変化したバーチャルYouTuber(Vtuber)文化とオタク達が抱いた期待とヘイトについて

最近僕はVtuberに興味なくしたところで、あーわかるわかる、くらいの感じでこのポストを見ていた。ただ、あまりにも暇で暇で仕方なく、様々な人の最近のVtuber論を読んでしまって語りたいことが湧き出てくるので記事を書きます。

僕自身は上のポストに関しては普通に共感していて(最近のVtuberって初期とはもはや別物くらい違うよなー)と感じるんだけど、結構このポストや同調する意見への反発もあるようだし、このポストに対してではない記事とか見ても「バーチャル」という概念に関して思うところが人それぞれあるんだなと。

なので自分なりにVtuber文化の変化だったり、バーチャル感だったりについて語っていきたいんですが、ソースを確認して時系列を整理して事実確認して……が正直めんどくさいので今回は記憶を頼りに書き殴っていきます、間違ってる箇所あればごめんね。


Vtuberの黎明期からの歴史とこれまで発生してきた問題について


まず最近Vtuberにハマったような人はそもそもVtuberブーム黎明期当時を知らないと思うんだけど、個々のVtuberの活動方針が今と違うとかそんなレベルじゃなく、世の中もインターネットもまるで状況が違った。今でこそ当たり前のように皆Vtuberやってるけど、アニメ作品として発表されるのとは違い、キャラクターが意思を持った存在として動画を通じて視聴者にコンタクトしてくるってこと自体がまず異常事態で、突如として現れた未知の存在でした。僕なんか最初キズナアイの言うこと鵜呑みにして「そういうAIが出来たのか?」と勘違いしたもん。当時はVtuberどころかYouTube自体が今ほどの規模で受け入れられ、日常的に視聴されていなかった気がする。特に当時のオタクなんて「YouTuberは迷惑な陽キャ」くらいに偏見持ってた人も多いんじゃないか。

キズナアイを筆頭に「バーチャルYouTuber」達がネット上にブームを巻き起こしていくわけだが「バーチャルYouTuber四天王」という存在だって、当時だからこそ成り立ったものだと思う。今と違って全体の人数自体が少なく、動画主体の活動が多かったし、案件とかもまだまだこれからって感じの時期だったんじゃないかな。その気があれば「Vtuber界隈」をざっと追うことが出来たけど今はそうじゃない。Vtuberの人数は二万人越えてるんだっけ?ランキングも変動するし、引退や休止もざらにある。そもそもYouTubeがプラットフォームとも限らず活動は多岐に渡る。そんな状況で現在の「Vtuber四天王」なんて決めようもないと思う。今と黎明期は環境そのものが大きく違うわけ。

キズナアイは「バーチャル」という世界観を守るために現実の都市の名前を出すにしてもいちいち「バーチャル○○」とか言ってた覚えがある(例 バーチャル東京など)。パラレルワールドから語りかけてくる感じかな。で、他のバーチャルYouTuber達も当時はこれに追随する形で活動していたと思う。だからこの辺の時期の「バーチャル世界設定」にハマってた人が今のVtuber見ると全然違うよねって思うのは無理もないし、Vtuber側にしたって、当時よりもイベントとか多くなってるのに「バーチャル東京でイベントでした~」とか言い続けて整合性取るの難しいし疲れるでしょう。「活動のメインは動画が主流、評価は再生数」って時代から「活動のメインは配信やライブ、評価はスパチャや同事接続数など様々」って感じで変化してきたわけで、大手であればあるほど設定を守り続けるロールプレイ形式の活動って厳しくなる。

「いやいや昔からバーチャル設定なんて大して守られてなくて、みんな中の人に興味があったし、ロールプレイなんてガバガバだったよ」ってツッコミ入れる人がいるのも分かるんだけど、黎明期は時代的にも「バーチャルな世界観を成り立たせるために一丸となって育てていこう」っていう、共通目標というか空気みたいなもんがあったと思う。

