「満員電車が嫌だから転職する」

先日、大学時代の友人にあった。

正確には研究室時代の同期であり、約3年半苦楽を共にした仲間たちだ。私のいた学科では大学3年から研究室に配属されるのでかれこれ10年近くの付き合いになる。理系でかつ研究室・専攻が割とはっきりしているのでみんな同じような業界に進んでおり、話しながら世間の狭さを感じている。

院卒ではあるが入社してしまえばただの新入社員ということで、ほとんどが程度の差はあれど数年の現場経験を経て今は本社に召還されている。もっとも、私が現場期間最長、本社召還最遅であるわけだが。

会社の愚痴とか思い出話とか近況報告とか、ありふれた他愛もない話をしながらふと同期の一人が別の同期に対して「〇〇は東京から離れるために今の会社に行ったんだもんね」と言った。言われた方は出身地が東京でありながら地方に就職し以後そこに根付いている。

私はそれまで、彼の働きたい会社が東京になかったから東京を離れたに過ぎないと思っていた。当然会社自体にも魅力を感じたんだろうがそれと同等に、彼は東京から逃げたくてその会社を選んだのだという。

私がその事実にテンションが上がったのは、私もこれ以上東京で働きたくないと思いつつあるからである。この閉塞感、密度、物価。全てが自分にとって「あり過ぎる」。供給過多なのである。

色々と端折れば極論、満員電車が嫌なのだ。

だがそれだけで転職するというのは何とも短絡的だと長らく感じてきた。当然どこで働くかというのは家族や友人との関係を考慮する上で重要なのだが、その点を無視できる場合、混雑が嫌なばかりに転職までする必要があるだろうか、と思うだろう。

だが同期の意見を聞いて、混雑回避というのはもっともらしい理由になり得るのだと感じることができた。

通勤時のみならず、プライベートにおいてもこの煩わしさに支払うストレスというコストが仕事で得られる充実感、収入を上回っている場合。近場に引っ越すことによる家賃増分をも上回る場合。これはやはり我慢するべきではないだろうと。

全体のリターンが見合わない投資先に対して自らの資産を投じるのはやはり理論的におかしいのだと気付かされた。

当然そのリターンがコストを上回れば良いのだけど、それっていつ?いつになった?という疑問はやはりつきまとう。

善は急げなのだ。

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