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なんでディレクターやってるの?vol.3に参加して思ったこと

3/8(金)に開催された人気イベント「なんでディレクターやってるの?vol.3」に初参加。私はつい最近キャリアチェンジをし、現在はディレクターではない身です。でも多分このタイミングだからこそ、皆さんがなぜディレクターをしているのか、内面動機に対して興味があったんだと思います。

今回は各方面で活躍されている4名が登壇。どなたも非常にエモかった…!

ディレクターの仕事は決めること

最初の登壇者は、FICC inc.の福岡 陽さん。とてもロジカルに、整然と、美しく組み立てられたストーリーの中に、毅然とした”エモさ”が感じられる素敵なお話でした。

・決定に必要な”正しさ”を作り上げる”物語”をコントロールすること
・決定の精度こそがディレクターの技量
・さまざまな事例や事象をあえて抽象化することで
 転用し、いろいろなことを決定できる
・周りが見て正しさを判断するのではなく、自分の中に正しさを持つ

私は今まで、自分のことを正義感が強い人間だと思っていました。
自分の中には「正しい/素晴らしい/おかしい/許せない/認められない」などの感情をいくつも持ち合わせていて、仕事にも夫にも友人にも、それはもう煙たがれるぐらいに(いや実際煙たがれることのほうが多い)振りかざすタイプの人間です。

だけどそこにある根拠や基準について、考えたことがなかったなあ…と今回のお話を聞いてすごく感じました。
おそらく、福岡さんの言う”善良さ”から来てるもの(だと信じたい)ではありますが、場面や状況ごとに”善良さ”の根本にある理由は異なるはず。

人はみんな、前後の文脈を汲んで、自分の中にある”善良さ”というモノサシで正しさを判断する。
だから、自分自身のモノサシをきちんと言語化し、自分を構成する重要なものなんだと周りに伝えていかなければ「また言ってるわアイツ頭固いなほんと」というイタイ人認定を受ける事態になりかねない…!それは嫌…!

自分自身の”正しさ” ”善良さ”と向き合うきっかけをもらえたお話でした。

不当な動機「モテたい」の正当さ

2人目の登壇者は、株式会社DONGURIの大久保 潤也さん。コピーライターでありミュージシャンでもあるお方なだけに、ゆるーくふんわりした素敵な世界観をまといながら紡ぎ出される言葉は、耳ざわりがとても良くて。すっと心に入ってくる居心地のいいお話でした。うん、エモかった。

・きっかけは「モテたい」
・かつて持っていた経験スキル知識と、今持っている経験スキル知識
 別の分野の2つをかけ合わせたら唯一無二の希少な存在になれた
・ユーザー、クライアント、仕事仲間…多くの人を喜ばせたい
 →つまり「モテたい」

私自身、今の仕事と全然関係ない昔のスキルや経験の中で、今に活かせているものはいくつかあると思っています。ただ、それはあくまでスキルや経験を”転用”している状態。「前は前、今は今」という前提のもと成り立っています。
大久保さんは”かけ合わせ”とおっしゃっていて、確かに”転用”と”かけ合わせ”はまったくもって別物だなと、ハッとしました。

「スキルのかけ合わせ」。わかってる。わかってるんだけど、わかってなかった!!米津玄師が何がすごいって、作詞と作曲と歌唱力とダンスと絵描きという超多彩なスキルを、全部かけ合わせて作品として表現している唯一無二な存在であること。つまりそういうこと。

今の会社でも「チームでレバレッジをかける」ということを教わっていますが、本当の意味がやっと腹落ちした感覚。

あともう1つ、本当は今まであんまり認めたくなかったんですが、お客さん・同僚・上司・外部の方などいろんな人から「指名される人間になりたい」と言ってきた自分って、結局モテたがってるってことなのでは…!
今回のお話で、私が今まで一生懸命見ないフリしてきた”恥ずかしい”と思ってきたことの正当性を目の当たりにして、とても勇気をもらえました。
モテたいから頑張るの!モテたいから試行錯誤するの!モテたいからモテたい相手のことを思いやるの!何も悪いことじゃないじゃんか…!