僕の記憶だとニコニコ超会議かなんかで、バーチャルYouTuBarだっけ?対面でオタクがバーチャルYouTuberとお話出来る初のリアルイベントみたいなのが開催されたんですよ、たしか。それで『バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさんねこます』さんの回かな?一人のオタクが個人特定したがるような、中の人を見たい的なことを迫ってて「う~ん、そういうのはファンタジーにしてた方が楽しめると思うのじゃ~😅」みたいな困りながら何とか断ろうとする、みたいなシーンがあった気がする。ブーム初期の頃のオタクも(中の人ってどんな感じだろう?)って興味自体はあったんですよ。だけど「詮索するのは野暮だよな、このファンタジーを楽しもうぜ!」って空気を界隈で何とか作ろうとしてた。

ところがまあパンドラの箱を開けてしまうのがインターネット。四天王だったりにじさんじだったり、中の人の特定情報が出回るようになってしまいました。
「あー本業声優さんなんだー、こんな顔なんだー」と分かってしまうように。ただその頃は特定された中の人の映像とかがまたパンチ効いてて「バーチャルYouTuberやってる時と同じノリだなw」っていう期待を裏切らない人物像だったりしたからまた一盛り上がりある感じだった記憶。

このあたりまでは「中の人見ないようにしてたけど結局見てしまった、でもがっかりするような人達じゃなかったし、むしろ魂の人柄まで愛していこう!」って流れだったかも。

ところがまあVtuberビジネスが大きくなってきて人が増えていくにつれ、事情はどんどん変わってくる。

元々名の通ってた人気ニコ生主のような人達がVtuberになり始めたり、Vtuberという特殊で社会にまだ認められていない職業ゆえの労働問題、著作権ガバガバの配信に対して企業からの怒られが発生、SNSや配信での発言が炎上……みたいに雪崩のように問題が「ドドド!」って発生してきてバーチャルって概念守ろうとしても無理がある、そもそもオタク側も萎え始めるって時期があった。

ただまあ「バーチャル」という理想を守る必要が無くなってくるとある意味やりたい放題出来る幅は広がるんですよね。
『佃煮のりお』なんかはそれなりにオタク界隈で元から認知されていた有名人でありながらVtuber犬山たまきとして参入してきて、おしっこ我慢やら手コキやらそれまでのVtuber業界では結構避けられていた生々しいド下ネタをぶち込んで新たな流れを作った印象がありますね。『エロライブ』と言われていた初期の頃の『ホロライブ』もこの需要に乗っかってた印象。

多分この『エロライブ』時代あたりから耳舐めASMRみたいな露骨なエロコンテンツがVtuberの主要コンテンツの一つとして発生し始めて、いつの間にかアダルトコンテンツ系Vtuberが増え始めたのかな?(初期は万楽えねとかまだイロモノ扱いだったと思うし)
で、アダルトコンテンツ系のVtuberが増えてくると、規制も増えて、規制されると別サイトに誘導する必要が出てきて、最終的には「別サイトで課金すると中の人が実写で映るエロASMR見れます(顔は隠して身体だけの場合が多いかも)」みたいになってった。最初のうちはエロ系はVtuberの中でも特殊なパターン、例外って思ってたけどこれがまあ儲かるのか配信者も登録者もだんだん増えて普通になってくるんですよね。この辺りで「キャラクターとしてのVtuberではなく中の人に性的欲求をぶつけるためのVtuberという味付け」が事実上肯定される空気は出来てたと思います。バーチャル概念が壊れていった要因はいくつもあるんだけど、個人的にはエロ配信の影響力はかなり大きかったように思う。

その後の歴史で大きいところっていうと、まず「スパチャ」。これはマジで大きかった、これが始まらなければ「バーチャルキャバクラ」って揶揄されることも無かったのでは?
むかしむかし、Vtuberが生まれる前の世の中ってオタク趣味はバカにされるものだったし、お金を使うこと自体が勿体無いことみたいな風潮あったと思うんだけど、オタクがSNSで自己肯定してイキりたかったのか「オタクは経済を回す!」「好きなコンテンツにお金を払うのはお布施!」「経済的に応援の意味でお金を投げるのは双方にとって得!」「搾取を許さず正当な対価を!」「○○円払うだけで実質無料で楽しめる!」みたいな散財を良しとするツイート(現ポスト)が溢れ始めた。部分的には正しいし、ネタツイも含まれてるんだけど、こういうSNSの流れが影響したのかは知らないけどマジで時代がこれを取り入れ始めた。

