「婚約者・齋藤春香⑯」
外は大雨だった。
私は傘をさし、オフィスにも寄らず、最寄りの駅で電車に乗って彼が住むマンションがある最寄り駅まで向かうことにした。出入口の隅で立っていた私は横に流れていく外の景色を落ち込んだ気持ちのまま見つめていた。
最初沈みきった気持ちだったが、少しずつこみ上げてくるものを感じ、いつしか泣いていた。「なんで」という単語が何度も何度も浮かんできては、あんなに好きだった彼のことがどんどん嫌いになっていった。
30分ほどで彼と住んでいたマンションの最寄駅に着いて私は、電車を降りてマンションまで歩いた。相変わらず雨足は強く、傘もささず歩こうものなら、あっという間にびしょびしょにくらいだった。
「愛していた人と一緒にいられないなんて。もう死んでやる」
彼を恨みながらマンションへと向かっている今の私の気持ちは、この雨と一緒だ。どんよりとした雲は光さえ通すことなく真っ暗なままで、雨は私の涙のようで。マンションに着いた私は、エレベーターと階段を使って屋上へと向かった。
屋上へと出た私は、どうでもいい気持ちになってしまい持っていた傘を放り投げた。もう生きていても仕方のないくらい、自分の価値がわからなくなってしまっていた。無意識のうちに私は屋上に建てられた柵を越え、あと一歩踏み出せば死ぬという場所に立っていた。そして私は・・・。
私はこれまでの経緯を坂本に話した。
「それで、齋藤は?」
「怖くなって、飛び降りるのを諦めたわ」
私は死んだことだけは隠した。ルールにもあったけど、そんなこと信じてももらえないだろう。
「えっ!?齋藤、まさか自殺しようとしてたのか?」
「だって生きていても仕方ないもの」私は魂が抜けたように、気力なく答えた。
「ダメだろ、死んだりなんかしたら!」
普段、大声を上げないようなイメージの坂本を見て、驚いた。でもこの悲しみを今の彼には絶対わからない。私はムキになって彼に言い返した。
「だって、好きな人に結婚2日前に別れたのよ。そんな話し聞いたことある?」
「聞いたことはないけど、だからって死ぬのは違うだろ」
彼はやるせないような感じで、私の行為を何とか理解しようとしていた。彼がおかしいんじゃない。フラれたからといって死を選ぶ私のほうがおかしいのだ。
黙ったままの彼だったが、何か思いついたのか私のほうを向いて話し始めた。
「その星野って人。明日も出社するんだよな?」
「うん、そうだけど」
「わかった」
「え?」
「齋藤がそんなに死にたいって頑固なら、1つ俺の頑固さにも付き合ってほしいことがある」
「何をするの?」
このあと彼が話したアイデアは私のためを思ってくれた、ある作戦だった。
「じゃあ明日ね」
「齋藤が良ければ」
「いいよ。やろう」
まさか彼からこんな提案が出てくるなんて。彼と顔を見合わせた私は嬉しくなり、笑顔で頷いていた。
→⑰に続く
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