緩やかなインフレが経済にとって有益というのはただの幻想である
2%のインフレ目標という誤謬
2%のインフレ目標ということが長らく言われてきた。インフレ率は2%にならなければならないそうであり、誰もがそれを良いことだと信じて疑わなかったが、しかし何故2%インフレにならなければならないのかを知っている人は誰も居なかった。
そしてついに世界的なインフレが発生し、どの国のインフレ率も2%を上回っている。2%目標は今どうしているのか? 長期的に2%のインフレ率が本当に適切なのであれば、2%を上回った分だけ同じようにデフレにして帳尻を合わせなければならないではないか。しかし誰もそうは言っていない。本当は誰も2%が適切だとは信じていない。はっきり言ってしまえば2%のインフレ目標には何の科学的根拠もないのである。
政府や中央銀行は元々2%を目指していたのではない。インフレ率が0%の時に2%を目標と宣言することで、インフレを引き起こす政策を正当化できたというだけのことなのである。何故政府はインフレを引き起こしたかったのか? インフレは実質的に政府債務を帳消しにする。東京五輪のように票田にばら撒くための公共事業で膨らんだ政府債務を、戦後のドイツのように帳消しにするために「インフレは良いものだ」という誤謬を国民に吹き込んだのである。
そしてより悪いことに何の根拠もないその話を有権者は信じた。何故か誰もインフレが善であることに根拠を求めなかった。そして彼らは実際にインフレが起きてから、インフレとは物価が上昇することだと気付いた。きっと給料を東京五輪に吸い取られて辞書が買えなかったのだろう。
インフレ政策の経済学的検証
さて、ではこのインフレ政策を真に経済学的に考えるとどうなるのか。ハイエク氏は「緩やかなインフレは有益であるという幻想」という章において次のように始めている。
インフレ政策、すなわちばら撒きは短期的に経済を刺激する。ハイエク氏は次のように述べている。
全国旅行支援が良い例だが、インフレ政策は本来なら発生しなかった需要を生み出す。そのお金の行く先は、ばら撒きがなければ人々に求められなかったような事業であり、そうした事業はインフレ政策が続く限り続き続ける。
だがそれは長期的には続かない。ハイエク氏はこう続ける。
結果として金融政策はますます過激になってゆく。1980年から始まった金利低下トレンドは2008年のリーマンショックでゼロ金利となり、金利がそれ以上下げられなくなったので紙幣印刷(量的緩和)が始まって、更にコロナによる経済停滞によってついに現金給付へと発展した。
コロナの後、人々は経済がもとの水準まで戻ることを望んだ。そこまでは良いのだが人々はそれを、一生懸命働くことではなくばら撒きによって実現しようとした。
何度も言うがばら撒きは需要の人工的な急増をもたらし、その経済学的な帰結はインフレである。コロナ後の経済の落ち込みを補填する規模の政策はどれだけのインフレを引き起こさなければならなかったか? アメリカではインフレ率は9%台にまで上昇した。
そして最終的には物価高騰によって緩和ができなくなるタイミングがくる。2022年にはアメリカは物価を抑えるために金融引き締め政策によってむしろ市場から資金を回収しなければならなくなった。
市場は金融引き締めに怯えている。インフレを善だとみなしていた人々が今や何故かインフレ減速の兆しが見えるたびに喜んでいるが、インフレの恐ろしさはインフレ率が下がり始めてからが本番である。
ハイエク氏はこう続けている。
そしてインフレを退治するための引き締め政策は、インフレ率よりも経済成長率を大きく退治してしまうだろう。
ハイエク氏の『貨幣発行自由化論』はコロナ後の物価高騰時代のために書かれた本にしか見えないのだが、これは実際には1974年に書かれた本である。
50年前から今の状況を精確に予想していたハイエク氏の天才的な慧眼を褒めるべきだろうか。あるいは50年前の本にそのまま警告されていたインフレ危機に自ら突っ込んでいったリフレ派の人々の稀有な頭の出来を褒めるべきだろうか。
2%のインフレ目標には何の根拠もなかったにもかかわらず、何故人々は信じたのか。インフレ政策は人々が何の根拠もない情報をいかに簡単に鵜呑みにするかを示す好例である。
ハイエク氏の予想によれば、いずれにしても地獄はこれからである。インフレが減速した時から経済危機が始まる。その理由については次の記事で説明しよう。
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