AKB商法が批判されてもAKB48グループは一時代を築いたし、映画けいおん!商法が銀魂で「汚い大人達は君達の財布を狙ってるアル」とネタにされてもアニメ映画の定番特典商法として定着したし、ポケモン商法やらソシャゲガチャやら色々悪どいと批判された商法はあるものの、結局消費者であるオタクが「他にもっと有益な使い方があるのでは……」と疑って自制しない限り企業はそりゃやりますよね。営利団体だもん。

で、この「スパチャで稼ぎまくるVtuber」が叩かれる流れが最近多いと思う。気持ちは分かるけど個人的にはちょっとみんな女性嫌悪の方に寄っちゃって微妙に理不尽かもな~って感じ。Vtuber(主に女性Vtuber)が叩かれがちだけど、やっぱYouTubeをはじめとする配信プラットフォームが作って推奨してるわけだから配信者だってまあそりゃやるよ。別にVtuberだけじゃないし。今さら止めても「投げさせてくれ!」ってオタクも出てくるし。

個人的にスパチャがエグいなって思うのはいくら集まってるか金額が見えちゃうところと、配信後ではなく配信中にコメントと共に表示されるところかな。
「お前の歌、良かったぜ……」って路上ミュージシャンに投げ銭するのと違ってチャットでの競争を煽る部分があるからね、他の奴より目立ちたいとか。誰でも言える「くしゃみたすかる」とかで数万投げる何億回擦られたノリとかも、今をときめくインフルエンサーVtuberにかわいくツッコんでもらえてその場も盛り上がって「爆笑切り抜きまとめ」とかにまとめられて再生されて……って考えると何万投げても安いもんな!?

……えーっと、話をバーチャルに戻します。あとバーチャルが揺らいだ原因として考えられるのは誹謗中傷関連ですね。法的措置とかメンタル疾患での休業とか。ここまでくるとどうしてもリアルの人間を意識せざるをえない。

あと最近思うのはYouTubeが容赦なく中の人の実写配信をおすすめ機能で流してくることですね。もはや中の人を意識しろと言わんばかりに現実を見せつけてくる。こうなるとVtuberをリアルな人間として意識するなっていうのはかなりキツいよな~と思います。

Vtuberの黎明期からの流れってざっと振り返るだけでも結構疲れますね……。しかもVtuberの怖いところって、一回覚えれば何とかなるんじゃなくて、常にリアルタイムで追わないと危険なとこ。

僕はわりとVtuberにハマったり冷めたりを繰り返して長期間見てきたけど、しばらく離れて戻ったときにマナー変わりすぎてて怖いんですよね。たとえば「鳩行為」とか当たり前のように叩かれるけど、それこそ初期はVtuber皆が横の繋がりで一丸となろうって空気があったから、他のVtuberの名前や話題出すのが迷惑って言われてた記憶ないんですよ。むしろみんな仲間だから喜ばれるイメージだったけど、いつの間にか過当競争になって、同じ箱内のVtuberの話題ですら「他の娘見てるの?」とか言い出して「鳩を許すな!」とかヒステリー起こす空気になっててびっくりしたことある。まあそりゃ状況が変わってるからマナーも変わって当たり前なんですけど、常に熱心に追ってるファンだけじゃないだろってとこはもうちょっと意識されてもいいとは思う。Vtuberって「Vtuberをもっと知ってもらって文化を拡げたい」って言うわりに、自分達のお約束が広く知られてて当たり前と思ってそうな部分感じちゃって、正直長く見てきた中でこれが結構苦手です。今の時代ネットに疎い人でもYouTubeくらい見るし。「概要欄読めよ!」ってキレる割には「わたしゲームの説明書読まずに始めるタイプなんだよね~(笑)」とか言ってると「は?」ってなるから、自分がVtuberハマってた人間だし『バチャ豚』って言葉は使いたくないけど、Vtuberの言うことを全肯定するVtuberオタクを叩く人の気持ちもね、分かっちゃうよね……。

バーチャル性とロールプレイ、現在のVtuberに黎明期のイズムはあるか?

