「好きになるには上手になれ」

先日、高校時代の友達と会った。もう15年の付き合いになる。当時確かに仲は良かったものの、何故ここまで長い関係になったのかは分からない。社会人になってから会う頻度は減ったが腐れ縁として今後もこの付き合いは続くんだろうと思っている。

私は大学付属の高校に通っていたので彼らとは高校時代の友達と言いながら全員漏れなく大学も共通している。だが大学生が経験するモラトリアムとその気だるさに高校時代の実直さが入る余地は無く、大学に入ると彼らはちゃんと「高校時代の友達」という間柄に昇華していった。

今回は私含めて3人だったが、一人はメガバンク、一人は監査法人、私はインフラ、と皆企業の歯車として働いている。仕事に対する熱い思いを語ることは決してない。仕事の愚痴をそれぞれ赴くままにこぼすことはあるが、会えば大抵昔話をするか馬鹿話をするかのどちらかだ。

彼らの仕事観を知り得ることはあまりないが、実態を聞く限り誠実に働いているし、会社からの評価も悪くないのだろうということを感じる。メガバンクに勤めるほうは海外勤務を経て今は本社で引き続き海外の顧客を相手に仕事をしており、監査法人のほうは学生時代に公認会計士を取得したつわもので順調にエリート街道を進んでいるように思う。

こういう話を聞くと優秀な友達を持っていることを誇りに思う反面でやはり羨ましくおもう。毎日深夜まで残業して休日勤務も辞さないという境遇が羨ましいわけでは決してないが、熱意がなければそんな仕事を続けることなんてできないはず。彼らのような人材ならば転職先なんてごまんとある。それでも今の会社に居続けているという事実がその証拠だろう。

激務の結果、結婚はできていないし顔のパーツ以外面影がないくらい太ったしストレスでタバコも吸い始めたし、プライベートを見れば間違いなく色々と失っている。というか、そんな会社に翻弄されているような人生、私ならまっぴらごめんだ。それでもなお羨望を覚えてしまうのは、その仕事が好きなんだろうと感じるからだ。

「仕事に熱意があること」と「仕事が好きであること」を同義と捉えると、果たして彼らは今の仕事が最初から好きだったのだろうか。妄想だが、多分違う。入社までは何となくなし崩し的だったはずだ。自分の夢とかやりたいこととかがやる前から分かっている人間なんて数少ないだろう。ただ、今その仕事が苦痛ではないということは、勝手が分かっている=得意であるということは言えるのではないかと思う。つまり今の仕事が好きでありかつ得意である状態、なのかもしれない。

「好きこそ物の上手なれ」というのはプロセスが逆なんじゃないかと思っている。好きだから上手になったわけではなく、上手になるまで頑張ったからその結果好きになった。そのゾーンに突入できるまで努力した。下手な期間を経て上達している実感があるからこそ好きになって更に努力できる。これは仕事に限らずあらゆる成長の過程そのものなんだろうと思う。

自然と頑張れるような意識を持つためには、意識的に頑張り続ければならない。第一線で活躍するプロの姿をテレビで見て「私もこうなれればなぁ」と思うだけでは状況は好転しない。

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