き掃除、晩ご飯も丁寧に 1人でお風呂入れて出来なかった家事は夜中の2時までやる、3時には授乳が待ってる、そんな生活でした。




バカですね。

本当のバカです。

今思えばそんなにする必要ありません。家事なんてやらなくていいです、汚いままで結構、嫌がる家族がいるならその人がやればいいだけです。


でもその時の私はそれが出来て一人前だと思ってたんです。前と同じ生活を続けれてなかったら母親失格とまで思い込んでいました。なにせ母親というものがどういうものか分からなかったので息抜きの仕方も知りませんでした。_(:3 」∠)_



フルストレス!!!(`・ω・´)


そんな感じで過ごしていたらいつのまにか誰にも頼ることができなくなってしまいました。産後すぐ、義母に結構辛い言葉もかけられたこともあり意固地にもなってたと思います。ますます1人で育てなくては!!!という感じになっていました。

その事は今でも思い出すと辛いですが、こういった経験は人に話した方がいいです。産後特にナイーブになってるので夫の何気ない一言とかも辛かったりしますよね。

信頼できる人1人でも良いのでしっかり話して共感してもらいましょう。理解を得られることが孤独に有効なのでとにかく自分の思うことを人に話すといいです。当たり前のようなこと言ってますが殻に閉じこもってる時って全然人の話も聞かないし喋りません。自分の大事な部分だけは晒したくないと思うものです   それさえも否定されたら恐ろしいからです。




話はそれましたが、そうなってくると

どこまでが限界でどこから助けが必要なのか

が、分からなくなってきます。

それは育児をしていてとても危険な考えです。

まず

母と子ともに安全であること

がなにより優先されることです。

既に迷っている時は判断力が欠けていますから疲れていると思います。寝ましょう。


母が寝るためには赤ちゃんを見てくれる人が必要になります。そこはお母さん次第、親御さんでも夫でも安心して任せられるなら誰でも。お金で解決してもいいです。頼むことに躊躇しなくていいです。優先すべきことは母と子の安全であって夫の機嫌でも家計の心配でもないです。

3時間おきの授乳といっても寝られる時間はほとんどないです。その一回分も代わってくれない人の方がおかしーってなもんです。


人に伝えているようで全て過去の自分を供養してるようなもんです。笑

いーんです。こんな感じで伝えたって。

自分と同じような目にあって欲しくないのも本当だし恨みつらみがでてくるのも本当だし人を救ってるようにみえて自分が救われてるなんてこと、よくあるよくある。

カッコ悪くたっていいんです  恥ずかしいことばかりして生きてきたんですから。今更外ばかり良く見せようなんて思いません。それにこれは言葉でできています。着飾れるものもありません。

自分の〝ブランド‘’なんて張れるようなものはない。〝無印‘’ですらブランドなんだからただの人です。




話がブッとび〜〜〜/(^o^)\





そんなこんなの生活を続けていくうちに体もボロボロになり歩きが悪くなってきた頃階段を抱っこしながら登り下りできない、自分1人でも階段で息が上がるような状態になりました。

母と子の安全は保たれていません。危険な状態でなお1人で行動することによって我が子を危険にさらします。


そんな状態になってから福祉に頼ってもすぐには助けてくれません。 何をするにも事前登録や書類申請が必要です。

私自身も原因、病名不明の病気ですので保育園で提出する診断書に苦労しました。わからないまま長いこと検査し続けてたので保育園の認定期間が迫り、診断書を書いてもらわなければそのまま退園でした。

家で見れる人も居ないのに。です。無情です。

もうその頃は送り迎えもまともにできないような状態だったので1人で見てることに変わりはなかったのですが、それでも逃げ場がなくなると一気に不安と絶望に駆られます。保育園が唯一わたしにとって「安心して任せられる場所」でしたから。


事が大きく動き出したのはそこから更に半年以上経ってからでした。

〝慢性疲労症候群‘’という病気の除外診断のため大学病院の精神科へ入院することになりました。兼ねてから疑われていた〝線維筋痛症‘’と一緒になってるんじゃないかということでした。

そこで私は最後の「分からない」を聞き病気の特定は諦め、下半身のことも....

希望を終わらせるしかありませんでした。




しかしそこで悩んでいること、今思うことなどをたくさんの人に出来るだけ話しました。そうすると、たくさんの人が頭を捻ってくれて、色々な知恵や物の考え方を教えてくれました。


それでも家に帰れば現実は酷なもので、パプリカで踊り狂うハッピーボーイ2歳児には勝てず、中々休むことはできません。

そしてまた数ヶ月過ぎた頃、ついに大泣きしてしまいました。どうしたら安全に育児を続けていけるのか分かりませんでした。同居はしていますが子供と日中2人きりなのは変わらず、そして助けても言えず....

そのことも全て義母にぶちまけました。それからは少しずつですが休ませてくれと言えるようになりました。


車椅子が必要だけれど今の車椅子が体に合っていないことを知った頃でした、つい最近の話です。笑







走り続けて2年が過ぎていました。

運が良かったとしか言えません。

出会う人が良かった、変えられることができた。

育児で窮地に陥った場合、大きな声を出すことが重要です。

周りにかき消されてしまうような小さな声では小さな命とあなたを守れません。


育児は1人でできない。できなくて当たり前です。1人で母と子2人分守ろうとするから無理になるのです。子が増えたら尚更かと思います。

母と子の安全が優先です。どちらが無理しても欠けてもだめなんです。助けてと声を上げることはいけないことじゃありません   守りたいものがあるから人は頭を下げれる。人は皆そういう強さを持って生まれてきたのですから。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?