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2024年3月3日(日)-休職40日目-

起きて昨日作ったパスタを食べる。
クリーム系のパスタは小麦粉を使うから翌日固まってしまうのが難点だ。
フライパンに入ったままなのでそのまま温めようとしたが焦げそうだったので皿に移し替えて電子レンジで温めて食べた。

先日ホワイトボードアニメーションを試しにやってみたのだがなかなか面白かったので絵日記的な感じでまた描こうかなと思った。

しかし小さなホワイトボードに描くとはいえやはりある程度奥行きや立体や角度などが上手に描けていないと見ていてつまらないなと思い、以前から気になっていたクロッキーをやってみることにした。

クロッキーとは的確にモノを捉える訓練で人や動物、静物を素早く描くこととのことだ。顔や服など細かい部分は描かずに身体の流れや、動きをささっと描いてあるものだ。
よく聞くデッサンとは何が違うのか、それはクロッキーと比べデッサンは陰影や質感などを描き込んだ絵を指すことが多いそうでクロッキーは、基礎的な体力を作るのに有効だそうだ。

私はアニメも好きなのでSNSでもたくさんのイラストレーターさん作品のファンの方をフォローしている。

よくファンの方の描いたイラストなどを見ていてクロッキーを続けてこれだけ変化しました!という方を目にしてきた。
綺麗なイラストも好きだが人体の動きを美しく描いているクロッキーになぜか惹かれていた。
アニメとかを見ていてもこの体の滑らかさを表現出来るなんてどういう脳内になっているんだ…!?とかこの重心の置き方素晴らしい…!という見方をよくしている。
でも特にイラストなどを学んだ事はない。
なぜだかわからないがそういう視点で見てしまう癖がある。

幼い頃から真っ青な青空と雲を見て「うわぁー絵画みたいだなぁ。」と思うことがあった。
でもそんなことはない。
実際いま自分の目で見えているのは絵画ではなく現実だ。
現実の美しい景色だ。
現実の景色を見て「絵画みたいだ」と思わせるほど空や雲を描くなんて一体どういう視点でこの空を眺めて捉えてそれをアウトプットするんだろうとよく考えていた。
なのでとても作り込まれたアニメーションやイラストなどを見るとワクワクする。
一体どうやって思考し、この角度を計算しているんだろう、どうやって立体的に見えるように描いているんだろうなど考えているともう見えている世界が違うのだろうと想像し、それはもう未知の世界過ぎて「すげえー」という言葉しか出てこなくなる。
それほど美しいイラストなどは考えに考え尽くされて描かれていると思う。

なので描けはしないが設定資料集などを読むのも好きで好きなアニメの設定資料集は買ってしまう。

物や人や乗り物など登場するすべてのものには細かな設定や物語がある。

実際には動いたり、見えない部分にも「これはこういう方向に扉が開きます。」「この凹みは前回のストーリーで破壊された箇所を彼らが修復したため凹んでいます。」などなど詳細に記載されている。途方も無い作業だ。
クラクラする。何度も言うが一体どういう脳の思考回路なんだろうか。
光がこっちから入ってきて、とか反射して、とか頭の中で考えてイメージしたものをアウトプットするその脳の使い方は一体どうなっているんだ…!と読みながら考えてしまう。

昼を食べて確か14時くらいからYouTubeで検索してやり始めた。
気づいたら20時だった。
それほど夢中になって描いていた。

途中おすすめで上がってきたた柴崎 春通(しばさきはるみち)さんの動画が出てきた。https://www.youtube.com/channel/UCfRmbGan4FGoUjsc3whx7eg鉛筆一本だけではい!出来上がり!と言う感じで本格的なイラストを描く方でSNSでバズっていた方だ。
コロナ禍に出かけられないのでみんなでお家で絵を描こうと言う感じの動画だった。子供さん向けに撮られた動画なのかとても丁寧に、わかりやすく描いていく動画だった。リンゴを一緒に描いた。楽しかった。描いていて楽しいなんてこんなことあるかとも思った。


描きながら小学生の時の図工の授業を思い出していた。

私は授業で好きな課題だとすぐ夢中になって作業していたが興味がない物だと本当にぐだぐだと作業をしていた。

何の意味があるのかわからないと、それやる意味なくない?それ人生に必要なの?的な思考のいわゆる面倒くさい子供だった。
確か動物を描かないといけない課題が終わらず居残りメンバー数名と一緒に図工室に残っていた。
なかなか気が乗らずに一緒に帰ろうと待っている友達と遊び出そうとして先生に「ほら!ねこちゃん!あなたはちゃんと描けるんだからしっかり描きなさいよ!」と叱られたのを思い出した。

結局、何か提案してもらって熱帯雨林的なものを描いて図鑑を見ながら絶滅危惧種の鳥たちを描いて終わらせた気がする。
彼らが絶滅していなかった場合の世界的なやつだ。
今でもオオハシの長いくちばしを描いた時のことを覚えている。
でもこれは似せてるだけで本物っぽくないなと思ったり、そんなことをふと思い出した。
もっと技術的に細かく描きたかったのにとりあえず鳥が描けていればいい、描きあげれば良いというのが嫌だったんだろうな、と思った。やはり幼い頃から捻くれている性格だ。

そういえば外に出て桜の木を模写するという授業があった時もそうだ。

常に風や太陽の動きで光や影が変わるのでそれを止めて描くなんて無理じゃない?色はこの色だけじゃ足りなくない?全体を描けばいいのか詳細を描けばいいのかなどなど。
色々なことを考え過ぎて全然描き進められなかった。
この影はどうやって描くのかとかこの色はどうやって表現するのかとかわからず、純粋にそのまま思ったまま描ける子達が羨ましかった。

なので絵が得意だったのか?と聞かれると特に得意でもなく好きでもなく、描けはするけど仕方がなく描いていたと言う感じだったのでなんとも言えなくなる。でも課題がピタッとハマった場合は集中するとずっとやっていたような気がする。
完璧主義というよりか細かいことが気になり過ぎてしまうというのは幼い頃から変わっていないなと思った。
この日記もとりあえずなんとなく始めたが、色々と毎日自分が感じたことを思い起こしながら文字を打っていると昔の感情や感覚と繋がることがある。
考え方のクセを見直すきっかけになっている。
ジャーナリングというのはこういうことなのかなんて思った日だった。

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