「オタク・岡村拓海①」
第3話 「オタク 岡村拓海」
【人間が生きるということはどういうことかといつも考える。すると死ぬことだということに帰着する。死ぬとわかれば今日この1日を十分に生きねば損だと思う】
淀川長治(日本/雑誌編集者・映画評論家)
テレビ画面の向こうには、僕の推しメンがバラエティ番組に出ていた。いつも笑顔で、天然で忘れっぽくて、どこか抜けている部分があって。だけど歌って踊れる完璧なアイドル。・・・とまではいかないが、一人のアイドルとして輝いて活動をしている。今日の番組のことを、明日の握手会で話そうかと考えながら、握手券の仕分けをしていた。
僕の名前は岡村拓海。今年で20歳。お分かりのとおり『オタク』だ。オタク歴3年目の僕は、まだまだ新参者。周りのオタクに比べたら、ひよっこ。僕はあるアイドルグループを応援している。その中でも推しメンは「堀田灯理(ほったあかり)」という子だ。年は18歳。とにかく可愛い。僕が堀田さんの握手に行ったのは1年前。これから売れていくだろうなという兆しが見えてきた頃だった。目の前で見ると顔は小さいし、テレビで見るより数倍可愛い。人見知りの性格だと聞いており、確かに最初の会話は人見知りな感じが出ておりぎこちなかったが、今では気さくで話しやすい。1年間通いつめた僕は自分で言うのもなんだが、関係は良い方だと思っている。だからこそ砕けた話しも、真面目な話しもできる。
ただ、僕だけではない。ほかのオタクとも分け隔てなく接してくれる。その振る舞いが僕は好きで今もこうして応援をしているのだろう。ただ握手会だけではなく、ライブでも一際輝いて見える。彼女のパフォーマンスも好きでライブ会場にも行くし、大声で名前を呼んでは思いっきり手を振って、返しもされないレスを求めつつ、ライブ全体の雰囲気や他のメンバーのパフォーマンスを楽しんでいる。『アイドル』という仕事を、本当に楽しんでいる僕の推しメンは、やはり最高だ。
「おっ、ブログだ」
このタイミングでブログの更新。僕は早速、読むことにした。
「明日の握手会も楽しみ!いろんな人とお話しできるの待ってます!」
相変わらずのブログの文面、中身がなさすぎる。しかし、明日の握手会がより楽しみになった。ブログを読みながら続けた握手券の仕分けも終わり、明日の荷造りを始めた。と言ってもたいした持ち物はないが。握手券にハンカチ、ティッシュ。忘れてはいけないミンティア。こんなところだろう。僕は荷造りを済ませると、ブログにコメントをした。
「明日の握手会に行きます。楽しみです!」
簡単だがコメントを残し、僕は寝る準備をした。前回の握手会が2ヶ月前。久しぶりの握手会でどんなことを話そうかウキウキしていた。まるで修学旅行前の小学生のように寝れないでいた。前日にこの寝れなくなるクセをどうにかしたいが、直らない。だが、それくらい毎回の握手会が楽しみなのだ。とりあえず部屋の電気を消した。「明日も、推しメンを笑わせてやるんだ」。そんな気持ちを胸に就寝した。
翌朝6時。
「やっぱり寝付けなかった」
予定よりも2時間早めに起床した。いくらなんでも早すぎる。今から2度寝をする気にもなれず、布団から起き上がって顔を洗い、歯を磨くことにした。そして寝癖のついた髪を整え、姿見で今日の服装をチェックした。
「よし、今日はこれでいこう」
ある程度仕度が出来たところで、もう一度荷物の確認をした。
「忘れ物はないな。じゃあ、早いけど行きますか」
時刻は7時。家の鍵を持ち、普段より早めの出動をした。しかし、外は生憎の雨だった。明るく元気に玄関の扉を開けたというのにこれだ。
「今日の天気は雨のち晴れとか、ニュースで言ってたっけ」
僕は家の鍵を閉めると、鞄から折りたたみ傘を取り出した。そして、アパートの階段を降り、傘をさしながら最寄りの駅へと向かったのであった。
その道中、話す内容についてシミュレーションをした。こう話したら、こう返事が来る。しかしこのシミュレーション、だいたい意味がない。これ通りに会話が展開されたことがあまりないからだ。話しやすいとはいえ、会話がぶっ飛んでいることもしばしば。たまに「えっ?」と聞き返してしまうことさえある。果たして、今日はうまくいくのだろうか。それにしても、握手をする前からこんなに緊張しているのは、自分くらいではないか。だいたい女子と話すことがない自分には、ハードルが高い。できることなら、僕と会話の練習をしてくれる、優しい女子を募集したいくらいだ。
「こんなことを言っても仕方がないか」
自分のコミュニケーション能力は、まだまだ改善が必要そうだ。自分に呆れていると最寄りの駅に着いたので、改札を通り電車を待つことに。駅のホームには、電車を待つ人がちらほら。しかし、今日は休日。サラリーマンや仕事に行く社会人は少ない。
「休日くらい、ゆっくりしたいよなー」
自分が社会人になったら、まだオタクを続けているのだろうか。そもそも、あと3年後も堀田さんはまだアイドルを続けているのだろうか。いい大人になってオタクを続けているものもどうかと思うが、おそらくオタクを続けている未来が見えた。
「大丈夫かな、自分…」
そうこうしていると電車がやってきた。電車の自動ドアが開き、車内に入る。僕が乗ったのは先頭車両で、今日の車内は空いていた。朝も早いし座れる余裕もある。僕は席に着くと目をつぶり少し寝ることにした。乗り換えまでの駅まで40分。時間もあるし、ちょうど良い。僕は鞄からウォークマンとイヤホンを出し、音楽を聴き始めた。聴く曲は、もちろん今日会いに行くアイドルの曲。僕は少しの間、寝ることにした。
出発してから6駅くらい過ぎたころだっただろうか。僕は目が覚めた。まだ乗り換えの駅まで時間があるが、どうやら寝れそうにないくらい今日の握手会が楽しみなようだ。
「乗り換えの駅まで、起きてるか」
僕は「やれやれ」とつぶやきながら仕方なく席を立ちあがり、電車の出入り口付近にもたれかかりながら立つことにした。ボーッと正面に見える景色を眺めていたが、空はどんよりとしており、せっかくの休日を台無しにしてくれている。僕はふと電車が走る先を目を向けると、直線からカーブに差し掛かろうとしているのがわかった。
「カーブを走るには、結構スピード出てるな」
今の電車の速度にしては、このカーブを曲がるには少し速い。僕は少しだけ違和感を覚えた。電車がいよいよカーブに差し掛かろうとしたその時だ。電車の車輪が「キキーッ!」と音を立てた。このスピードでのカーブ。雨で濡れた影響で滑りやすくなっている線路。僕は最悪の状況が頭の中でよぎった。
「これじゃあ、曲がりきれない…!」
そして僕が思ったことは現実になった。電車は線路から脱線し、車両が正面の建物にぶつかった。大きな音と衝撃が車内に響き渡った。しかも不幸だったことにこの車両は先頭車両、間違いなく助からない。僕は目をつぶり死を覚悟した。乗客の悲鳴が聞こえる、パニックになっている。もうダメだ、助かる気がしない。人の死は絶対だが、よりによってこんな日に死ぬなんて。「ドーン!!」と大きな音とともに目の前が真っ暗になり、僕の意識は薄れいったのであった。
→②に続く
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