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「婚約者・齋藤春香⑪」

 季節は変わり、外に出ると肌寒く感じ、紅葉が綺麗に見られる11月になっていた。彼が主導で動いていた他社との契約は順調に進み、長期間ではあったが、契約は無事に結ばれたということが社内で発表され、社員一同、上司の方もホッとした様子で彼の頑張りを労っていた。私もまたホッと胸を撫で下ろすように安堵した。私もこの契約に関わってきたので、決まったとわかり嬉しい気持ちでいっぱいだった。自分が少しでも役に立てたのであればそれでいい。
「良かったわね、無事に済んで」と声をかけてくれたのは深澤さんだった。
「嬉しいですね、こういうの」嬉しさのあまりちょっとだけ泣きそうになっていた私は、それがバレないよう少し俯きながら答えた。これくらいのことで泣いていたらまた深澤さんに笑われてしまうだろう。

 社内に彼が戻って契約が済んだことを報告した時は、すでに定時退勤の時間となっており、私はこの日の仕事も終えて帰り仕度をしているところだった。
「齋藤、ちょっといいか」
「はい」
「今日、夕食一緒に行かないか?」
「行きたいです!」
ここのところ彼は忙しくて、なかなかご飯に行けない日が続いていた。
「でもいいんですか?私より、ほかの上司の方々と行かれたほうが・・・」
「いいんだ、それはまた日を改めて行くつもりだから」
「なら、お言葉に甘えて・・・」
「よし、じゃあ今日は久しぶりだし、いつもよりいいお店に行こうか。齋藤の頑張りも労わないとだしな」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「でも、悪いがちょっと待っててくれないか。メールを何通か送らないといけなくて。それ終わったら会社出るから」
「わかりました。会社の近くのカフェで待ってますね。また連絡ください」
「ありがとう。速攻でメール送って出るから」彼は笑顔でそう答えてくれた。

 私は更衣室で着替えて会社を後にして、近くのカフェで時間をつぶした。待っている間、嬉しい気持ちが先走って、ずっとにやけっぱなしだった。今日は久しぶりに2人きりでいられる。好きな人と一緒にいられるということを、にやけずにして過ごせるだろうか。早く彼からの連絡がこないか、私はスマホとずっとにらめっこをしていた。

すると、後ろから自分の頭をポンポンと撫でる人が現れた。
「わっ!」と声を出して驚いた私はすぐに後ろを振り向いた。そこには、彼が落ち着いた雰囲気で立っており、私が驚いてる姿をニコニコしながら見ていた。
「ちょっと、驚かさないでくださいよ!」
「いやー、なんかたまにはこういうのもいいかなと思って」
彼はいつにもなく嬉しそうだ。契約までの期間ずっと根を詰めて仕事をしていたし、それ以外にもほかの業務が重なりピリピリしていることはよくあった。時には、私でも声をかけるのもためらってしまうくらいだったが、今はこうしていつもの優しい彼に戻っている。でも、こんなに穏やかでいる彼を見るのは初めてかもしれない。
「じゃあ行こうか」
「はい!」
私は彼の車に乗り、今日行くレストランまで向かった。

 車に乗って30分が経った。オフィス街から、おしゃれなレストランなどが集まるグルメ街に来ていた。
「今日はここですか…?」
私は、今まで行ったことないほどの高級感に圧倒されていた。
「今日は特別だからな」隣にいる彼は、何かを思い立ったようにしていた。
「それならもっとちゃんとした服を着てくれば良かった…」と心の中でつぶやいた。車は駐車場へ止まり、そこから私たちは目的のレストランまで歩いて向かった。

 席を案内された場所からは他のレストランのライトや、小洒落たイルミネーションが見える場所で、告白するならもってこいの場所だなと思った。
「すみません」
彼が店員さんを呼び、自分と私のぶんの料理を頼んだ。どうやら今日はコース料理のようだ。何かを注文しなければ、ということもないので優柔不断な私はホッとした。 料理の注文し終えると、それまでしばらく待ちになった。
「すまないな、最近一緒にいてやれなくて」
「いえ。圭吾さんが忙しいのはわかってましたから、これくらい平気です」
「申し訳ない」と彼は頭を下げて言った。
「頭をあげてください!私なら全然大丈夫ですから」
私は慌てて頭をあげてもらうように言った。
「春香は、最近どうだ?仕事のほうは」
職場からプライベートの時間になると、彼は名前で呼んでくれる。久しぶりに言われ心地良く感じていた。
「おかげさまで、これまでの圭吾さんのお仕事に付き合うこともあり、いろいろ勉強になりまして。それが評価されて、今は色々と任せてもらえることも増えてきました」
「そうか。春香も成長したんだな」
「圭吾さんが声をかけてくれたおかげです」
「いや、春香の頑張りが認められたんだ。僕も嬉しいよ」
「ありがとうございます」と、私は照れながら言った。

