アキのエッセイNo.140ー職場に適応出来れば就労支援はOKではないよね(障害者雇用について考える)
こんにちは、アキです。
先日の記事で
「障害者だって仕事に生きがいややり甲斐を持ちたいし
仕事で評価されたい!」と言う内容のものを書きました。
今回はその続きです。
私は現在、障害者雇用で老健施設の清掃をやっています。
毎日、単純作業の繰り返し。
はじめは
「出来る仕事にありつけて安心」していました。
しかし
それが毎日続くと
マンネリ化してきて
「自分、なんでこの仕事しているのかな?」など
働く意味を見いだせなくなったりしまして。
働く意味もそうですが
一番は
働く「喜び」が見いだせていない状態ですね。
かれこれ5年ほど
この仕事を続けていますが
続ける理由としては
・週5日の6時間勤務で月10万前後と、障害者雇用の中ではそこそこ給料をもらえているため
・福利厚生がきき、年金や税金が支払えているため
ですね。
障害者雇用は
前回の記事でも書きましたが
「基本的に給与が低い」のと
ほとんどが非正規雇用のため
福利厚生がきいているものも少ないのです。
今の職場は
10万前後稼ぐことが出来ていて
福利厚生もききます。
他の障害者雇用に転職を考えるにしても
現職場より好条件の企業が見つかるとは思えません。
だから
障害者雇用での転職は考えていません。
しかし
現職を定年まで続ける気にもなれません。
なぜならば
働く喜びや
やりがいを見いだせていないからです。
ふと
思ったのですが
私がやっている清掃のように
単純作業の繰り返しルーティンを行うことに対し
どれだけの人が喜びを見いだせているのでしょうか?
ASDのように
もともと特定の作業に対するこだわりが強く
単純作業の繰り返しが嫌いではない人は
むしろ前向きに仕事に臨めるでしょう。
しかし
そうではない人は
どうなのでしょうか?
実際
私は「そうではない人」であり
仕事のマンネリ化に悩まされています。
はじめは
「出来る仕事に就けたことへの喜びや安心感」がありましたが
やっていくうちに
変化のない仕事に対し
希望が見いだせなくなってきました。
私は精神障害者の就労支援に携わりたいと思い
現在、精神保健福祉士の資格を取るために
通信を受講していますが
就労支援は
たんに当人が出来る仕事を提供し、仕事に適応していれば良いと考えるのは違う。
私はそう、考えます。
ハートネットというNHKの番組に寄せられた
障害者雇用での悩みについて
多くの相談内容が
職場の不理解や配慮不足等による「職場への不適応」の相談ばかりでしたが
障害者雇用の問題は
そればかりではないよね、というのが
私の思うところでして。
仕事は出来て
職場に「適応して」無理なく仕事が出来ているとしても
「やりがいや楽しみ」を感じられずに
悶々と過ごしている人もいるのではないでしょうか?
私と同じ人は
実は結構いるのではないかと思うのです。
ハートネットでは
「自分の特性や配慮して欲しいことを具体的に職場に伝えることが重要」と言っていましたし
直属の上司だけでなく
自分と関わる人々にできる限り、必要な情報を伝えなければ
十分な配慮が得られなかったり
「なんでこの人は、これが出来ないの?」などと
不理解によって
余計な偏見を向けられるなどの
不利益が生じますから
もちろん
「適応するための支援」も必要でしょう。
しかし
「適応すればOK」ではなく
適応+「当人のやり甲斐と楽しみ」が見いだせることを目標として支援をしなければ、十分な支援とは言えないと思います。
その支援は
支援機関だけ、または企業だけ、当人だけではなく、3者が協働で開拓していくべきものです。
また
仕事に喜びや楽しみを見いだすためにも
あらかじめ設定した作業に当人を適応させていく支援だけではなく、「本人に合わせて」作業内容や仕事のスタイルを工夫していく
といった
仕事に当人を合わせるスタイルよりも
当人に仕事を合わせていくことを方針として
オーダーメイド的に支援が出来れば
一番良いと思うのです。
No.138の記事とだいたい似たようなことを書いてしまいましたが
想いが溢れてしまったので
記事にさせて頂きました。
最後までお読み下さり
ありがとうございます!
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