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旅をするわたし 広島・京都 2022.8.15〜17


8月になると、戦争のことを考える。8月6日に広島、8月9日に長崎、そして8月15日に終戦の日だからだ。そして毎年のように、広島へは行ったことがないなぁ、と思う。今年は例年以上に強く思った。戦争をしている国があるからかもしれない。

8月16日は、京都で五山送り火がある。祇園祭りに続いて、一度は見てみたいものだったので、ホテルを予約してあった。

それならば、一日早く出発して、広島へ行ってみようと思い立った。思ったら、すぐにやってしまわないと。いつか、いつか、と思っているいつかは、永遠にやってこない。

初めての広島に、終戦の日に訪れる。

一日目。

新横浜で、朝ご飯に迷う。
たまには別のお弁当とか、おにぎりとか、サンドイッチとかにしようかと、売り場でしばらく悩んでいたのだが、結局いつもと同じ、横濱チャーハンを買ってしまった。

世間はまだお盆期間だけれど、昨日の日曜日でお盆休みは終わりという人が多いらしい。朝の新幹線は空いていた。新横浜に来るまでの在来線も空いていたから、みんな出かけていないのかもしれない。感染症は増加傾向のままだ。

晴れているけれど、富士山は見えなかった。横濱チャーハンを食べて、うとうとしていたらもう名古屋。ここまで早かった。車内販売でホットコーヒーを買う。京都へ到着。つい癖で降りたくなる。明日、来るのに。9時を過ぎたら、シンカンセンカタイカタイアイスを食べようと思っていたのに、車内販売はその後、やってこなかった。

広島は、思っていたより近かった。いや、遠いし、時間も経過しているけれど、思ったよりずっと近かった。遠さを感じさせないぐらいの時間に着いた。

初めての広島。
駅前のホテルに荷物を預けて、原爆ドームへ向かう。駅前から路面電車に乗って、少し箸ったら、ドームの裏手に着いた。

原爆ドーム

原爆ドームは、想像していたより、少し小さかった。本当の建物は、もっと大きかったらしい。残ったのがこのサイズなのか。橋を渡って、平和記念公園へ入る。あちこちに慰霊碑がある。手をあわせて、写真を撮る。

正午。サイレンが鳴った。手をあわせる。黙祷。まわりにいた観光客も、みんな足をとめていた。

広島平和記念資料館へ。以前は人形を使って、オドロオドロシイ感じだったらしい。トラウマになる人もいるほどだったとか。今は写真と残された物を中心に、その時間が再現されている。それが響く。館内は混雑している。みんな熱心に資料を読んでいて、列がすすまないほどだった。証言ビデオコーナーで、数人の体験談を聞く。証言はどれも高齢者だけれど、録画された時期は今よりずっと前のようだった。きっとこの方たちは、もう亡くなっているだろう。

公園は街だったそうだ。建物も人も、すべてなくなって、そのうえに盛り土をして、公園にしたそうだ。当時の地面を掘り起こした場所が、保管されていた。確かにそこには、道と家があった。

隣接して、国立の死没者追悼平和記念館もあった。亡くなったかたの記録をしているらしい。祈りの空間のようだった。

そろそろ遅いランチへ。広島アンデルセンへ行ってみる。パン屋さんのチェーン、アンデルセンは広島が発祥なのか。大きな建物で、2階がレストランになっている。何にしようか迷って、大人のお子様ランチみたいなプレートにした。もっとパンを楽しむメニューにすればよかったと、あとから思った。1階にはパンやお総菜、コラボ商品のもみじまんじゅう、オリジナルのコーヒー、紅茶などが買える。おみやげにいくつか購入。

カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂

駅方面へ歩き出す。次の目的地は、世界平和記念聖堂。重要文化財になっているカトリック教会。聖堂内は撮影禁止。モザイクとステンドグラスが美しかった。ヨハネパウロ二世の像や、広島のマリア像があった。しばし祈りのときを。終戦の日は、聖母被昇天の日でもある。聖書と典礼のリーフレットをもらってきた。表紙は、キーウの聖ソフィア教会にある聖母のモザイクだった。

ホテルに戻って、チェックインする。ダイワロイネットホテル広島駅前。ビジネスホテルなのに、お風呂とトイレが別になっているのがよくて選んでみた。16階の部屋で眺望がよい。駅を斜めうえから眺める感じ。新幹線が行ったり来たり。休憩しつつパソコンを開く。この前の旅行の記事を書き上げる。アンデルセンで買ってきたデニッシュとコーヒーでおやつ。

夕方に、もう一度市電に乗って、平和記念公園へ行ってみることにする。原爆ドームのライトアップを見に行く。さっきとは別の市電の路線に乗って、イサム・ノグチがデザインした平和大橋を渡る。