僕自身は現在のVtuber(対象の範囲は後述)に対して初期のバーチャル性みたいなものはあまり感じていません。だから冒頭に引用したポストにも共感したんですけど、バーチャル性があるかないかってのは結局個人の視点、距離感で変わってくるよな〜とは思う。
まず、Vtuberが現在もロールプレイしているか、バーチャル性を保とうとしているかって視点だと「一応やってますよ〜」ってポーズは取ってるかなあ……くらい。というかあまりに初期と環境が違うし、活動形態が違うので、初期と同じレベルのロールプレイを求めるのは酷だと思いますね。ただファンアートや商品展開を考えた時に設定が便利に働いたり必要になる場合があるので一応「三百歳だから〜」とか「魔法使いだから〜」(※この設定は特定の誰かを指してるわけじゃない)とか言ってみたりはする、急にやめたらそれはそれでツッコんでくるオタクがめんどくさいし。前も書いたことあるんですけど、今のVtuberって基本バズるために需要を読んで動くので、ロールプレイが求められているならロールプレイすると思います、現実的に可能な限りは。

で、ここで触れておきたいのが「最近のバーチャルYouTuber」の話になった時に、額面通りに受け取って「今もロールプレイしてる個人勢がそれなりにいますよ」みたいなツッコミが入ることについて。
これね、気持ちは分かるんですよ。アニメオタクでも「最近のアニメは『燃え』が無い!」とかいう老害オタクに対して「いやお前がちゃんとチェックしてないだけであるわ!文句言うくらいなら応援しろ!」とか言い争うオタクはたくさん見てきたし、初期のようにロールプレイしてるVtuberもおそらくたくさんいるのでしょう。そういうVtuberやその方々からのファンからすれば『いないもの』扱いされるのは癪だしツッコミ入れるのは分かります。でも内容次第ではネットにありがちな揚げ足取りで、行間を読めてない、発言者の意図を汲み取ってない場合がある。

たとえばVtuberではなく、YouTuberだった場合
「最近のYouTuberって商品紹介とかテレビ出演とかタレント化してて昔と違うわ〜」
と言う人に対して
「僕の知り合いの人はタレント化なんてしてません!今も昔のYouTubeみたいに収益に拘らずたまにホームビデオみたいな動画上げてるだけです!」
ってツッコミ入れるようなズレがある。この場合は「YouTubeに動画上げてる人=全員YouTuber」って解釈でツッコんでるわけですが、ツッコまれてる人が言いたいのは「ある程度知名度があって世間にYouTuberとして認知されてる現在のYouTubeシーンを牽引するYouTuber」についてなんですよ。だから全然話が噛み合ってないんですけど、とはいえ「YouTubeにただ動画を上げただけの素人」がいきなりバズってYouTubeシーンを牽引する立場に急に連れて行かれる可能性もあるのが現在のインターネット社会なので、線引も難しい。
Vtuberの話にしても、ロールプレイを頑張っているVtuberには辛い言い方になるかもしれませんが、その方々が現在の主流のVtuberとして認知されていない、その活動が現在のVtuberシーンの主流として認知されていない、だからそういう共感が集まるってことだと思う。

ただ何もVtuberの主流になる必要は必ずしも無くて、黎明期に個人と企業が横並びになってた時期があっただけなので、個人でロールプレイ続けたいなら続ければいいし、企業でロールプレイがキツイなら収益化に奔走してバーチャルキャバクラでもなんでもやればいいと思う。潮目が変わることもめちゃくちゃあるからロールプレイを本当に視聴者が望めばそれが主流になるかもしれない。でも結局「バーチャル『YouTuber』」である限りYouTubeのシステムに適合しないといけないわけだから、最近の環境的にはそりゃ今みたいな流行りにはなる。黎明期のバーチャルが好きだった人はYouTubeよりVRとかメタバースとかに居場所を作ってるって話も聞く。


