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「婚約者・齋藤春香⑦」

 私と星野さんは、高級ホテルの前に立っていた。先月改装されたとニュースで言っていたホテルで、まさか私がこんなところに来れるなんてと驚いていた。足がすくんでしまったが、彼に連れられ中の入るとエントランスはとても綺麗で、全てが煌びやかに見えた。もうここでビビりまくっていた私は帰りたい気持ちでいっぱいだった。
 ふと目を違う場所に移すと自動演奏するグランドピアノが置かれていたことに気づいた。何か有名なクラシックの曲が流れていたが、曲名が思い出せない。「本当に私がこんなところに来ていいのだろうか」と緊張しながら彼とエントランスを抜け、エレベーターに乗った。
 このホテルは宿泊するだけではなく、レストランもいくつかあり、「最上階から見える東京の夜景を楽しみながら、食事も楽しんでいただきたい」と、ここのホテルのオーナーらしき人がニュースで言っていた気がする。

 エレベーターが30階で止まり、私たちはエレベーターを降りた。30階なんて私が働いているオフィスの倍くらいある階だ。こんな高いところに来るなんて、私はまだまだ早すぎる。というか一生かかってもこんなところ来れるわけない人間なのに・・・。

「齋藤、着いたぞー」
 私がくだらないことを考えていると、いつしか目的のお店に着いていた。そこは日本料理を専門とするお店で、入り口はまるで老舗旅館かのような佇まいで、瓦屋根に木でできた小さな門があった。そこに「威風」と書かれた暖簾が掛けられていた。
「なんだか、高そうなお店ですね」
今更すぎる発言をのんきにする自分がバカだなーと思った。
「うーん、俺も初めて来たからさ。気になってたんだ、ここのお店」
「そうなんですね」私はお世辞ではなく、心から感心していた。
たぶん、こういう情報を見つけることも、社会人として必要になってくることなんだろうなと、またもバカっぽい考えをしていた。
「ちょっと待ってて。席空いてるか確認してくるから」と言うと、彼はお店に入っていった。
 しかし、なぜ私に声がかかったのだろう。そのことが疑問で仕方なかった。「まさかね・・・」告白されちゃうんじゃないか?という一抹の期待を胸に私は彼が戻ってくるのを今か今かと待っていた。

「齋藤、こっちこっち」と手招いているので、彼の元へと向かった。
「席、大丈夫でした?」
「夜景が見える綺麗な席がちょうど空いてて、そこにしてもらったよ」
「夜景が綺麗に・・・」その言葉に、私の期待がどんどん膨らんでいく。「そんなこと言われたら好きになってしまうではないか!もし外れた時、
その時のダメージが大きいから、期待させないでくれ!」と心の中で叫んだ。
「ほら、早く席に着こう。夜景見るの楽しみなんだ!」
 この一言は彼が夜景を見たくてワクワクしている気持ちの表れなんだとわかってはいるが、無意識にも私の期待を膨らませる一言にも聞こえ、私は顔が熱くなっていった。

 私たちは、着物を着た女性に席まで案内をされていた。店内は、中央に一本の太い柱があり、このお店を象徴するかのような堂々とした雰囲気。また、板前さん料理を作っているところが見られるよう、しきりは低く、またガラス張りになっており、食べて楽しめるし、料理をしているところも見て楽しめるという、このお店ならではの作り方が伺えた。
 席に着くと、おしぼりとメニューを手渡された。
「齋藤、好きなのも何でも注文していいからな」
「はい、ありがとうございます」
 普段から遠慮がちの私は、この言葉が苦手だ。というより、上司から奢ってもらうことに気が引けてしまう。だから、好きなのもを頼みたくても奢ってもらうんだ、そんなに高いものは頼んじゃダメだとセーブがかかってしまう。
「ほんと、気にしなくていいからな」と、たぶん私が遠慮するのではないかと思った彼がもう一度言った。
「では、お言葉に甘えて・・・」私は申し訳なく答えた。
 メニューを見るに、このお店は一品料理のみ出されるようだ。漬物や揚げ物。刺身や焼き鳥。ご飯ものに創作料理と、様々な料理があるようだ。
「齋藤、食べたいもの決まったか?」
「えっと、はい決まりました」
「じゃあ、注文するか」
彼が店員さんを呼び注文を始めた。
「だし巻き玉子と、きゅうりの一本漬け。あと牛すじ煮込みを。齋藤は?」
「私は、カキフライと肉じゃがを」
 お昼に食べ損ねた肉じゃがをメニュー表に書いてあるのを見つけた私は、どうしても肉じゃがを食べたかった。
「あとビール1つ。齋藤、飲み物どうする?」
「じゃあ、私もビールを」
「かしこまりました。では、お飲み物はすぐにお持ちしますので、料理の少々おまちください」
注文を確認し終えた店員さんは会釈をし、厨房へと向かった。