人生を楽しくするのは自分次第

3人目の登壇者は、オイシックス・ラ・大地の戸田 俊作さん。厳しくストイックな雰囲気の中でチラチラと見え隠れする、おちゃめなユーモラスさと、熱い情熱。エモい。エモいよぉ…!

・やりたいこと×やるべきこと×やらなきゃいけないこと
・挫折や悔しさをバネに、続く人生に有効活用する
・人はいつか死ぬ。だから好きなことをしたい
・人生を楽しくするのは自分次第

嫌だなと思っていた「やらなきゃいけないこと」もよく考えると、結果的に自分のためになる「やるべきこと」だと気付き、さらにやっていくとそこに楽しさを見出し、最終的には「やりたいこと」に変わっていく。
プライベートでも仕事でも、小さい頃からそういう経験ってたくさんしてきているし、多分現在進行系でそういうことはいくつもある。だけど、そのロジックを紐解いたこともなければ、言語化したこともなかったので、お話の冒頭からすごい感銘を受けました。

そして身近で”死の危機”を感じた経験から語られる「人はいつか死ぬ」という言葉。その重みはとてもつもなく、だからこそ後に続く「好きなことをしていきていこうと心に強く決めた」という発言は、深く心に刺さりました。

結局、自分の人生は自分で決めるもの。良くするも悪くするもそのディレクションは自分次第。自分の人生ディレクションできないで、プロジェクトのディレクションなんかできないと思うの!!(自戒)

戸田さんは「ただ好きなことをして生きていく」と無責任なことを言っているわけではなく、それを実現するために、仕事の質と価値を高めていく努力をされている。あるべき姿だなと思います。
自由は責任が伴う。命あるかぎり自由を求めて、最大限のパフォーマンス出して、自分だけの責任を果たしていこう。思春期の中学生みたいなこと言ってますが、本当に。帰り道は、そんなことを考えていました。

アリかナシか決めるのは私たち

そして最後の登壇者は、日本デザインセンターの関口 裕さん。ストーリーも口調も話すトーンもスライドも髪型(!)も、もう1から10まで何もかもがとにかくエモい…。

・「流されるな、流れろ」自らが主体性を持って流れにいく
・当事者性を持って誰よりも自分がそれを一番好きになること
・自分の隙間にワイガヤの意見を入れて自己組成を変えていく
・自分のセカイというフィルターを通して決めたことを世界で実現していく

どこを切り取ったら良いかわからないほど、終始するどい問いかけの連続で心がえぐられまくり。

自分が見たい景色を”世界”に映すためには、自分の”セカイ”(正しさ・価値観)が要る。
自分の中に正しさを持って人と接していく。自己開示して、人を必要として、人と真正面から向かい合って、共犯関係になっていく。
受け身や妥協ではなくて、人の意見を吸収するために自分から流れに行って、人の意見を自分の中に浸透させて組成を変えていく。

自分が見たい世界を見るために。

「人と向き合う」ということについて、論理や損得勘定ではなくて、”感情”でこれだけ訴えてくる人は、金八先生以外に多分生まれて初めて出会った気がする。
ただそんな中で「流されるな、流れろ」からの「自らを汚すことでできた隙間」のくだりは、いい意味でとても打算的にも感じられ、そこがまたエモい。その”あえて”の考え方は自分に足りてないものだなと思いつつ、その根底はやっぱり感情なわけで。つまり、自分の中に小さな正しさが必要だという。
私の中の正しさってなんだろうな。私が見たい世界はなんだろうな。願望を明確化すること、自分のワガママを知ること。まずはそこから始めよう。話はそこからだ。
ちょっと何言ってるかわからなくなってきてるので、公開されているスライドを貼っておきます。

”感情”は人を動かすということを、身を以て体現している素敵なセッションでした。

最後に:参加してみて

何かに悩んでいても、別に悩んでいなくても。人の話を聞くことで自分のことを考えるきっかけになる。「自分はどう思っているか」それを考える時間を得られるということが、何よりの収穫。
自分の中の正しさ・価値観・判断軸。そういうものをきちんと確立した人こそが、自由であり責任のある人なんだなと改めて感じました。

懇親会に参加できなかったことが悔やまれる…次は絶対参加する…!

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