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運命と自由意志

ジョジョの奇妙な冒険で「運命論」という言葉を目にした。
私達は運命の奴隷らしい。
変えられない運命。
降りかかってくる災厄。
これらを私達は変えることができないらしい。
でも変えることはできなくても、これに対しての態度と行動は変えられる。

夜と霧の著者で、私はこのように受け取った言葉がある。
私達は与えられた過酷な運命に対してどのようにも行動と態度を変えることができる。
降りかかってくる災厄や運命は変えることができないかもしれないけど、それに対して私達はどのような行動と態度で答えていくか、変えることができる。
それが私達に残された自由意志だと思う。
だからその残された自由意志をどう使うかは、私達次第なのだ。

運命は最初から決まっている?
違う。
最初から決まっても、私達の意思は変えられる。
でもそうなると不幸もやっぱり自己責任になっちゃうのかな?
それと同時に実存主義者のサルトルの言葉を借りれば、「私達は自由の刑に課せられている」。
襲いかかってくる運命に対して私達がどう振る舞うのか自由であるなら、どう振る舞っていいのかわからないから、苦悩と苦痛に陥る。
まぁだからといって、
人を殺めていい。
人の物盗んでいい。
人の自由を奪っていい。
というわけでもないが。
運命の奴隷と自由の刑。
結局板挟みの苦しみがつきまとうのが人生が嫌になる要因だ。

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