嵐の中の母子像

嵐の中の母子像から、原爆ドームまで、公園内を歩く。追悼の炎が、ずっと揺れている。

原爆死没者慰霊碑

元安橋を渡って、爆心地へも行ってみた。意外にも、小さな碑があるだけだった。爆心地は病院だったそうで、いまも病院が建っている。そもそも爆心地は原爆ドームだと思い込んでいた。標的にされたのは、相生橋で、実際の爆心地は島病院だった。原爆ドームは、標的と実際の爆心地の、ちょうど中間あたりにあった。相生橋まで歩いて、もう暗い空を見上げた。

ライトアップされた原爆ドーム

路面電車で広島駅へ戻る。広島のお好み焼きを食べてみたい。でも、どの店も大行列だったので、テイクアウトにした。みっちゃんというお店。すごいボリューム。おなかいっぱいでつらい。テイクアウトの待ち時間に、スタバでコーヒーとケーキも買っていた。そんなに食べられないよ。

広島には、たくさんビルが建っているし、街路樹も大きく育っている。でも、すべてがお墓みたいだった。人々が、いまも埋まっているように感じられる。人のうえに立っているような感覚がずっとしていた。地面のしたには、別の街、別の時限、別の時空があるみたいな感覚。原爆が吹き飛ばした時空と、いまが、マルチバースになっているのかも。

二日目。

寝苦しくて、何度か目が覚めた。この場所で無音で寝るのがヤバそうだったので、テレビをつけて寝たのだが、それがよくなかったのかもしれない。

とりあえず6時に起きて、冷蔵庫に入れておいたケーキを食べる。食欲がいまいち。疲労感と、なんか憑いた感がある。やっぱり。
7時過ぎに最上階の朝食会場へ。見晴らしのいいレストラン。尾道ラーメンとか、興味のあるご当地ものがあったけど、食べられず。軽めに済ます。9時にチェックアウト。京都へ向かう。

新幹線は申し訳ないくらいに空いていた。明石あたりの空がきれいだった。お城がいくつもあった。あとはぼんやり過ごす。

京都着。在来線へ乗り換える。梅小路京都西のホテルエミオン京都。春の桜のときに泊まったホテルをまた予約した。屋上に宿泊者専用の展望テラスがあって、五山送り火をすべて見られる。はず。

荷物を預けるだけのつもりが、そのままチェックインできた。ちょうどお昼ごろ。このホテルでは一番狭い部屋だったけれど、なかなか広い。荷物を広げてから出発する。広島での憑きものが落ちたようで、お腹が空いてきた。でも、晴れているいま、食べている時間がもったいないので、とりあえず移動。

京都、五山送り火の日。昼間のうちに、送り火の山をすべてめぐる予定。

広沢池 鳥居形

最初の目的地は広沢池。円町から26番のバスで山越へ。山のなかだった。なかなかローカルな場所。バスを逃したら、帰れない。少し歩いて広沢池に着いた。池のまわりには、すでに三脚を立てて場所取りしているカメラマンがいた。送り火の時間に灯籠流しもあるらしいから、人気の場所なのだろう。池のむこうの山に「鳥居形」が見えた。思っていたよりずっと遠かった。

左大文字

山越のバス停に戻って、59番のバスに乗る。金閣寺通で降りて、次の目的は「左大文字」だ。道路から、準備の人たちが、登っているのが見える。金閣寺の入り口で、まだ護摩木の奉納を受け付けていた。間に合ってよかった。保存会の手ぬぐいも買った。

お昼の時間をすぎ、空腹のままおやつの時間に。金閣寺前のお茶屋さんで、宇治抹茶のかき氷を注文して、ひと休み。ネットで情報収集していると、船岡山からいくつも見えるとのこと。寄ってみることにする。

205番のバスで船岡山へ。吉田山に似ている地形。住宅街から突然の階段で山に入る。登ってみるが、これはどうやら余分に歩きすぎのコース。おまけに木が茂っていて、まわりの山がほとんど見えない。ここに寄ったのは失敗だったか。

船形

気を取り直して、ライトハウス前から46番のバスに乗り、上賀茂へ向かう。上賀茂神社の近く、賀茂川沿いから「船形」が見えた。バス停のところにあった和菓子屋さんで、お赤飯を買う。和菓子屋のお赤飯って、おいしいっていうし、なんとなく食べたくなった。

上賀茂神社から4番のバスで松ヶ崎へ。バス停のすぐ近くから「妙」が見えた。意外と低い位置。

道沿いに歩いて「法」も見る。どちらもすでに準備は終わっているようす。

大文字

修学院まで歩いて、叡電で出町柳へ。下鴨デルタには、送り火見物の人が場所取りをしはじめていた。203番のバスで銀閣寺通へ。いよいよ最後の「大文字」に到着。準備中の送り火コンプリート。がんばった。バス路線を駆使しての移動だった。京都のバスはどこにでも行けて便利だとよくわかった。

5番のバスで京都駅へ戻る。駅でおみやげなどを買う。五山送り火がデザインされたパッケージのお菓子がいろいろあった。上賀茂神社で買ったお赤飯に合いそうなお漬け物も勝った。梅小路京都西のセブンにも寄って、お総菜を少し買った。夕飯はこれでいいや。

