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アキのエッセイNo.139ー何度も転生して、引き継いでいく想いもあれば、変わっていく価値観や考えもある(ヒプノセラピー2回目を受けて)

こんにちは、アキです。

今週の月曜日に

2回目のヒプノセラピーを受けました。


ヒプノセラピーとは

催眠療法や前世療法によって

潜在意識をケアしていく治療のことです。


1回目のときは

前世である明治のおじいさん(裕福な家柄の当主的な頑固者)の

家族に対する罪悪感や怒りをケアしました。


ヒプノセラピー1回目についての記事↓



しかし

それでもなかなか

慢性的に存在する

特に疲れたときや心の余裕がないときに現れる

怒りや攻撃性

顔の引きつりが

完全に治まらなかったのです。


セルフでヒプノをやってみて

辿り着いた答えが

「他の前世でも複数人

罪悪感や怒り、トラウマを持っている人がいる」というものでした。


そして2回目のヒプノでケアした前世が3つありまして

というのが


1人目:中国で高級官僚をやっていたであろうおじさん

・真面目で誠実で頑固

・信念が強く、また家族や民衆のために尽くしていた

・しかし、陰謀により処罰された(おそらく死刑)

→捕縛されボコボコにされるイメージが強かった

→一番の心残りが、家族も一緒に処罰されたこと。家族を守り切れなかった後悔が根強い


2人目:中国?で賊をやっていた頭領

・生活苦により、同郷の友人と共に盗賊団を結成

・非常に仲間思いで破天荒な性格、兄貴肌

・しかし、破天荒で無鉄砲的なところがあったために仲間がついていけなくなった?

・同郷の友人を筆頭に、仲間に裏切られて殺される

→そのトラウマなのか、今世の私は人への信頼感がなかなか持てない

・その同郷の友人というのが、今世で大学の教授をやっている女性

→この教授が苦手です。そしてこの教授も私に対して変な同情心や偏見が強かったのを覚えています


私の前世は

前半部分は男性メインで生きていることが多く

だいたいは

戦っているか(賊の他にも甲冑をまとった武人だったり)

官吏をやっているみたいでした(中国の他にも日本でも)


余談ですが

中国あたりで小国の王様をやっていた時期もあったと思います。


前世後半で

女性も色々やっているのですが


日本の飛鳥時代あたりの皇族の女性だったり

巫女さんだったり

平安貴族の女性や武家の姫君だったり

アジア系(インドネシアあたり)の王族の女性だったり


どの前世

自分で言うのもあれなんですが

家族や仲間思いだったり

民を思いやる

情の厚い人なんですよね。


前世前半では

家族を想うあまりに頑固になりすぎて

かえって家族や自分を苦しめたりもしましたし(明治のおじいさん)


