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「眠る木」 上原沙也加

の瀬も住まった昨年の12月28日フォトスペース(RAGO)で、上原さやかさんの「眠る木」を見てきた。今回の展示は、年末に赤々舎から出た同名の写真集の出版に合わせて、東京のニコンギャラリーでの展示、そして沖縄での展示と行われているものでした。個人的には、年末に東京に行く機会があったが、上原さんの展示まで行けなかった。というか、知らなかったのですが、これは心残りです。東京のニコンギャラリーでも見てみたかったというのが正直な感想でした。しかし、RAGOでの展示が見ることができたのは良かった。届いたばかりの写真集も手に入れることができました。もしかしたら、俺が1番最初に写真集を手にしたのかもしれない。1番は言い過ぎかもしれないけど、3番以内には入っているよう。それだけでも、行って良かったと思いました。ただし、本人のサインをしてもらうのを忘れた。これは大失敗。ため息が出てしまう。


RAGOに入って、ぱっと目に飛び込んできたのが、ずらっと並んだ美しいプリント。サインを忘れた時にしたため息とは違う、ため息が出た。プリントが美しい。それだけで非日常感を覚える。以前同じRAGOで行われた北上さんの写真もそうだったが、RAGOでの行われる展示のプリントは美しい。美しいプリントはそれだけでも訴えるものがある。

写真を見ていくと、沖縄で日常で見ることのできる場面が多かった。ただその中にこんな場面があるのかと思わせる写真が混ざっている。沖縄に、こんなところがあったのか、見たことあるような気がする写真だがどこか違う世界を見てるような感じがした。沖縄なのにどこが特定できないような無国籍感のある写真、沖縄であると同時にどこかアメリカのような、外国のような景色に見える写真。でも写ってるのは確かに沖縄なんです。

A&Wのテーブルの写真などは、全国どこでも見ることのできるファーストフードの店内のように見えるが、そこを照らしている光を確かに沖縄の匂いを感じられる。でも、どこか異国のような見える雰囲気がある。普段見慣れているけど、何か別な世界のように感じる瞬間がそこにあった。

ファーストフードのカップっていうのは単なる使う物でしかなく、当たり前のようにあり、特に何か特別な視点や思いを抱いていないのが普通。それが、光の具合、あるいは何か感じるその思いが、魅力的な表情を引き出している。外人墓地の壊れた天使の像、壊れたものが何気なくそこに置かれているだけなのに、彼女の目を通すと別な物にみえる。

彼女の作品を以前に見たことがある。自分もよく行くレストランの写真であったが、それはアメリカのように見えた。沖縄ではないどこか外国の風景に見えた。それは、写真の仕上げ方によるものなのかと思ったが、今回の展示を見て、そうでないような気がしてきた。彼女がそこで感じてたものは、私たちが見えてるものとちょっと違う。それが写真の中に現れている。

ただ、この展示は写真集と連動しているので、写真集を見てみた。

写真集を見て、思い出したのがロバート・フランクの「The American」でした。写している場所も時も全然違うのだけど何か、このロバートフランクの写真集を思い出しました。なぜだろう?

ロバート・フランクはアメリカを車で旅して、彼女は沖縄県内をバスで回っている。ロードムービーのように撮っているのが共通しているが、彼女の写真がどこか沖縄でなく、アメリカをイメージさせるような写真になっているのも原因の一つであるかもしれない。だが、それだけでない。「The American」が当時栄華を誇っていたアメリカの影を写真に移し込んだものであった。大きな光の影を映していた。それに対して[眠る木」は、誰もがイメージする沖縄とは違う、隠れた沖縄の姿がある。ロバート・フランクは影を映したが、上原さんは光、気付かなかった美しい沖縄。

誰も気付いていない、誰も目を向けていない。それでも、美しい沖縄がそこにあった。

青い空、青い海のように雄大な風景ではなく、身近に存在する、何気なく静かに佇んでいる小さな世界。

ただ、美しいだけでなく、彼女の身近な世界の美しさ。それは彼女自身が世界に向ける確かな視点がそこにある。

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