そろそろバーチャル性の話にいきましょう。キズナアイ全盛期の頃は「バーチャルな存在だと自称している」「イラストまたは3Dモデルを使用した動画・配信」とか分かりやすく基準のようなものがあった(にじさんじはVtuberか?で揉めたりはしたらしいが)。ただ前述してきた通り様々な事情が重なり現在では「視聴者が頑張ってバーチャル性を見出さないと限りなくリアル配信者」って状況がある。

推し活とかもそうだけど、僕は最近の「自分が頑張って状況に合わせて付いていく必要のある趣味」が無理になってしまった。自分勝手な老人でいたい。
いまだにバーチャル性を見出だそうとしてる人達の理屈も読んだことはある。現在だと「身体を見せることにとやかく言うけど身体ってのはリアルのアバターだから」「そもそもリアルの人間もロールプレイしてるから」みたいな理屈が多いかなと思う。リアルも結局バーチャルなんだよって感じの。

こういうのちょっと今は個人的には乗れないかなー……ってなる。
いや別に自由に楽しめばいいし、言いたいことは分かるんですよ。僕自身めっちゃ「バーチャル性」にロマンを求めた時期もあるし、理屈で考えれば確かにリアルでもペルソナがあるよね、身体を使って他者とコミュニケーションしてるよね、みたいな話だと思うけど。

でもこれ飽くまで哲学的な精神論であって、身も蓋もないこと言うと「リアルな身体ありきでバーチャルに接続してる」に過ぎないと思うんですよね、現段階では。これがまだ「脳みそがぷかぷか水槽に浮いてて、そこから接続してバーチャルアバターを操作する」くらいの未来になればまだ通用するかなと思うけど、現状リアルの身体ありきだし、だからこそ体調不良で休止するVtuberが続出したりするわけで、リアルの身体とバーチャルアバターが同列に語れるか?っていう。

そもそも「バーチャルYouTuber」って概念が「(リアルの)YouTuber」に対になるもの、カウンターカルチャーとしてのサブカルチャーって見方が出来ると思うので。
「リアルな人間も人前で何かしら演じてる部分があるからリアルな身体を出してもバーチャルYouTuber!」って言うなら別に初めから差別化せずにYouTuber見れば良かったはずで。

もちろんVtuberの魂まずありきで「リアルでもリアル用のアバター持ってるよ」って考えはロマンがあって好きだけど、そう思い込むにはそれだけの説得力が必要で最近のVtuberにそれがあるって個人的には前述した背景から思えないかな。

とはいえアニメオタクもやってたから、こういう考えって昔からあったんですよ。昔オタク趣味が世間的にまだ市民権を得てない時代に流行ってたツイートで「キャラに対して『ただの絵じゃん』って言う奴いるけど現実の女だってただのタンパク質や水分の集合体じゃん」みたいにオタクがドヤってるのがあって、その頃の僕は感銘受けて「こういう返しして論破したい!」って感じだったんだけど、今考えると単純に会話出来てない奴だなって思う。オタクの悪いとこ出てるよ、相手は生物か否かの話してんのに。

なんか前に宮崎駿が誰かの作品に対して「非常に生命への冒涜のようなものを感じます」みたいにキレてるシーンがあって、辛辣すぎて笑っちゃったんだけど、最近ちょっとだけわかる感じがしてきた。昔から大御所のアニメ監督ほどアニメだけにハマるオタクに対して「現実に向き合え」って厳しいこと言うイメージがあって、オタク拗らせてた頃は(何でそんな自分達の仕事やファンを否定するようなこと言うんだ……架空の世界に生きてもいいだろ……)と思ってたけど、今は現実の大切さが分かるんですよ。インターネットにかまけていたから現実でもインターネットでも負け組になって居場所がない、不健康な身体だけ引き摺ってる年老いた自分。
Vtuberにしろアニメにしろ、ある程度自分が健康で初めて享受できるし、社会がまともに機能して人が働いて初めて提供されるコンテンツなんだな、と。
僕もバーチャルに夢見てきたけど、結局バーチャルYouTuberも恋愛経験や社会経験でマウントとったり説教するようになってきて、僕からすれば精神性にバーチャルを見出だせって今さら言われても、もはや生々しすぎて厳しい。Vtuberがどれだけ大変な仕事かって話ばかり。