 私たちが座っている横はガラス張りで、東京の夜景がよく見える場所だった。
「それにしても、すごい綺麗だな。今度、ここで会食するのもありだなー」と彼はつぶやいては、スマホで写真を撮っている。彼の真面目でしっかり者のイメージと打って変わり、興奮して楽しむ若者らしい一面を垣間見た私は笑ってしまった。
「齋藤、なんでクスクス笑ってるんだ?」
「だって、星野さんそんなことする人だと思わなかったので」
「人をイメージだけで判断するのよくないぞ。俺だって、若者らしいことするんだ!」と何の恥じらいもなく強がる発言をし、彼はその後もパシャパシャと写真を撮っていたので、私はクスクス笑いながら、一緒になって写真を撮った。

「お待たせしました」と言い、店員さんがビールを運んでくれた。本当は明日も仕事があるからお酒は控えたかったけど、たぶんこうして彼とビールを飲める機会も最初で最期だと思って注文した。
「乾杯しようか」
「はい」
「じゃあ、齋藤とこの素晴らしい夜景に乾杯」
「乾杯。って夜景も込みなんですか?」
「いいだろ、夜景綺麗なんだし」彼は少しふてくされ気味に言い、ビールを一口飲んだ。私はクスッと笑って「はい、それもいいですね」と言い、ビールを一口飲んだ。
 料理が来るまで、少し時間があった。何を話せばいいのだろうか。私はこの微妙な間をどうにか埋めたくて、話す内容を考えていた時だった。

「齋藤、一つ話しがあるんだ」
いつにもなく真剣なトーンで話す彼に、ドキッとした。
「何でしょうか…?」
次にどんなことを言われるのか。恐る恐る聞き返した。
「実は、今度から新しい企画が始まるんだが、その企画に齋藤にも参加してもらいたいんだ」
「えっ…?」
 私が思っていた展開と違ったのと、自分が選ばれたことに対して。2つの意味での反応だった。そんな私の反応を、彼は不思議そうな顔で見ている。
「いや、今すぐに返事がほしいというわけじゃないんだ。良きタイミングで返事をもらえれば・・・」
「ぜひ、参加したいです!」
「ほんとか!?」と嬉しそうに答える彼は、真剣だった顔つきが柔らかくなり、笑顔になっていた。私は、彼のおかげで今の仕事ができている。だから、少しでも恩返しをしなければと思っていた。なら、今ここで彼の一声に答えて、仕事を一緒にしていきたい。願わくば、彼がこうして笑顔になっている姿を見ていたい。それが私の原動力に変わるのだから。
「いやー、ありがとう。すごい助かるよ」
「私なんかでよければ」
「何言ってるんだ、一緒に頑張ろうな!」
この言葉が、私が仕事をしてきた中で、一番頼もしく感じた。この言葉に応えられるよう頑張らなければ。
「はい、宜しくお願いします!」
私は頭を下げ、決意表明を果たした。これが私が今できる恩返しだ。顔を上げると彼がニコニコ笑っている。

「お待たせしました。お料理です」
お盆には先ほど注文した料理が揃っており、一つ一つテーブルに並べられた。どれも美味しそうで、彩りも綺麗だ。何より、私が頼んだ肉じゃがは一際美味しそうに見えた。
「いやー、どれも美味しそうだな」と彼は興奮気味に言いながら、自分と私のぶんの箸を取ってくれた。
「ほい、齋藤の箸」
「ありがとうございます」
「じゃあ、いただきます!」
「いただきます」
 この後の私たちとはいうもの、私の学生時代の話しや、彼の学生時代だった時の話し。仕事のことではなく、たわいもない会話が続きとても楽しかった。仕事をしていく中で、こういうコミュニケーションも必要なのだろうと実感しながら、私たちの食事は続いた。

                             →⑧に続く


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