中国語小説の翻訳教室――神の代弁者になるために(コラム7「ネイティブの意見は信用できる?」)
有名な翻訳家もインタビューの中で、読めない箇所はネイティブに聞くと発言しています。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は翻訳家にとって特にそうで、活字化された後に誤訳に気づいたり、読者から指摘があると、激しい悔恨にさいなまれます。ですから一時の恥を忍んでネイティブに聞く姿勢そのものは間違っていないのですが、余り信用しすぎるのも考えものです。
難解な文章の場合、ネイティブであっても解釈は千差万別です。本を開いて該当箇所を見せれば、前後の文章だけを読み自分なりの考えを口にしてくれますが、原書を本気で読み込んでいるわけではないので、どうしても読み違えがあります。翻訳家は、自分の単純な思い込みや誤読であることが明らかな場合だけ、慎重に訂正するべきでしょう。辞書にはない単語のニュアンス、スラング、長い文章をどこで切るべきかなどは、ネイティブの意見を大いに参考にしましょう。
すぐに聞く癖をつけると、自分でじっくり考えなくなります。後で分からない箇所をまとめて聞けばいいやと思い、読み込まなくなるのです。できれば、読めなくても読めるまで粘ってください。それでも駄目ならば一旦放置して、忘れたころに読み返すと、意外と理解できることもあります。こうして読めない箇所を絞り込み、最後にやむなくネイティブに聞くようにしてください。それから病気の診断と同じで、セカンドオピニオンを聞くことも大切です。
とは言え、翻訳家の読解力は、平均的なネイティブに勝ります。特定の本の場合はなおさらです。この本は私が翻訳している、私がこの本の一番の権威なのだという自信と自覚を持ちましょう。難解な箇所であっても、神の声を伝えると決めた本人が責任を持ち訳出するのです。最後に頼りになるのは自分自身なので、己の能力を磨くことを忘れないでください。
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