「人権」とか「配慮」とかいう、時代の嘘

人権尊重とか他者への配慮に息苦しさを感じるようになってからもう何年なんだろう。とはいえ初めの頃より自分も冷静になって、最近ではそういった議論や意見を目にしても「んなもん最初からねえよ」と切り捨てることが出来るようになってきた。「冷静」じゃなく「冷酷」と言い換えることも出来るかもしれない。哀しい結果かも知れないが、生き残るために「考え方をアップデートした」結果とも言えるので仕方ない。とはいえ散々葛藤を繰り返してきたわけだし、折角なら記事にして思考を振り返りながら分解してみようかという勿体無い精神で書いてみる。


「人権について一人一人が考えましょう」とテレビが促す。「裁判官に人権教育を!」と被害者団体がSNSで叫ぶ。一時期そういう情報ばかり目にしては、バカ正直に鵜呑みにして真っ向から「人権」という概念を理解しようと思い悩んで鬱になっていた。実際に考え出すと「人権」は生半可な気持ちで踏み込むべき概念じゃない。目の前の問題を解決してくれるどころか、より深めて解決不能にしてしまうくらい取り扱いの難しいものだと思う。現代的な問題で言えば「忘れられる権利」だとか「ヤクザの生き直し」みたいな話も浮上するし、本当なら「ロリコンの権利」とか「悪人の権利」だって語られてもいいはずだけど、実際のSNSで行われる人権議論って「はーい、今から『女性の人権』と『子供の人権』が通りますよ〜」ってブルドーザーでガーッとそれらの問題が片付けられてそれっぽく結論を整えられるような印象がある。インターネットで人権の話してる人を見ると「こんな奴らに人権は無い」とか「こんな奴らに与えなくていい」みたいな言い方が散見される(気がする)んだけど、人権ってそもそも「誰にでも『ある』」ところが話のスタートなんじゃないの?って疑問があって、なんか根本的にスタートから別の方向に走ってて、話が噛み合ってないなと感じる。
「悪人に人権は無い!」ってドラゴンもまたいで通る魔導士が言うならともかく現実にガチで言うんだっていう、もうフィクションも笑って見れなくなるな。


本当は「人権について考えて『尊重』したい」んじゃなくて「気に入らない奴をぶっ殺すために人権という武器が欲しい」んだろうなと思うようになった。「ジェンダーギャップ指数で見ると日本はこんなに劣っています」みたいなニュースが流れて、それについてはやいやい言う割に「悪人は殺せ!」ってめちゃめちゃガラパゴスな死刑制度は大好物で何も疑問視してないのとか真面目に考えるとよくわかんなくなってしまう。「人権教育」を訴える人に限ってそう、ってのは流石に偏見で過言だろうけど、何も考える気がない人ほど強い感情を吐き出せるとは勝手ながら思っている。SNSは特に「共感」や「数字」が価値を決める場所で、そんなところでセンシティブな人権議論をしたり、参考にして考えようとすること自体が間違いだったのかも知れない。単純に性質として食い合わせが悪い。よそでやれ。


人権尊重が当たり前に言われる社会になってから、復讐ものが異様に流行るようになったのも、自分は常に傷付けられてる側で、尊重されるべき尊い人間だって思ってる人が多くなったんじゃないかって思ってる。自分も誰かを傷つけててどこかで恨まれてるかもしれないって自覚してたら楽しく見れないと思うし。自分が傷つけられたら末代まで祟るけど、他人を傷つけることには無頓着じゃないと生きていくのは難しいんだろうなと思う。ガチで常に人権尊重について考えるような人間は現実に狂って自分か他人を殺すことになるかもしれない。自分が言ってることはフィクションとノンフィクションを混同してるとは思うけど、復讐ものって時代の空気を反映する部分も結構あると思う。「悪人を殺す展開が好きか嫌いか」ってよくあるやつ、そしてどっちの展開が流行ってるかって変化も、もういい年だから目にしてきた。
今はむしろノンフィクションの世界で皆が簡単に他人を殺したがってるなと感じる。
「ダーティー・ハリー症候群」に近いのかも。

そもそも自分だって人権の解釈や人権意識にも自信があるわけではないんだけど。前にwikipediaで「人権には『復讐権』もあるはずだ」という主張を目にしたことがあるし、結局各々の解釈次第なのかなーとも思う。ただ、調べているうちに、何が人権に含まれるのかも偉い人たちの間で議論されてるらしいことは何となくわかった。
「正しい」事なんて用意されてるわけじゃなくて、その時々の事情に合わせて誰かが決めているわけで、法律だって国や時代で違うわけだけど、そういう部分については深く考えずにコンプラで人を叩く人はコンプラ意識が実は低くて侮辱罪とかなんもわかってなさそうだなとか、そういうことはよく感じる。
意外と現実社会はテレビやネットの意見通りには動いてないってのも最近感じてはいる、逆に言えばだからこそ現実に不満がある人がSNSで爆発して極端に単純化した正義を拡散しようとするんだろうけど。
こうやって思考の沼にハマっても目の前の景色がおかしく濁っていくばかりだったので、出来るだけ考えるのを止めた。頭が良い人、性格が良い人が考えるべきことで「一人一人が考えるべきこと」ではないと思って人任せにしている。

前にNHKの哲学番組で平等について話してたことがあって、マルクスの『資本論』を解説してたんだっけ?たしか「平等には『機会の平等』と『結果の平等』がある」みたいなことを言ってた。それ見た時に(ああ、自分が悩む違和感ってのは初期の段階ですでに考えられてることなんだなあ)と思った。

ネット上の議論は「そもそも論」みたいなとこをおざなりにして上辺の情報だけで感情論叩きつけ合って、それを人気取りの政治家やメディアが安易に焚き付けて社会規範に採用しちゃって混乱する。そういう混乱の中で「人権」って概念も本質的な意味が失われていって形骸化したんだろうな……「政治は人間関係」とか言うのはそういう部分なのかな。メロスには政治がわからぬ。ニートにもわからぬ。

精神科医がYouTubeでスマホ依存の話だったか「精神科医ってのは不幸になる人が少数でもいるなら規制すべきと考えるもの」みたいなこと言ってた記憶がある。実際に精神科医の総意なのか、はたまたその人の主語が大きかったのか自分には判断出来かねる(精神科通いしてる身としてはちょっと精神科医に対してその傾向は感じなくもないけど)。
そこはともかく、規制に関しては個人的に(悪手じゃね?)とは思う。誰かの傷つきに合わせて全体を規制したら別の立場の人が傷つく状況が発生するんじゃないかと。あちらを立てればこちらが立たず的な。トレードオフ的な。恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム的な。
とはいえ自分も昔と違って(こんな◯◯なら消えてくれ)とか(こんな◯◯無い時代の方が幸せだった)とか思うことは多々あるので自己矛盾は抱えているけど。
まあ引きこもりニートの政治的意見ほど聞き苦しいものも無いと思うのでこの辺で止めとこうか。

とりあえず自分自身はろくでなし人でなし人非人哀しきモンスターって感じなので最初から人権なんて期待しちゃダメ、国なんて当てにしちゃダメ、自己防衛。って言い聞かせて生きるようになりました。自己防衛ニート。

長くなったし脱線してるので次の記事に分けます。


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