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敬老の日に思う

敬老とは「老いを敬う」でしたか?
老いとは、この世に生を受けて誰しもが通過する時間の中で、導き出された現状ですかね。

日々高齢者と接し思うのが、「生きることの意味」

予定調和説や運命論を持ち出すまでも無く
生きる意味の問いにこれ迄、洋を問わず様々な賢者・論者達が考えてきた
「永遠にして答えがあるのかしら?」
と考えるテーマなのでしょうか?

一介の介護職員の戯言です…。

年長者に対して、かつてはその存在そのものに敬意を払っていた時代がありました。
そこには今とは違った世界があったのでしょう。
現代においてどうなのか…?

日本では今日を「敬老の日」としています。
高齢者の定義云々はどうでも良く、長く生きているとそれだけで有難い。

ただ、そんな思いが頭を過ります。



今日は「夜勤」

職場はカオスの中にあって、きっと変わらない日常があるでしょう。
けれど、昨日と違う今があります。
それは時間が経過する中で、細胞レベルで新陳代謝が起こり、不可逆的な流れの中で今が存在します。
認知症は人によっては「時空を旅」します。
体は劣化し行動に制限が掛かっている入居者は、一見するとただボーっとしているだけの存在です。
けれど、彼らを見て感じるのは
「魂はここにあらず」
なのです。
既に我々が過している三次元ではなく別の次元。
それはある意味、これから訪れる死への旅路に向けての準備なのかと感じます。
「祝日にあって不謹慎だ!!」
と、お叱りを受けそうですが、不思議と彼らと接していると、常日頃より感じるのです。


「魂と肉体」
別に宗教的・哲学的でも無く、倫理観や道徳観も無く、現象として捉えるとこの概念は一体なんでしょうか?
一介の介護者の戯言…。



おめでとうございます!!
今日は「敬老の日」

日本は世界で類を見ない「超高齢社会」です。
新たな扉は開かれ、この先どの様に進むか分からないですが、残りの時間を精一杯全う出来れば良いのかと考えます。

台風が接近中
これから天気は大荒れ
それでも今を生きる
それ以上でもそれ以下でもないのです。
無事に過ぎ去るのを祈るばかりです。

今回はここまで
最後まで読んで頂きありがとうございます
次の記事で会いましょう。


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