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ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ②

 新宿の雑居ビルにある美術予備校が、ライブハウスと似ていたのは、どちらにも同じような人たちが出入りしていたからでしょう。みんなして底の厚いドタ靴を履いているので、誰かがパネルを持って部屋から出たり、のり弁や練り消しゴムを買いに階段をのぼり降りするたびに大きな音がしていました。浪人生がいるおかげでどの階にも灰皿があり、やたらと蹴飛ばすからか、いつも吸い殻の匂いがしました。

 擦り切れたジャンパーに大きな裂け目の入ったジーンズを履き、くわえタバコで絵を見つめる男、油絵の具とシミにまみれた臭いトレーナーを着て、せっかくの授業も受けず二日酔いか何かで、ビッグコミックスピリッツを顔に被せてベンチに仰向けで寝る男、大学進学をあきらめ専門学校へ行く人、バイトに追われ新宿の雑踏に消えていく、音楽の方が忙しくなったスキンヘッズ。これが私たちにとっての日常風景でした。

 彫刻科のK子は、制服にいつも乾いた粘土をくっつけていて、くたびれたチェックのダッフルコートでしたが、キツネ毛の襟のついた大きなミリタリーパーカを手に入れてからは嬉しそうにそればっかり着ていました。茶色いショートボブのヘアスタイルにオレンジ色のリュックサック、くるぶしまである制服の箱ひだスカート、えんじ色のマーチンブーツ。いつも持ち歩いている木炭デッサン用の、みすぼらしいパネルの裏には、水木しげるの「墓場鬼太郎」のワンシーンを大きくコピーしたものが貼られていました。

 制服のスカート丈を短くする風習は、私が中学生の頃には始まっていて、小田急沿線の川崎市でも長いスカートはヤンキーの女の子のもの。都会のド真ん中で美術学校の女子高生が、制服のスカート丈を長くしているのは不思議でした。後日、K子から、ハードコア・パンクが好きと聞いたのです。澄んだ目と鼻の形に白人の男の子と通じるところがあるからか、通っている高校では女の子に人気があったそう。そして話してみると、彼女はどこかぼんやり呑気な感じがするのでした。

私たちは別のコースでしたが、共通の友人を介してたまに一緒に遊ぶようになり、昼休みの新宿通りでラーメンにニンニクを大量に入れて匂いを嗅いだりしていました。志望する大学の芸術祭には、なぜかK子とではなく、別の友人たちと行ったのですが、私だけはぐれて終電を逃してしまい、仕方がないのでキャンパスで寝たその翌朝、なんと終電を逃していたK子とばったり会って、学食で一緒に味噌汁を飲んだりもしました。

 私とK子は翌春、同じ私立の美大に進学して、もっと仲良くなります。そこへ、古着好きのUちゃんが、5年間の放浪の末に芸大をあきらめて入学してきたことから、私たちの古くて新しい1990年代の扉が開かれるのでした。


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