Vtuberの転生とかも、別に僕は行為を否定する気はない。他の人は結構怒ってるけど、元々インターネットなんてクズが集まる居場所だったと思うし、自由にやり直せばいいと思う。ただ「転生」ってファンタジーな解釈をする余地が僕にはもうなくて、せいぜい「機種変更」とか「焼き直し」とか「鞍替え」って言葉が浮かぶ。

Vtuberの恋愛事情に関しても落ち込んだことはあるんですよ。ユニコーン叩きや推しの恋愛発覚とか。だけど中の人の写真とか動画見ちゃうと「知らないその辺の女じゃん」って急に冷めた。「こいつが恋愛マウント取ってこようと裏でセックスしてようとどうでもいいな……」ってばかばかしくて落ち込めなくなった。だいぶ前から僕は「最近のVtuberなんてほぼリアルの配信者じゃん」って思ってたのに、です。意識的には裏側を見てるつもりだったのに、脳は無意識に画面に映る美少女イラストを人として認識していた。だから恋愛事情とか気になってたんですよ。でも中の人本人見たら意外とどうでもよかった。
「現実を知っていて、想像すること」と「現実を目の当たりにすること」ってかなり違う。僕にとってVtuberのバーチャル性って、中の人以上にイラストや3Dモデルだったのかも。オタク向けの萌え絵アバターがあったからVtuberとして受け入れられてた、萌え絵アバターを生かすような言動だからこそ、Vtuberを好きでいられた。理屈でバーチャル性を見出だしてたのは多分後付け。理屈こねるのが趣味でもあっただけかも。あと中の人を普通に好きになることもあるけど、それはただリアルの女性としてもタイプなだけ。バーチャル性とは別問題。

変化した現実をどう受け入れるか?

冒頭のポストの内容を受け入れるか、反発するかについては、現状のどこを切り取って、どう結論付けるかっていう個人の感覚や価値観の部分が大きいと思う。

「跡形もない」って部分が多少強いニュアンスを含んでしまって引っかかる人もいるのかもしれないけど。

最近面白かった動画で、芸人の永野さんがヴィレッジヴァンガードに訪れてサブカルを語るものがあった。

「全然だもん、今のサブカルチャーって。ただインテリが戯れてるだけだから」

永野

とか

今のサブカルはサブカルではない

ヴィレッジヴァンガード店員

とか強い言葉が出てくる。
時代の変化で変容したサブカルに物申しつつも、店内で昔の感覚を呼び起こすような懐かしい書籍に触れて「わかる者同士」で昔のサブカルについて語り合う。

ヴィレッジヴァンガードって店自体が時代の流れで昔とはかなり毛色が違っていると思うので、バーチャルYouTuberについて考えるうえで参考になると思う。

昔は店の主力商品だった物が隅に追いやられ、現在のメイン層の客が興味を示さない。売れ筋の棚に大きく展開されている商品は、昔の店の主力商品とは似て非なるものである。
サブカルの店ヴィレッジヴァンガードの現状は、バーチャルYouTuber(Vtuber)の現状と通じるところがある。
この事実に対して各々の価値観や感覚の違いが出てくる。
「店の主力商品が変わって客層も変わっているから『跡形もない』」
のか
「店が存続していて店内を隈無く探せば、昔の主力商品がどこかの棚には置いてあるから、確かに『そこに在る』」
のか

解釈はどちらでもいいが「熱を持って伝えようとする誰か」「熱を持って探し受け取ろうとする誰か」がいなくなった時、棚からも消えて本当にどこを探しても見つからない、跡形もないということになるのだろうな。

おまけ

こういう雑談の中から生まれる昔語りが貴重な資料になる時代だと思う。

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