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発達障害児の子育て<2/7>


だいぶ間が空いてしまいましたが第2回を綴ります。
1はこちら。


ーお品書きー
1 発達障害の診断まで
2 診断を受けてから(この記事)
3 学校生活
4 不登校のはじまりから現在まで
5 これからの選択肢
6 働くを考える
7 なったらいいな、こんな世の中


療育先を探す旅へ。

診断を受けてから、私の中ではどう一般社会に「擬態するか」が一つの壮大なテーマでした。
それは今となっては、大きな失敗だったとわかるのですが、とにかく「発達障害は治らない」ならば「一般人に擬態するレベルに療育で持っていかなければならない」と思っていました。
療育とはそういう場所だという認識です。(この点については療育の主導者の意識に左右されますが、今もあまり変わらない認識です。)

当時、すぐに繋がれる療育先は少なくて、診断されてから、何ヶ月も宙ぶらりんの状態が続きました。自分がその間にやっていたことは、とにかく検索魔!(これはよくない、ほんとに)

家でできることはないか、何か欠点を埋めるトレーニングはできないか…
療育グッズなんかを作るのも好きでした。(元々細かい工作は好きだったのもあり)

ペアトレなどにも精を出し、家では視覚支援グッズをせっせと作り
子ども自身が生きやすいように!と本当に頑張っていたと思います。
全て無駄だったとは言いません。
特別支援学級では当たり前にやられている生活エリアの構造化に一生懸命でした。

作業療法と心理療法

診断を受けてから、3ヶ月ほど経って、ようやく、月に1回の作業療法と心理療法に繋がり、幼稚園を早退したり、遅刻したりしながら通い始めます。
そこでは日々の困り感や、TPOに沿った行動、自分の行動を客観視するような練習を行っていました。正直、そこで何を得ているのか、目に見えて「成果」「効果」はわかりませんでしたが、誰かにつながっている安心感はありました。
どんな声掛けをしたらいいか、どういう訓練が家でできるか、こんなことがあったが、どうしたら良かったか…そんな日常のことを専門家に話せるのはちょっと安心でした。

ちなみに待っている3ヶ月の間、不安で不安で…親の会を立ち上げていました 笑
「発達障害児の子育て会 あんだんて」の誕生です。(現在では「あんだんて」というネーミングで、まちかどアトリエの“ひとさじサロン“内で開催しています)

幼稚園でのすったもんだ

もちろん(?)幼稚園でもいろんなすったもんだがありました。
年少の時は、友達に噛みついたり手が出たり。
順番が守れなかったり、列が分からなかったり…
(人が無意識に見える、何かに並ぶ列、ラインが見えないんですよね)
お遊戯会はボイコット、先生には砂をかけ、フェンスをよじ登り脱走未遂。
年中、年長に上がるほどに、「集団への抵抗」は強く、特に造形活動にはかなり抵抗していました。
上手に描けないからという理由で逃げ惑っていたようです。
なんとか仕上げた「父の日」の似顔絵はあまりの出来に、担任から「他の子と一緒に掲示しても大丈夫ですか?」と聞かれたくらい…(これは今でも忘れない 悲)
ひどいもんだと思いました。だって、何日もかけて、追いかけてなんとか描かせてこのセリフ…
逆に絵が並んでなかったら子どもがどう思うのか…
(まぁ担任は、私がどう思うか、というところで気をつかってくれたのはわかっています)

これは自分の顔、だったと思います

運動会も卒園式も毎回ヒヤヒヤしながらの参加。
年長になる頃には、「深海の生き物」にどハマりしており、
周りがわからないような深海の生き物を聞いてもいないのに喋りまくる「変わった子」にしっかり成長していました。

絵も字も独特
魚や海の生き物がスキ

親としての行動、その後悔

親としてできることはなんなのか…
冒頭に戻りますが、とにかく「我が子が他の子とコミュニケシーションで困らないように」…この一心だったと思います。
TPOをわきまえた行動・言動をすること、学習が遅れないこと、こだわりを少しでも捨てていくこと。
これが私にとって療育の目的でした。
でもこれって…「ありのまま」なんでしょうか?
ありのままってなんなんでしょうか?

例えば、人に迷惑をかけてしまうこだわりがあったとして、
それを認めていくこと、「この子のこのこだわりも、個性だ!」と周りに理解を求めることも「ありのまま」なんでしょうか?

難しいですよね…
いろんな答えがあると思います。
人によっていろんな軸があると思います。

当時の私は、そんな風には思えていなかったように思います。

つまり…
多数派の社会で生きて行けるようにすることが、親の役割だと…

この「多数派=正義」が、じわじわと当事者(こども本人)を苦しめていると知らずに

がむしゃらだったのです。

来る日も来る日も、路線図を書かされました 笑

就学に向けて

実は年長に入ったあたりから、さらに療育に力を入れていきました。
プライベートで療育をしてくれる個人の先生をつけたりしながら、小学校生活でつまづかないように「トレーニング」を始めました。

例えば、学校で使われている机や椅子に慣れる、
給食、配膳、人が食べ終わるまで待つ、離席しない、
狭い机の上で物をかく、拾う、など、とにかく学校を意識した療育プログラムを個別で依頼していたんです。
今思うと、ちょっと過激派だったなぁと思うのですが(笑)でも、良かれと思って、信じて疑ってなかったですし、「悪いこと」ではなかったと思っています。
でも、子どもの心はどうだったんでしょうか。そこについてあまり考えたことがなかったかもしれません。「療育の弊害」、というと大げさ可もしれませんが、その時の子どもの心にはあまり関心を寄せていなかったことを、今反省しています。

おわりに 支援級に入学

WISC検査では、IQが97程度でしたが、情緒学級に入学しました。
やはり凸凹が大きく、心理士さんがいうには、「一斉指示が通りにくい」とのこと。
学校というところは、なかなか個別に対応はしてくれないので、情緒学級でゆっくりスタートした方がいいでしょう、とのことでした。

全体的に療育への後悔みたいに見えたかもしれませんが、そうではありません。
何事も、ちょうどいい塩梅、が必要なんですよね。
その塩梅が、不安から見えなくなってしまうことがあります。
そういう意味で、「親の会」や誰かと繋がっておくことは本当に重要です。

次回は情緒学級に入学してからのお話を書こうと思っています。

ではまた!お読みいただきましてありがとうございました🎵
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