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瞑想的に働くことについて

瞑想、サボってました。
この1年、仕事が忙しいことにかこつけて、瞑想をあまり実践していなかった。

1年前は、毎日数時間も実践していた熱中っぷりだったが、去年の2月ごろから10か月近く、まるで瞑想を実践していなかった。
昔のような、YouTubeダラダラ視聴生活に逆戻りしてしまったのだ。

別にYouTubeを見ていてそれほど楽しいわけでもなかったのだが(むしろうんざりしていた)、「瞑想をしよう」という気分にもならなかった。
一度実践をやめてしまうと、急激に腰が重くなるもので、私は極めて「非瞑想的な生活」を送っていた。
「毎日数時間の実践」から「数か月にわたって実践0」という極端ぶり。
そう、私は何をするにも極端なのだ。

「やる」となったらはとことんやるのだが、「やらない」となったらまるでやらない。
典型的なゼロヒャク思考だ。

◎「瞑想」とは集中すること

そんな私だが、去年の年末くらいから「瞑想熱」が再燃してきて、今は絶賛「瞑想期」だ。
起きてから寝るまで、瞑想のことばかり考えている。
部屋で坐って瞑想するだけでは足りず、仕事中も瞑想しているくらいだ。

「仕事中に瞑想なんて、どうやってするの?」と思うかもしれないが、これが意外とできるものである。

そもそも瞑想する時には、何かに集中するものだ。
たとえば、自分の呼吸に集中したり、眉間に意識を集めたり、一心にマントラを唱えたり、揺らめく炎を凝視したりする。
つまり、必ず集中する対象=瞑想対象が存在するわけだ。

なぜ集中するかというと、無自覚な考え事に陥ってしまうのを避けるためだ。
人間というのはいつも何か考え事をしている生き物のため、集中力がないと、簡単に考え事に没頭して我を失ってしまうものなのだ。

だが、呼吸や眉間などに集中することで、思考が湧いてくるのを抑制することができる。
言ってみれば、無意識のうちに思考の生成に使われているエネルギーを、集中することに使うような感じだ。
集中にエネルギーを注ぎ切ってしまえば、その分だけ思考は出てこなくなるし、熟達すれば、思考が全くない状態(無心)を維持することもできるようになっていくだろう。

◎「瞑想」と「瞑想状態」の違い

じゃあ、仕事中にどうやって瞑想するかという話に戻る。
当然だが、仕事中にずっと呼吸や眉間に意識を集中しているわけにはいかない。
こなさなければいけない仕事が目の前にあるのに、そんなことに意識を取られていたら、注意散漫と言われて怒られてしまうことだろう。

そもそも、瞑想において真に大事なのは、「瞑想すること」そのものではなくて、「瞑想状態を維持すること」のほうだ。
しかし、こんなことを言うと、「『瞑想すること』と『瞑想状態を維持すること』って違うの?」と思う人もいるかもしれない。
「瞑想することで瞑想状態になるのだから、二つは同じものでは?」と思われるわけだ。

だが、「瞑想」と「瞑想状態」は必ずしも同じものではない。
まず、さっきも書いたように、瞑想する時には何かに集中することになる。
集中することで、無自覚な考え事に陥ってしまうのを防ぐわけだ。

そして、集中力が続いている間は思考が抑制され、熟達すれば無思考(無心)でいられるようになるのだが、この無思考(無心)の状態こそ、「瞑想状態」だ。
思考が少なく、内側で静けさを保てている状態とも言える。

実はこれ、瞑想の実践を続けていくと、別に何かに集中しなくても現れるようになっていく。
つまり、わざわざ瞑想(集中)をしなくても瞑想状態(無心)でいられるようになっていくのだ。

「瞑想」と「瞑想状態」が必ずしも同じではないと言うのは、そういう意味だ。
いくら「瞑想(集中)」しても考え事がおさまらず「瞑想状態(無心)」になれないことがあるのと同じように、「瞑想(集中)」するまでもなく思考が収まっていて「瞑想状態(無心)」になっている場合がありうるのだ。

◎瞑想的に生きていってみる

瞑想は集中することを必要とするため、生活の中でずっと維持することが難しい。
むしろ、ほとんど不可能と言ってもいい。
生活の中で集中し続けることは、誰にもできないのだ。

しかし、瞑想状態=無心の状態は、慣れてさえしまえば、努力なく維持することができる。
私が「仕事中も瞑想している」というのは、こっちの意味だ。
つまり、「別段何かに集中はしていないが、瞑想状態(無心)ではある」ということだ。

サボっていた期間があったとは言え、私が瞑想を実践するようになってもう10年以上になる。
長く続けたおかげもあって、仕事中も瞑想状態(無心)をある程度は保てるくらいになったわけだ。

そんなわけで、最近は仕事中も瞑想している(正確に言えば、瞑想をしていると言うわけではなく、瞑想状態を維持したまま仕事をしている)。
前までは、家で坐って実践している間しか瞑想できなかったのだが、今みたいに仕事中も瞑想の時間になるのであれば、さらなる進歩が見られるかもしれない。
楽しみである。