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「婚約者・齋藤春香⑰」

 翌日、私と坂本は会社のエントランスにいた。いつも通り、受付には2人の受付嬢が在籍しており、会社を訪れた人の対応をしている。
「ついに来ちゃったな」
「うん」
 これからやることはもう決まっていた。昨日話した手筈で、彼が動き出した。
「あの、すみません。面会をお願いしたいんですけど」
彼が受付嬢に話しかけて、私は彼の陰に隠れてついてきた。
「星野圭吾様なのですが、よろしいでしょうか」
「星野圭吾ですね。承知しました。ただいま部署に確認します」
「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「坂本省吾と申します」
「坂本様ですね。少々お待ちください」
そう言うと受話器を取り、内線をかける。
「はい、かしこまりました。では1階エントランスまでお願いします」
通話が終わり、受話器を置いた。

「お待たせいたしました。星野がただいま向かいますので、もう少々お待ちしていただけますでしょうか」
「わかりました。ありがとうございます」
彼が一言お礼を言い、私たちは星野さんが来るのを待った。
「齋藤、まずは俺から話しをする。タイミングを見て、後から出てきて」
「わかった」
「ここで決着をつけよう」
 私は、坂本君の言葉に頷いて、彼から少し離れた場所に隠れて、二人の様子を伺うことにした。

 受付からの内線を受け、すぐに星野さんがエントランスへやってきた。
「初めまして。あなたが星野さんですね」
「はい。初めまして。あの、坂本さんでしたよね。私お会いしたことがないので…」
「石川食品という会社で営業やってます」
「そうですか。それで、本日はどういったご用件で?」
「あの、1つお伺いしたいことがございまして」
「なんでしょうか?」
僕は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから話し始めた。

「最近、ある女性と別れませんでしたか?」
「どうしてそれを…」
少し動揺する彼に対し、僕は話しを続けた。
「実は僕の知り合いなんです。その人」
「齋藤の知り合い…」
「昨日、雨でずぶ濡れになってるところを見つけました」
「そう、ですか・・・」
「齋藤さんがどんな気持ちでいたか、あなたには分かりますか?」
「…」
彼は黙ったままだ。
「あの日、齋藤さんは自殺しようとした。愛していたあなたに裏切られて、途方にくれていたんです」
「そんな、バカな…。彼女がそんなことするはずがない」
「本当です。僕が彼女を見つけたとき、本当に辛そうな顔をしてましたよ」
「今回のことで坂本さんにご迷惑をかけしてしまい、申し訳なかった。だけど、僕はもう齋藤とは関係ない。別れたんだ」
「関係ない?齋藤さんに謝るべきなんじゃないですか?」
「謝る・・・、なんで?」
「あんた、本当に言ってるのか?」
僕は彼の無神経な一言に頭がきた。本当に言っているなら男性として終わってる。
「確かに結婚間近に申し訳ないことをしたと思う。でもそれだけじゃないか。僕はほかに好きな人ができてしまった。齋藤なんかよりもっといい人だ」
「ほんと最低だな、あんた」
「じゃあ、僕は失礼するよ。忙しいんだ」
「待て。まだ話しは終わってない!」
僕は彼を引き留めようと、肩に手をかけた。
「離せ!これ以上手を出すなら、会社から追い出すぞ」
僕を突き放すように肩にかけた手を、無理やりはらった、その時だった。

「そうよ。まだ話しは終わってないわ」
「齋藤…どうしてここに」
立ち去ろうとする星野さんが、驚いた表情で私のことを見ている。
「もう謝らなくていい。私がバカだったみたい」
呆れた口調で、私は今まで溜まっていた気持ちを全て彼にぶつけた。
「あの時、私に愛してるって言ったのは本当だったのかもしれない。でも、いつしか松田さんの気持ちに惹かれていって、その想いに応えるように星野さんの気持ちが松田さんへ気持ちが移り変わった」
もう彼に会うことはない。私はもう死んでいるのだから、この際だからはっきり言ってしまおう。嫌われたってもうどうだっていい。
「星野さんの都合で変えてしまう愛なんて、そんなもの本当の愛とは言えない。偽物の愛で、松田さんを幸せにすることなんてできないわ」
私のとどめの言葉を聞いた星野さん何も言い返せず俯いたままだった。
「さようなら、星野さん。二度と会うことはないから」
私は、鞄から辞表届を取り出し、星野さんの手を握って、辞表届を持たせた。
「これ、人事の人に渡しといてください。もうここには来ませんので」
「えっ?齋藤、本当にいいのか?」と坂本君が私に聞く。
「もうこんなところいたくないから」
私の行動に圧倒された彼は目を見開いて驚いていたが、何も言葉を発することはなかった。
「それじゃあ、失礼します。こんな人ほっといて行こっか、坂本君」
私は堂々とした態度のまま出口へと歩きはじめた。
「し…失礼します!」
坂本君も彼に一言挨拶をしてから、私の後を追った。

 会社を出ると、いつもよりも空気が良く感じた。私は両手を組んで、大きくのびをした。
「はー、清々した!」
 私は大きな声で言った。
「齋藤はやっぱすごいよ。あんなに堂々とできるなんて」
「ビシッと言ってやったわ。これでもう心置きなく死…」と言いかけたが、そのあとの“死ねる”という言葉を飲み込んで、言い切るのをやめた。
「でも、これも坂本君のおかげだよ」
昨日、彼に言われたのは星野さんを見返してやろうということだった。おかげでスッキリしたし、未練を残すことなく去ることができる。
「でも、本当に良かったのか?会社まで辞めちゃって」
「もういいの。どうせいなくなるし」
「なんだそれ。また新しい仕事探さないとな」
「そうね」
「齋藤さえよければ、うちの会社で働くとかどうだ?」
「うん。ちょっと考えてみようかな」と、私は考えるふりをした。彼は私が本当にいなくなることを知らないのだ。そう思うと、なぜだか急に申し訳ない気持ちになってきた。

 ふと腕時計を見ると時刻は14時。私が生きていられる延長時間は、あと10時間を切っていた。
「それにしても、これからどうしようか」
困ったように彼が質問をしたので、私からある提案をしてみることにした。
「ねえ、坂本君。私、行きたい場所があるんだけど」
「行きたい場所?」彼が不思議そうな顔をしていたが、私はお構いなしに彼の手を握り、駅に向かって歩き出した。

 駅に着いた私はここから目的地までの路線を調べた。どうやら、ここから40分ほどかかるようだ。私はどこに行くか何も告げないまま彼と一緒に改札を通り、ホームで電車が来るのを待っていた。
「齋藤、行きたい場所って?」
「それはね、星野さんと行けなかった場所かな」
「どこか教えてほしいな」
「ダメ。着くまでの内緒にしたいの」

 電車がやってきたので、乗車した。隣にいる彼はどこに行くのか聞きたげな雰囲気を出していたが、私は気づかないフリをしながら、目的地まで全然違う話題で彼と話し続けた。私ができなかったことを彼に押しつけてしまうのは申し訳のないことだが「最後なのだから」と自分に言い訳をつけて、彼を強引にある場所へと連れていくのであった。

                             →⑱に続く

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