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「婚約者・齋藤春香⑬」

 月日はさらに経ち、季節は春になっていた。結婚式をいよいよ3日前に控えたころだった。この日は、圭吾さんが出張から帰ってくるという日で、2日間も会社にいなかったし、家に帰ってこない日が続いた。出張で家を空けることはたまにあったが、そのたびに、心のどこかで「松田さんと繋がっているかも」と不安になることもあった。だけど、私はあえて彼にはこのことを話さないでいた。もし、それで関係が拗れてしまうのは嫌だったし、何より「疑っていたのか」と、誠実で真面目な彼だったからこそ、そう思われたくなかったのだ。

彼がオフィスに戻ってきたのは、午後の4時。
「いやー、長いこといなくてすまなかった。みんな元気してたか?」という一言で話し始める彼に、私はホッとした。いつも通りの姿で戻ってきた。それだけで安心してしまった。
「みんな、長い間不在ですまなかった。そのお詫びに出張先のお土産だ」というと、手に持っていた紙袋から、20個入りの温泉まんじゅうが入った箱を2箱取り出した。
「星野さん、観光しに行ってませんか?」誰かが冗談で言ったのを聞いた彼は、「何を言ってるんだ。真面目に仕事してきたんだぞ。でもまあ、いいお湯だったな。ご飯も美味しかったし」と彼は続けて「ハハハ」と笑っていた。
「ほらー、ちゃっかり楽しんできてるじゃないですか」
「まあな。ほらほら、温泉まんじゅうも食べて」
 その場は笑いで包まれて、各々が温泉まんじゅうを食べ始めていた。彼が戻ってきて、パッと社内が明るくなる、この光景を私は見たかった。いつもの社内の雰囲気になったことが嬉しかった。
彼の話しも終わったところで、各自デスクに戻り仕事を再開した。
「今日は彼のためにご飯を作ってあげよう。何がいいかな」と考えながら、私も自分の仕事の続きを始めたのであった。
 
 ふと時計を見ると時刻は定時を迎え、帰り仕度を始めている人がちらほらいた。私の今日分の仕事もあと少しで終わりというところまで来ていた。今日は不思議と仕事が進められたが、これも彼が帰ってきてくれたおかげ。終始、ご飯は何を作るかしか考えていなかったけど。
私は仕事の手を止めて、彼のもとへ向かった。
「星野さん、今日は一緒に帰りませんか」
「ああ、そうだな。今日は齋藤の作ったご飯が食べたいな」
「じゃあ今日は奮発して、星野さんの好きな料理だけ作りますね」
「おっ、そりゃ楽しみだ」と笑顔で言う彼に、私は一安心した。
「でも、齋藤。悪いんだけど今日は一緒には帰れないんだ。9時くらいには家に帰るから」
「わかりました。星野さん忙しいですからね。ご飯作って待ってます」
「すまないな」
「じゃあ、お仕事早く終わらせてほしいので、私はこれで」
「ありがとう。あとで楽しみにしてる」

 私は自分のデスクに戻って帰る準備を終えると、更衣室で着替えて彼より先に退社をした。そして電車に乗って、帰り途中にスーパーに寄って食材を買った。今日は彼が好きなハンバーグに決めていた私は、テンション高めにあれこれカゴに入れて買い物を済ませた。そのまま足取り軽く、彼と住んでいるマンション着いてから、部屋着に着替えて早速料理を作るのに取り掛かった。今日は贅沢にお肉100%のハンバーグを作る。
「よーし、気合入れて作るぞー!」と声に出して意気込んだ私は、気持ちを込めながら挽き肉を捏ね始めた。誰かのために愛情を込めて料理をすることが、なんだか久しぶりの感覚だ。

 生地も順調に作り終えて、その後の焼きの調理もうまい具合に仕上がったので、焼きあがったハンバーグをお皿に盛りつけた。ソースだけは自分でも上手く作れないので、手作りのものではなく市販のデミグラスソースをかけて完成だ。
「できたー」と安堵の声を出した私は、彼が帰って来るのを今か今かと待ちわびることとなった。

                             →⑭に続く

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