高知の八彩帖(ヤイロチョウ)18・「お街」
かつてとある会社のサイトに連載していたショートエッセイです。高知のあれこれを書いています。
今回のテーマは「お街」。高知の人は街の中心部を「お街」と呼びます。今はすっかり寂れてしまったアーケード街ですが、昭和時代は活気がありました。
撤退していったお店は数知れず。そんな昭和のお街の様子を書いてみました。
高知の人は、中心部を「お街」と呼ぶ。今でこそ閑散としたアーケードにシャッターの降りた店舗が目立つが、かつてのお街は賑わっていた。
「西武」に「大丸」といったデパートや、「ダイエーショッパーズ」。ロッテリアもドムドムバーガーもあった。ファッションビル(昭和感満載)だったリブロードの前にはDUKEというレコード屋(!)があり、シャレオツな感じがした。
映画館も「ポポロ東宝」に「東映」。…イカガワシイ「小劇」「第二劇場」なんてのもあったような(汗)。
昭和30年代のお街へタイムスリップしてみよう。山から出てきた子どもの頃の父や母。家族皆よそ行きを着ている。ガタガタの舗装されていない荒地をバスで揺られて、ようやくお街へ。
大丸の食堂でオムライスやお子さまランチ、ソフトクリームを食べるのがとても楽しみだ。母はお隣の「菊寿司」派。
ちなみにその頃、大丸の袋を持つのはある種のステイタス。ブランド物のショッパーを持つ感覚か?お土産は決まって「都まん」。…なんか夢があるなぁ。
いつの頃からだろう、お街が衰退して久しい。でも私は思う、高知は変に都会の真似をしない方がいい。全国どこだって同じようなものが大量に手に入るこの時代。
いっそのこと街中全部巨大なショッピングモールにするくらいの改革がないと、イ◯ンには勝てませんよ(←妄言なのでくれぐれも実行しないように)。
お街が寂しくなるにつれ、「帯屋町太郎」さんのような名物おじさん(?)も姿を消した。彼らのような、「なんとなく狭間を生きる人」達と共存できる場所が、理想の「お街」なんじゃなかろうか。
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