 話しをしていると、1品目の前菜と白ワインが運ばれてきた。店員さんがグラスにワインを注いで、会釈をして、次の料理の準備へと向かった。
「乾杯しようか」
「はい」
コンとグラスを軽くぶつけ、乾杯をした。一口飲んだワインが、これからの食事を楽しませてくれるような、きっかけを与えてくれた。今日は食事も会話も楽しみたい。だって私たちお互いが好き同士なのだから。1品目を食べ終えると、2品目のパスタ、3品目の魚料理と運ばれてきた。ゆっくりと、和やかに進む時間はあっという間だった。気づけば料理はほぼ出され、残すはデザートのみとなった時、彼が話し始めた。

「齋藤、大事な話しがあるんだ」
彼のこの真剣な表情。この光景、昔どこかで見たことのある光景だ。
「圭吾さん新しい企画を頼まれた時だ」私は、ふと思い出した。今回はどんな話しなのだろう。
「春香、率直に言う」
「はい」

「俺と結婚してほしい」

 その言葉に世界が一瞬止まったような感覚に陥った私は、目を大きく開け、彼の目を一点に見つめた。彼はスーツの内ポケットから、一つの小さな箱を取り出し、箱の中身が見えるように開けてくれた。
「これって・・・」
箱の中には婚約指輪が入っていて、私は嬉しさのあまり両手で口元を抑えた。言葉では言い表せないくらいの感動で胸の高鳴りを感じ、みるみるうちに涙が溢れ、嬉し泣きをした。
最初は叶うなんて思ってもみなかった恋だった。それが、こんな形で実を結ぶなんて誰が想像できただろう。「信じられない」この一言に尽きる。私はハンカチで涙を拭き、一度深呼吸をしてから、彼の告白に答えた。

「宜しくお願いします」
私はプロポーズを承諾した。
「そうか、ありがとう」
緊張感と私の返答に対しての不安から解放され「ふぅー」と大きなため息をつくと、彼も泣きそうな表情をしていた。
「指輪、私の指につけてほしいな」私は彼に甘えるようにお願いをした。
「うん、わかったよ」
彼は笑顔で私の願いを聞いてくれた。私の左手を掴んで、薬指に指輪をゆっくりとはめてくれた。
「似合ってるかな?」
私は手のひらと甲を見せるように、くるくると返した。
「ああ、とても素敵だよ」と嬉しそうに答える彼は、本当に嬉しそうな顔をしていた。私はもう一度、婚約指輪を見た。キラキラと輝くダイヤが眩しくて、「私は今、世界で1番の幸せ者だ」そう実感した。
「はぁ、良かった。春香が喜んでくれて」
「喜ばないわけないよ、私はこんなに大事にされてるんだから」
「決めてたんだ。今の契約が成功したら、春香に告白しようって」
「何ですかそれ。じゃあ、もし失敗してたらどうしたんですか?」
「もちろん、プロポーズは延期。自分が納得できる時にしてたと思う」
「でもプロポーズもタイミングですよ!もし、私の気持ちが離れるようなことがあったらどうするんですか!」
「いや、春香の気持ちが離れるようなことなんてない。春香はそんな人じゃないだろ?」
 確かにそうだ。もし、ここでプロポーズをされていなくても、彼からの一言にいつでも応える準備はできていた。
「それって、すごい過信ですよね」私は、わざと意地悪く言ってみせた。
「過信なんかじゃないよ。春香のことを知っているから、信じられるんだ」
「ほんと、圭吾さんって一途なんですね」
「俺はいつだって一途なんだ」と自信満々に言う彼を見て、私は可笑しくなってしまい、つい笑ってしまった。
「なんだよ、笑うことないだろ」
「嬉しいから笑ってるんです」
「そうか、それならいいんだ」
まぁ冗談なんだけどね、と内心思っていたけど、彼のそういう誠実な部分もまた魅力的だ。私はそれをずっと見守ってきたけど、彼に言ったことはない。いつしか言うときがやってくるのだろう。それまで、大切にとっておこう。

 交際を始めてそろそろ1年が経つ。彼からのプロポーズをもらい、こうして私たちは結ばれた。あとは式を挙げて、結婚という一つのゴールを迎えるだけだった。この時の私はそう確信していた。

“あの日”が訪れるまで。

                             →⑫に続く

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