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病み上がりの猫が思ったこと

こんにちは、踊らない猫です。

前回の続きみたいな内容になってしまうけれど、病気をしてからというもの、毎日の当たり前だったことは、月並だけれどほんとうに奇跡の集合体なんだなと思うようになりました。

でも、こんな大切な毎日を1日も無駄にしてはいけない、私は新しい資格試験の勉強を始めて、毎朝ジョギングをし……とはなりませんでした。。

一刻を争うような生きるか死ぬかの病気だった訳ではありません。だけど「生きていること」の凄さや脆さは病気の前より少しはわかった気がします。

だけど私が退院して思ったことは、資格試験の勉強をしようとか、もっと努力して働こうとか新しいことに挑戦しようとか、そういうことではなかったんです。

私が思ったことは、もっと楽に生きよう、もっと自分のやりたいことを優先しよう、もう無理をするのはやめよう、やりたくない事はどうすれば回避できるか考えてみよう、というようなことばかりでした。

徹夜して働いたり、ストレスで痩せたり泣いたり我慢したり、そいうことをもっと減らそう、ひとつでも減らして生きやすい環境を整えなければ。私はそう考えました。

精一杯やれることをやり尽くし、全力疾走する生き方もあります。だけど私はもっと楽(らく)がしたいと思いました。ほんとは私、こんなに怠惰な人間だったのか、ということも知りました。

怠惰といってもダラダラ生きるわけではありませんが、もっと自分の環境を生きやすくするということを一生懸命やっています。

会いたい人ともっと会うこと。面倒くさがらずに、恥ずかしがらずに会いたいと伝えること。大切な人たちにもっと感謝を伝えること、楽しんでもらうこと。仕事を最優先にしないこと。楽をしても罪悪感を持たないこと。

きっと私は病気になる前よりもある意味ワガママで自分勝手になったと思います。それを人に指摘されたことはないし、病気後に変わったねとも言われたことはないけれど(病気や入院のことはほぼ周りの人には伝えていないせいもあるかもしれません)私の中ではいろんな価値観がガチャガチャとパズルのように入れ替わったように感じています。

私はいくつまで生きるんだろうなあ。もっと生きやすい場所を作っていきたい。

新しい資格ももちろんダンスも始めないけれど、ようやく自分自身のことを考えだした病み上がりの猫でした。

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