ホテルに戻って、買ってきたものを並べて夕食。送り火の中継番組が始まった。が、生中継の番組内で、雷鳴とどろく。え?からの豪雨。え!!!雨雲レーダーで確認したら、京都市真っ赤っか。でも、予想では20時に止みそう。ミラクルなるか。

テレビの中継では、豪雨のなか、左大文字の松明行列がはじまった。まもなく点火。屋上へ行ってみる。エレベーターホールに、ホテルのかたが用意してくださった、デザートなどが片付けられていた。代わりに、傘とタオルが配られていた。たくさん並べられたイスもぬれている。すでに大勢の人が、ぬれながらその時を待っている。

ホテルの屋上テラスより

20時。本当に雨がやんだ。

五山送り火

大文字が最初に点火、のはずが、なぜか左大文字が先に点る。あとから、豪雨の影響で準備が遅れたことを知った。次に船形。大きい。妙、法も少しビルに隠れつつ、見え始めた。大文字が遅れてやっと点火される。そして、最後に鳥居形。しっかりと鳥居のかたちになっている。左大文字は、最初から最後まで、ずっと燃えていた。書いてきた護摩木が燃えている。本当にすべてを見られた。雨が京都の熱気をきれいに洗い流して、澄んだ空気に炎が映えた。感動。夏が終わる。

深夜の時間帯になってから、大浴場へ行く。部屋のテレビで混雑状況が確認できて便利だけれど、空いてる表示のわりになかなか混雑していた。満室だろうから仕方ないか。

三日目。

アラームが鳴るまで、ぐっすり眠った。追加でもう少し寝る。8時ごろ朝食会場へ。朝ブッフェは、高齢者ばかりだった。送り火鑑賞の客層だからか。昨夜の屋上テラスも高齢者ばかりだった。足下のおぼつかない人がたくさん。元気でいることの大切さを考える。朝ごはんは、おばんざいがいっぱい。少しずつ種類をたくさん食べた。デザートにパンケーキもセッティング。なかなかいい感じにまとまった。京都では、食欲ばっちり。広島と違いすぎる。やっぱりあれは疲労ではなかったか。

9時にチェックアウト。ホテル1階に降りたら、広場に京の七夕の短冊を書くコーナーがあった。京都の行事がずっと続きますようにと、願いごとを書いた。短冊は、清水寺でお焚きあげをしてくれるそうだ。

京都駅で荷物をロッカーに預ける。前日に買ったおみやげも、すべてキャリーバッグに入った。

勝林寺

奈良線でひと駅。東福寺へ。雨がふりだす。小降りのうちに塔頭の勝林寺へ。花手水舎がきれい。本堂をお参りしているあいだに、大雨になった。軒先で少し雨宿り。

通天橋

しばらく待ってみたけれど、やむ気配がないので出発。滝のような雨になる。びしょびしょだ。臥雲橋でふたたび雨宿り。雷も鳴ってる。写真を撮りつつ、蚊に刺されつつ、しばらく待って、少し小降りになったところで、移動。通天橋へ。JRのコラボで、涼しげな風車がたくさん飾られていた。

東福寺 八相の庭 北庭

方丈へも寄ってゆっくり庭を眺める。雨がやんできた。

光明院

塔頭の光明院へ。誰もいなかった。貸し切りで重森三玲の庭を眺める。いいところだった。

鳥羽街道駅から、京阪で出町柳へ移動。下鴨デルタへ寄る。川が増水していて、飛び石の亀も千鳥も川の底。サギがたくさんいた。出町ふたばへ行ってみたら、お盆休みだった。そんな予感がしてたんだよねぇ。鴨川沿いにさんぽすることにする。

一保堂茶舗

寺町通り。一保堂茶舗の本店でひと休み。お抹茶と生菓子をいただく。水の彩というお菓子。透きとおっていて美しい。のせられたガラスのお皿も清々しい。

さて、お昼をどうしようか。通りをさらに下って、錦を通って、堺町通の小川珈琲へ行ってみる。町屋を改装したカフェで、あまじょっぱいフレンチトーストのランチ。いいお店だった。落ち着く。また来よう。

四条烏丸へ出て、先月の祇園祭で山鉾があったあたりを歩いてみる。保存会の建物などは確かにそこにあるけれど、別の場所みたいに、山鉾は眠りについていた。来年まで静かに待っているのだろう。

京都駅屋上より

地下鉄で京都駅へ。伊勢丹でだし巻きとおじゃこを買う。もう少し時間があったので、屋上へも行ってみた。送り火の山はもう静かだ。ロッカーの荷物をとって、30分早く改札を通ったら、座って待っている場所がなかった。足がつらい。今回もやっぱり歩きすぎた。

新幹線に乗ってすぐ、念願のシンカンセンカタイカタイアイスのピスタチオをいただく。本当にカチカチだった。


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