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くうきを読む、同調圧力とは

みなさんこんにちわ、ねこです。

日本人はよく空気を読む力が凄いと甚だ形容されることが多い。
がしかし、空気を読むとはどういうことか?良いことなのか、はたまたディスリスペクトせざるを得ない万物の象徴たるものなのだろうか。

さいこうちくのおと、今回は「空気」について考察してみたので、お時間あればどうぞ。

【さいこうちく】・・・再構築のこと。価値観のアップデートをすることで人間社会でいきるすべての人が最高地区(心安らかな場所)を見つけれるように猫的観点を綴るのおと。

さて、みなさんは日頃空気を読んでいるだろうか?
はてさて、なんのために空気を読んでいるのだろうか?

おのおの空気を読む場面は多々あるかもしれない。
考えないといけないのは、その空気の"正体"とはなにか?
そして空気を読むことにメリットがあるのか?

この2点であると思う。

空気の正体


よく提唱されるこの等式は True, それとも Falseであろうか?

空気を読む=同調圧力に屈する

Googleで同調圧力を検索したら最初にヒットした記事を下記に引用する。

同調圧力・・・少数意見を持つ人がいる場合に、多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制するということです。

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この意味を加味すると
同調圧力=空気、それを読む=屈する、ということになるのであろう。

考える視点を一度古代に戻して同調圧力がいつ発生したのかを考えてみたい。


神の存在が空気を与え給うた


日本には多くの神社があるように"神道"という宗教を古来より信仰していた。※仏教やキリスト教も伝来してくるが。
この時代では、科学が発達しておらず自然災害はすべて"神による罰"であると考えられていた。説明できないものはすべて宗教的観点で推し量るすべしか持っていなかったためである。

そして、その罰を逃れるため"生贄"を捧げたり、神に祈ったりと、まったく科学的根拠のない習慣を生み出し結果文化として残ってしまった。

その時代背景を考えると、当時はいま以上に空気を読まなければいけなかったであろう。

村単位で生活を送るのであれば、誰か一人でも特異なことをすれば、それを理由に「罰が当たる/当たった」と咎められ白い目で見られるか村から追放される。そして謎の掟が作られ、破るべからずの謎ルールが子孫へと受け継がれていく。

仏教の場合は個人が如何に解脱し神になるかを考え自分自身との対話を大事にし、キリスト教の場合は、個人対神という構図なので個人が何かしでかしても、それはあくまでその個人を神が許す許さないだけである。

神道の場合は、集団対神という構図になり、個人のいわれもない行為に対して集団が神を恐れて罰を与えるという歪な構図であった。

集団生活をするうえで
ー災害が起きた理由を神の罰と定義し、その罰は村人の行動に起因するー
と考える思考に至ってしまったがゆえに同調圧力が生まれ、それに"屈する=空気を読む"文化、文化というより"個人的な意識"が芽生えてしまったのではないだろうか。


※あくまでも個人的見解による考察です。


くうきを読むメリット


さて現代には科学が存在する。古代のように災害レベルで村に悪影響を与えるものであれば是非空気を読んでもらい、災害を突破して欲しい。

おそらく、現代の成熟した社会でそこまでの空気が存在するだろうか。
当時の人も自分の住む村のために空気を読んでいただろう。
いまあなたが感じるその空気は誰のために読むべき空気なのか、
一度立ち止まってクンクン匂いを感じ取ってみてほしい。

すべてのパターンに解を見出すにはこのスペースでは足りないため割愛するが、あなたが本当に守りたいモノのために感じる空気ならば是非読んでほしい。ただ、それが同調圧力の空気を作っている側のために読むのであれば、ファブリーズを吹きかけるだけでよい。

大丈夫。あなたにはその権利がある。
心置きなくふぁぶりたまえ。


なぜ日本人は同調圧力を感じるのか


さて、ここまで駄文を読んでいただき感謝する。
同調圧力を感じるのは、古代から刻まれし意識の産物であると思う。なので恥じる必要はない。その圧力に屈することで担保している日本の素晴らしい文化もあるのだから。


もしかすると、圧力など発生していないにも関わらず、あなたが判断したも
のが圧力を生み出している震源地となっている可能性もある。


そういったたいそうなレベルでない空気に出会ったとき、あなたはどう考え行動するのか、私は至極興味がそそられる。


ふぁぶるのか、ふぁぶらないのか



どっち難題。



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