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村上さんと父の記憶 ― 村上春樹『猫を棄てる』を読んで

幼い頃から、僕は本に囲まれた環境で育ってきた。父の部屋にある、背丈の2倍も3倍もある本棚から読めそうだと思う本(小学校低学年に読める本はほとんど無かったのだけれど)を引っ張り出しては、大人になった気分を味わっていた。
そして中学生になると、そこである一冊に出会った。それは赤と緑の表紙が特徴的な2部構成の本で(なんだかカップ麺みたいだ)、村上さんという人が書いた本だった。読み始めてすぐに、主人公の「僕」が、僕と溶け込むような不思議な感覚に夢中になった。それ以来、村上さんの本を読み漁っては、いろんな旅をして、一人の青年として育ってきた。

そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ

と本作品で村上さんは書いているが、僕にとって「ささやかなものごと」の中で、村上さんの作品と父の記憶が占める割合はとても大きい。今回は、父の記憶について書きたいと思う。

***

僕が10歳のとき、父は出張先で急死した。
それから18年が経つ。彼の声や匂い、よくする仕草は全く思い出せない。実家に帰って仏壇に飾られた写真を見ると、ようやく顔を思い出す。自分に似ているようで、似ていない。いつも無愛想で、でも少し笑っているような、そんな顔で僕を見つめ返す。

不思議と断片的な出来事の記憶は今でも残っている。それは無声映画のように静かで、ぼやけた記憶だ。

その日は朝からずっと雨が降っていた。
父が今日から出張へ行くということで、最寄りの駅まで僕が見送りに行くことになっていた。
父はそれなりに大きな会社の技術研究者で、頻繁に国内外へ出張していた。出張でしばらく居ないのは寂しいが、一方で出張のたびに必ず僕が希望するお土産をわざわざ探してきて買ってきてくれるので少し嬉しくもあった。
ちゃんと父の傘を受け取ってくるようにと母からの指令を受けつつ、二人で家を出た。
駅まで歩く途中、背の高い父はスーツケースが濡れないように傘を傾けるから、着ているグレーの背広の肩が少しずつ濡れはじめていた。僕は父を見上げながら、でも目は合わせずに父と何か話していた。
駅につくと、歩道に面したエレベーターを二人で待った。それぞれ傘の下で、なんとも言えない時間を不器用に過ごした。10歳になると、少しずつ周囲からどう思われるかが気になり、昔のように父と手を繋いだり、甘えるのが恥ずかしいと感じてきた。だから、当時の僕は甘えたいほのかな気持ちを持ちつつも、抱きしめようとしたり、手を握ろうとする父に対しては無愛想な態度をとることが多かった。
エレベーターが地上につき、ドアが開く。父は淡々と傘を閉じ、僕に渡して、その中に入った。父は怖い人でもなかったし、一方で顔をくしゃくしゃにして笑うような陽気な人でもなかった。ただ、朴訥としていて、どんなものにも優しさで向き合う人だった。
そんな父との最後の瞬間、彼がどんな表情をしていたか、全く覚えていない。

父の葬儀のとき、忘れられないやりとりがあった。それは父の戒名を決めるときの祖母と母たちの会話だ。戒名には「優」という文字が入った。父の母親である祖母は、泣きながら絞り出すように、繰り返して言っていた。「あの子は優しい心を持った子だった」と。
父も誰かの子だったということを、そのとき始めて実感した。

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そして、今、僕も父親だ。

結婚し、1年後には男児が生まれた。生まれたころは片時も目を離せない状態だったのが、2歳に近くなった今では、一人でどこかに行ってしまうのを親が必死に止めなければならないほどだ。

けれど、僕自身は全く変わっていないと思う。僕自身の考え方、心構えは、驚くくらいそんなに前と変わらない気がする。
ただ、僕のことを「父」と思い、無邪気に慕ってくる我が子がいる。目の形や笑ったときのえくぼは、確かに僕にそっくりだ。でも、妻に似ているところもあれば、ふとした瞬間に彼が自分とは完全に別の生き物であること強く感じることもある。

実家で親族たちが集まると、大人たちの注目は幼い子供へ集中する。まだ、うちの子しかいないから、彼はどこかの国の小皇帝のように、たくさんの大人たちに囲まれ、もてなされる。
クッキーを食べ、泣き、ジュースをもらい、おもちゃで遊び、また泣き、クッキーを食べる。最初は彼も満足そうに接待を受けていたが、次第に寂しくなり僕にしがみついてくる。まだ2歳だが、自分の父親と顔の似ている兄たちとの違いはわかるようで、器用にこちらへついてくる。重くなった我が子を抱き上げると、その小さな手で僕の服を掴み、肩に頭を載せる。僕の身体の形に最適化されたように、彼は身を寄せる。その温もりや匂い、テンポの速い鼓動を感じながら、僕も彼を抱きしめる。このときの感情は、以前は感じなかったものだ。

その様子をじっと見つめていた祖母が「あなたのお父さんも子煩悩だったのよ」と言った。

父親に抱かれていたころの記憶はない。だけれど、僕が我が子に対して持つ感情を、父も僕に対してに持っていたのかもしれない。
そして、同じように自分が「父」であるということへの戸惑いを一人の人間として持っていたのかもしれない。

***

僕にとって父は記憶以上に遠い存在だった。もはや歴史上の人物くらいの遠さだったかもしれない。自画像しか残っていない戦国武将のような。

けれど『猫を棄てる 父親について語るとき』という作品は、父の記憶から父の存在を引っ張り出してくれるきっかけとなった。

もしかすると、彼の記憶から紡ぎ出された彼の生き方は、僕の気づかないところで脈々と受け継がれているのかもしれない。それは遺伝による相続を超えているような気もする。短いけれど彼と過ごした時間とその産物としての記憶から、無意識に僕は受け継いだ。しかし、それを記憶として溜めておいていては、薄れゆくままである。さらに彼との記憶に向き合うことで、それは姿を濃く現し、僕の根幹になっていくのかもしれない。

一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。

父という一人の人間をもっと知ろうと、そう思った。
そして、我が子にそう思ってもらえるように、生きよう。

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