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90年代アニメの「呪縛」とは

つくづく自分を形作るものは、10代のうちに観てきた作品によってできているような気がする。

物心がついて、アニメや漫画の面白さに目覚めたのは、やっぱり10代くらいの頃で、それは90年代半ばだった(年齢がバレそうだが)。

1番最初にある記憶は、やはり「ドラゴンボール」だ。最初は漫画よりも、アニメに夢中になっていて、ナメック星にいる悟空がいつまでたっても撃たない元気玉を「今週はうつのか?」と何週間も待ち続けていた記憶がある(漫画の連載に追いつかないためなのか、とてつもなく遅い展開だった)。

前回までのあらすじでほとんど終わってしまうようなアニメをみんなこぞって見ていたのだから、まだ長閑な時代だったのかもしれない(当時はゴールデンタイムに放送されて平均視聴率が20%を超えるお化け番組だった)。

次は「幽遊白書」だ。この作品は、アニメとしての出来がまず素晴らしかった。それは子供心にもわかった。書き込まれた美形キャラクターたちがとてつもないアクションをする。毎週土曜日の夕方は「幽遊白書」が楽しみで仕方がなかった。

この頃から漫画も読み始めるのだが、「幽遊白書」の仙水編以降の展開を読んで、ほとんどのバトル漫画はいまだに「幽遊白書」を超えることはないと思ってしまう。なんせ、魔族と戦っていた主人公こそが魔族の血を引いていて、守るべき人間や人間の味方である霊界こそ諸悪の根源であったことが描かれるのだ。

のちに永井豪の「デビルマン」の存在を知ったのだが、やはり、私たちの時代は「幽遊白書」で、19巻で終わる潔さと、あの「青春の終わり」を感じさせるラストがたまらなく好きだった。

そして、90年代には、当然「エヴァンゲリオン」があり、「レイアース」も「スレイヤーズ」も「ナデシコ」も「スラムダンク」も「セーラームーン」も「るろうに剣心」もあった。

今でも、これらの作品は、リメイクされたり、ゲームになったり、実写映画になったりし続けているが、あの90年代のリアルタイムに観ていた時のワクワクした感情をもう一度持つことはない。

どうしても、あの日に初めて体験した感動と比べて「これは違うんだよな」なんて思ってしまう。

それを「シン•エヴァンゲリオン」では、「呪縛」と表現していたけれど、まさにその通りで、それは、今でも残り続けている。

青山剛昌なら「コナン」よりも「YAIBA」が好きだし、浦沢直樹なら「20世紀少年」よりも「YAWARA!」が好きなのだ。

それは、もう変えられない。人間の根幹のようなものなのだ。

「シン•エヴァンゲリオン」を褒めている人たちは、結構年配の方が多い気がする。彼らの「よく完結まで導いた」「庵野さんは大人になった」などの言葉を聞いていると、「あ、冷静に割り切れるんだな」というような気持ちになる。

私はまだ90年代の作品たちと冷静に距離をとることができないままでいる。だから、きっと、まだ「卒業」はできないのだろう。