仲間を想うあまりに

裏切りに気付かずに殺されたりもしました(賊のおじさん)。


家族のため人のために尽くしても

陰謀により処罰され

報われなかったりもしたそうです(中国の官僚のおじさん)。


転生を繰り返す毎に

人を思いやる方向性が整えられていって

家族から民衆など

幅広い人々に対して思う気持ちに発展していきましたが


私の直感が捉えることですが

いくら自分が世間に働きかけても

報われないことが多かったそうで

だから

「果たせなかった」という想いが強いみたいです。


ただ

人々に対する愛情や優しさ、思いやりを

前世からずっと引き継いでいっているのは

素晴らしいことだと思います。


私の人生のテーマは主に

「家族や人々への愛とは何か?」を追究することだと捉えています。


また

引き継いでいくものもあれば

変わっていくものもあるみたいでして。


というのは

3人目にケアした前世が

平安時代の貴族の女性なのですが


おそらく

みなさんも一度は耳にしたことがある

古典文学で有名な方だと

私は勝手に捉えています。


その方は世間では

きらびやかな宮中の日常生活を文学で書き綴り

いかにも

「貴族の生活っていいものよ~!」的に

貴族社会を賛美している感じで捉えられていると思いますが


おそらく

当時のその方はそうだったのかもしれません。


しかし

私が感じるのは

「貴族社会が大嫌い」という印象です。


過去世であるその方は

貴族として

歌を歌い

教養を深めていくことが重要だと考えていたところは

あると思います。


しかしその一方で

「きらびやかな生活や色恋にうつつを抜かして

民衆に目を向けず

声を聞こうとしない貴族の有り様に

怒りを抱いていた」と思うのです。


その過去世の女性の過去を紐解くと

真っ先に出てくるのは

宮中のきらびやかな生活とか

仕えていた方への忠誠心とかではなくて


毒母への怒りと恐怖でした。


この毒母というのが

恋に生きる愛されたい女で

娘に無関心で

感情が不安定で

娘だけでなく

おそらく

下働きの下々の民にも当たり散らすような

厄介な方だったと思います。


それが

今世での私の父方の祖母だと私は直感で思いました。


この祖母も

いわゆる毒祖母でして


私が幼い頃から

重度認知症である祖父を日常的になじり、虐待を繰り返していた方ですから


つまりは

祖父への虐待が

過去世での私や下々の民への虐待と重なり

それで私は

この毒祖母が死ぬほど嫌いなのだ

納得したのです。


この過去世の私も

発達障害的なところがあって

歌を詠むのが苦手だったと思います。

だから

漢詩など

男が学ぶような教養を身につけて

自分の強みにしていったのだと思います。


それで宮中に出仕して

その強みを最大限活かして

女性として社会に進出することが出来たのだと思いますが


結局は

強がらないとやっていけない所だったのだと思います。


仕えていた方や

周囲の女房や男貴族達と

上手くやるにしても

「頭が良くないと付き合えない」ため

必死に

頭の良い女を演じるのに

苦労していたと思います。


仕えていた方には重宝されたようですが

結局は

「出来る自分」を演じなければ

認めてもらえないだろうし

そういう自分を求められているからこそ

演じるしかなかったのだと

過去世の自分の想いが伝わってきました。


宮中での生活は楽しかったでしょうが

その分

苦しかったと思います。


当時は

宮中の生活を謳歌するのが一番と思っていたのもあり

その方が残された文学でも

そういう印象が感じ取れますが


今世である私は

その当時の私の生き方や考え方を

恥じている想いが強いです。


そんなものを愛でるよりも

もっと目を向け

耳を傾けるべきものがあった


なんでもっと

民衆に目を向け

民衆の声に耳を傾け

より多くの人々の心に寄り添ったことが

出来なかったのだろうか


という

そんな想いが

強く感じられます。


過去世の私を

ありのまま受け入れてくれた存在が

おそらく

自分に仕えてくれていた下々の民であったと思います。


本当の自分を

教養や頭の良さを抜きに

愛して受け入れてくれた民達を

自分はもっと

愛し尽くしたかった。


そんな後悔

強く感じられます。


だから

今世の私は

福祉をやりたいと強く思っているのだと思います。


毒母(今世での毒祖母)に対しては

十分といえるほどに介護をして尽くしたので

「愛せなくてもいい。

十分やるべき事はやった」と

良い意味で愛することを諦められて

スッキリしています。


平安貴族の女性だった私は

社会で馴染み

教養を積んでいくことに必死でしたが


今世の私は

それがあまりにもつまらなくて愚かだったと感じています。


教養があってもなくても

私は私です。


今世の私は

現在、障害者雇用で働き

完全に「当たり前の人生というレール」から外れて生きていますが

それでも私は幸せです。


生きるのに必要なのは、教養よりも、自己や人々を受け入れて愛することですよね。


ある意味では

この平安時代の女性である過去世も

愛について学んだのでしょうね。


今世での私も

愛についてどんどん追究し

学んでいきたいと思います!


お読み下さりありがとうございます。





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