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桜餅ティッシュ事件
ある春の日の午後、昼食から戻った彩花は自分のデスクの上に手紙らしき物と、ピンク色の物体が置いてあることに気付いた。彼女は入社2年目で、この会社の中ではまだまだ新米だ。しかし、皆とは打ち解けているつもりだ。そんな彼女は思った。
『もしかして、これが噂に聞くラブレターなのでは!』
デスクに近づくと、そうでもないことが分かった。手紙には『良かったら食べてね(^-^)』とやたら太い字で書かれており、その横にはティッシュの上に置かれた桜餅があった。
「いったい誰が⋯⋯!」
彩花は激怒した。太いマジックで書かれたような顔文字、桜の葉なしの桜餅、そして、それがティッシュの上に置かれている。全てが彩花を挑発している。
「よかろう、その喧嘩買ってやろう」
怒りによってキャラが変わった彩花はティッシュの上に置かれた桜餅に手を伸ばす。
やはり満遍なくくっついている。彼女は今、一か八かの賭けに出たのだ。桜餅が既に乾いており、その後ティッシュに乗せたという犯人の良心に賭けていた。
ティッシュから桜餅を引き剥がそうと四苦八苦している様を、この太い顔文字と同じ顔をしてどこかから見ているのだろう。悪趣味極まる輩だ。
彩花は諦めた。餅についたティッシュなど取れるわけがないのだ。それによく考えたら彼女はあんこが嫌いなのだ。食べずに済むならそれにこしたことはない。こしあんだけに。まあ、食べていないのでこしか粒かは不明であるが。
「青木さん、どうしたの?」
彩花の部署の部長が心配した様子で話しかけてきた。彼はまだ31歳と若く、社内では異例のスピードで出世しているスーパーエリートなのだ。
「あ、スーパーエリート秋田さん。実はですね、昼ごはんから戻ったら机に桜餅があれこれこういうふうで⋯⋯」
と彩花は説明した。秋田部長はスーパーエリートと呼ばないと機嫌が悪くなるのだ。
「悪質な嫌がらせだね。いったい誰がこんなことを⋯⋯」
誰かから恨みでも買っていたのだろうか。しかし、彩花には思い当たる節はなかった。皆と上手くコミュニケーションを取れており、この部署の人間全員と仲良しだと自負しているからだ。
そうこうしている間に部署の全員が席に着いていた。小さい部署なのでそんなに人がいるわけでも無いが、手がかりがないとなると犯人探しは難しくなるだろう。
「みんなよく聞いてくれ、先程昼食から戻った青木さんの机にいたずらがしてあったんだ。誰か現場を見た者はいないか?」
部長が皆に聞いてくれている。ちゃんと部下を守ってくれる上司を見て、少しときめいた彩花であった。
「彩花ちゃんに恨みがある人なんているの?」
そう言うのはこの部署のナンバー2、春野遥だ。彩花以外の唯一の女性ということもあり、いつも仲良くしてくれている。
「恨みというより、好意かもしれないよね。好きな人にはちょっかい出したがるって言うしさ」
部長と同期の夏原夏雄が考えを述べた。彼は部長と仲が良く、いつも2人で飲んでいるそうだ。
「いやいや、小学生じゃあるまいし、そんなことしますかねぇ」
今年入ってきた新入社員の冬崎冬彦が言った。新人だが、なかなか動ける男だ。
「分かんないよ、案外小学生みたいなことするやつもいるぜ」
桜餅置男の意見は違うようだ。彼は春野遥と婚約しており、近々結婚するという。彩花のラブレターへの期待も彼らのことがあって社内恋愛に憧れていたためだ。
「ほげー」
彼は阿穂田婆顔。とにかくバカだが、悪い人間ではないので皆仲良くしている。先日保育園の桜の木に登って降りられなくなっていたところを保母さんに助けられたというエピソードがあるらしい。
この部署のメンバーはこの7人だ。部長と彩花を除くとして、容疑者は5人だ。恐らくこの中に犯人がいるだろう。
「けいじさん、よぶ?」
犯人探しが始まったので事件かと思った阿穂田が聞いた。
「いや、監視カメラを見ればすぐに分かるからいいよ。ただ、俺は自分からちゃんと言って欲しいな」
と部長の秋田が言った。悪いことをしたら謝る。それは当たり前のことだ。監視カメラで見つかり、人に強制されて謝ったところでその人のためにはならない。
「いや監視カメラ見ようよ。そうしないと仕事始められないじゃん」
夏原の言うことももっともだ。仕事をしに来ているのだから、スムーズに進むほうがいい。
「部長はこれからのことを考えてそう言っているんですよ。今名乗り出れば誰も怒らないと思います、今のうちに自首しましょうよ」
春野が夏原に反論し、この部屋にいるはずの犯人に語りかける。
「出てこねぇならもう知らねぇからな。あと1分で犯人見つからなかったら監視カメラ見て犯人ぶっ殺すからな」
スーパーエリートと呼ばれなかったことで不機嫌モードに入ってしまった秋田。突然のタイムリミットに皆騒然としている。
「やばいよ、早く自首しないと殺されるぞ! 早く自首してくれー!」
秋田のヤバさを知っている夏原が焦り出す。
「そういえば阿穂田さんって昼でもずっとここにいますよね。出ると迷って帰ってこられないからって。桜餅置いた人、見たんじゃないですか?」
新人の冬崎が言った。
「さくらもちおいたひと、しらないなぁ」
大きな口を開けて阿穂田が言った。
「あと16秒だぞ! 秋田は本当に殺すからマジで自首してくれ!」
夏原が焦りに焦っている。死者を出したくないのだろう。
「もういいよ、死にたいようだしそうしてあげよう」
無表情の秋田が言った。心ここに在らずというような、まさに虚の顔をしている。
「うわああああ! すみません、俺です!」
そう言ったのは桜餅置男だった。結婚を控えている彼がこんな事件を起こしたとあれば春野からの評価も変わるかもしれない。
「あ、きみがさっきおいてたやつがさくらもちだったのか! じゃあみてたわ」
阿穂田はそもそも桜餅がなにか分かっていなかったようだ。自白と目撃証言が集まったので、桜餅置男の犯行ということが確定した。
「なんで、こんなことしたんですか」
彩花は悲しそうな目で言った。信じていた人に裏切られる。それがどれだけ辛いことか。
「この前食べて美味しかったから、この部署で1番仕事が出来ない君に活力をつけてもらおうと思って⋯⋯」
彩花は桜餅置男の言葉に少し怒りを覚えた。
「桜の葉ってあんまり美味しくないし俺は嫌いだから要らないかなと思って除いたんだ。あのメモ書きは、ちょうど極太マッキーしかなくて仕方なく。そしてティッシュの上に置いた理由は、何も乗せるものがなかったからなんだ。だからティッシュを1枚使ったんだけど、思ってたより餅が強かったんだ」
桜餅置男は懲戒処分となった。
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