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帰国子女の帰国後の人生

私は日本企業で働くごく普通のサラリーマンだ。詳しくはプロフィールを見てほしいが、理系に進み、大学院を卒業して全国転勤の会社に入社し、数回の異動を経て今は東京で働いている。

私は幼少期をアメリカで過ごした。日本に帰国したのは中学3年の夏で以降ずっと日本に暮らしているのでもう15年も前、遥か昔のことにはなるが、客観的に見れば私自身、帰国子女たる特性を活かしてここまで生きてきた。なぜアメリカに行ったのか、というのも単純に父親の仕事の都合であり、行くと決まったときは猛反対した記憶が今でもあるくらい、望んだ方向ではなかった。だが、結果的にこのステータスにすがってきた点を思うと、私にとっては偶然の産物を与えてくれた両親には感謝である。

正直、帰国子女に対して世間がどのようなイメージを持っているか、実際のところ分からない。周りは「すごーい!」とちやほやしてくれる。大抵どこにいっても驚かれるから一応レアキャラなんだと思う。だからと言って自分のことを特別な人間だとは思っていないから、世間も同じように、個性の一つとしかとらえていないはずだ。

でも帰国子女が帰国後にどのような人生を歩むことになったのか、は少なくとも文章に起こす価値くらいはあるんじゃないかと思い、棚卸しがてら書いてきたいと思う。区切りながら書いていくのでこの記事も長くない。お暇ならお付き合いいただきたい。

帰国するまで(アメリカでの生活)

私は9歳から15歳の6年間アメリカに住み、中学3年の夏に帰国した。アメリカに行く前に住んでいた地元にそのまま戻ってきた。アメリカに住んでいた時から年に1回くらいは一時帰国し1週間程度滞在していたので景色がなんか変わったなぁという実感は特にない。ただ、窓ガラスが割れていた記憶がある。世間は空き家に対するイメージがすこぶる悪い。

アメリカでは土曜日だけ日本語補習校に通い、同級生の日本人とともに日本人の先生から日本の教科書を使って日本式の授業を受けていた。平日は現地の学校に通い、日本人なんてほぼ一人もいない環境でアメリカのカリキュラムに則って教育を受けていた。

渡米してすぐその環境に放り込まれた。初日の記憶は今でもある。両親は純粋な日本人だし、渡米前に特別なレッスンを受けてきたわけではない。ハロー以外の言葉が分からない状態で先生に転校生として紹介された。あれは地獄であった。だが2週間で慣れた。子どもの適応力は我ながら凄まじい。

その後は幸いいじめに合うこともなく、何とか6年間やり遂げた。6年経つと、日本語より英語の方が得意になった。月金でアメリカ人と接していればそうなるのも当たり前だ。家でも姉とは英語で話していた。

日本語補習校では同級生の入れ替わりが激しい。皆大抵家族の仕事の都合で来ているので本帰国のタイミングはそれぞれ。同時に転入生も多い。1クラスの人数が水物なのである時は10人、ある時は30人とかになる。帰国間際になると6年もいる私は長老のような存在になっていた。その時、クラスの新参者、つまり当時の日本の学校事情に最も精通している友達に日本のいじめ事情について聞かされた。「どうやら日本の学校ではいじめが横行しているらしい」という噂は私を委縮させた。「日本にいったら大人しくしよう」と覚悟した。

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