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喜怒哀楽

こんばんわー

毎日暑い日が続いていますね。北海道でもここ数日は夏らしい気温になり 暑さに慣れていない道民としては、ぐったり気味です。

暑くなれば、冷たいものを飲んだり食べたりして涼を得ますね。

水分補強はこの時期はマスト。怠ると脱水症状から熱中症になります。

かく言うわが施設でも、この時期は入居者にいつも以上に       
「○○さんお茶飲みましょう!」しばらくして飲んでないと      
「○○さんあと5口!頑張って飲みましょう!」ていう具合に     
半ば強制的に飲水を促しております。😅


毎度の光景ですが、入居者にしてみたら

「また飲まされる」と思われる訳で、

ある入居者から「これ以上飲んだら溺れる~」などとのたまわれ 

仕事とは言え、内心は申し訳ないなーといつも思っております。😓



<感情表現>


さて本題です、日ごろ感情表現について思うところがあります。

認知症の方々と接していると、無表情の方がいれば、いつもニコニコしている人、とにかく怒りまくっている人、夕方になると寂しさから、いつも泣いたり悲しみの表情になる人などに出会います。

喜怒哀楽とは、様々な感情表現。

健常者であれば、ある程度感情にリミッターが掛けられていると思いますが、認知症になると、経験上このリミッターが外れ、人本来持ちあわされていた、感情が沸き上がっているように感じます。

認知症の方々は常日頃、別の時空を旅しています。

たとえ私たち職員と話をしていても、突然異空間に旅立ちます。😱

きっかけはいろいろ。

不思議ですが、そうなったら修正などせずに、彼らの世界に付き合うことにしています。


「だからねー○○君はちゃんと勉強をしていますね」          
もと先生だった方の話。

「これから子供たちにご飯を作るので帰ります」            専業主婦の方の話。

「ねーさん そんなところで何しているの?早くうちに帰るよ」     
と別の入居者を自分の姉だと思い込んでいる方。            など毎日これらの話が飛び交います。



<時間とは>


認知症の皆さんの感情豊かな表現と異次元空間の旅。

様々な事柄により出てきます。そんな中またこんなことも考えるのですが、”時間とは一体?”

辞書などでは”出来事や変化を認識するための基礎的な概念”と表されています。

今日は令和2年7月20日。または、2020年7月20日。

ただ、これらはカレンダーやTV、新聞などから見たり聞こえてきたりするもので、人間が便宜上決めた事柄。

しかし、このことはある程度共通な概念であるけど、まだもし、世界で知られていない人たちがいるとすれば、この概念は通用するのか?それは否か?

ちょっと哲学めいてきましたが、ひょっとして時間自体あやふやなものなのかも。

凡人が考えても仕方ないけど、こんなことを認知症の方々と接していると、ふと考えてしまいます。



<感情の源>


話を戻します、感情表現についてです。

怒りについて、他者などから何らかの攻撃を受けたり、不当な要求、理不尽な事柄に巻き込まれたりすることで起こる感情です。

また怒りは当人へ強い力として受けたり、自分から他者へ放出します。  
いずれにしてもこの感情を持続させるのには、相応の力を必要とします。

感情のリミッターが外れると、発している本人が疲れるか、忘れるか、眠るまでずーと続きます。


1日中ずーと叫びまくる暴言恨みつらみ呪いなどのダークネスな感情表現は時として、その本人の人柄などを跡形もなく崩してしまいます。

また、怒りの源は、記憶の片隅から突如フラッシュバックして起こることも、往々にあるのかと思います。


いつもは温厚な方が、突如怒りに駆られて、我を忘れてしまうことを口走り、他者を攻撃するなどの行動に出てしまいます。

もはや、当の本人には制御不能状態で、時として嵐が(怒りが)過ぎるのを待つしかない時もあります。



<まとめ>


今日は喜怒哀楽の中で、怒りについてフォーカスしました。

症状が強く、職員が介入しても他人に対して危害を与えることが頻繁になると、服薬調整されることがあります。

当の本人の怒り時の頭の中を見ることが出来ないですが        
なぜ怒るのか?                           その原因は?                           日々の接し方に不備があるのか?                   生活環境に問題があるのか? 
など....

日々介護現場では、これらのことについて職員間、医者などを入れたり、家族を巻き込んだ話し合いがなされています。

服薬調整はあくまでも、最終手段です。

当人の生活歴を調べたり、家族から情報をもらい、当人の接し方を見直し、どうすれば穏やかになるか試行錯誤が続きます。


最後にこれは経験上思いますが、もしこれまでの人生の中喜怒哀楽の感情の中で、出し切れてないものがあれば、認知症になった時

隠れていた感情がひょっこり出てくるのかと思います。😁


そんなことを思いつつ、日々後悔の残らない生活をしよーと思う次第です。


最後まで読んでいただいてありがとうございます。

今日はこれまでです。

おやすみなさい。





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